第5話 とびきりの変化は、予想外

「え、連絡先教えなかったの!?」


間宮の良く通る声がカフェに響いた。


お昼時で、待ち客もいる人気のカフェは混雑中。


BGMも聴こえない位の賑わいなので、誰もこちらの席を注視する事は無かった。


「声が大きいですっ間宮さんっ、だって、教える理由がないですから、私は期間社員ですし」


しーっと人差し指を立てて顰め面を返した祥香と一緒になって、美青もうんうんと頷く。


甲高いアニメ声は可愛いが、こういう時は困る。


祥香の訴えに声のトーンは落としたものの、納得いかないと間宮が言い返す。


「ええええ、なんで!?そういう問題じゃないでしょー!びっくり!女子が列をなして連絡先を聞きたがるあの平良さんを袖にするなんて!」


「あのさ、答えたくなかったらいいんだけど、今井ちゃんって彼氏いるの?」


祥香が入社して来てから、週に一度の定期女子ランチが開催されるようになった。


場所は大抵が、大通りのカフェかイタリアンだ。


シフトや障害対応でどちらかが抜ける事はあるが、中止になった事は無い。


フロアに派遣社員が来るのも初めて、且つ、女性社員という事もあって、宗方が気を使ってくれているのだ。


初めこそ、ランチの半分は残してしまっていた美青だが、最近は3分の2を平らげるまでになっていた。


それにつれて、会話も増えた。


サラダパスタをくるくるとフォークに巻き付けた美青の質問に、祥香より先に間宮が反応した。


「美青姉さんからそんな質問が出て来るなんて!やっぱ恋は違うわ!他人に興味が出て来るなんて、余裕が出来た証拠ですよ!!最近食欲も増してるし、肌艶も良くなったし!いやー彼氏様の重たい愛の力ですねーあっはっはー!」


この言葉には祥香も大いに同感だ。


祥香が入社したばかりの頃は、まだ宗方と美青は付き合いたての微妙な時期で、むやみやたらに構いたがる宗方の過干渉に、美青はいつも戸惑う様子を見せていた。


当然、美青に周りを見渡す余裕なんて無かった。


「いえ・・いませんけど。平良さんて、女の人見たら連絡先聞くのが癖みたいになってるだけなじゃないですか?すごく人気がある人みたいですし・・」


飲み会の最中も方々のテーブルからお声がかかって、たびたび席移動をしては場を盛り上げていた。


彼がいるとそれだけで雰囲気が明るくなるし、皆の笑顔が増える。


女子は勿論の事、目をハートマークにして必死になって平良の気を引こうとして来る。


隣の席の女子が、自分に見向きもせずに別の男にアプローチを仕掛けたら、いくら職場の同僚とはいえいい気はしないに違いない。


けれど、不思議と平良は男性社員達とも打ち解けていた。


時々聞こえてくる男子校のような会話の内容には、思わず閉口してしまったけれど。


連絡先聞いていい?


そう尋ねられたのも、社交辞令のひとつだと思っていた。


「彼氏なし。でも、平良さんからのアプローチにはゴメンナサイ。はて、この心はいかに?」


オレンジジュースのストローで遊びながら間宮がうむむと唸る。


「アプローチとか、そういうんじゃないですってば」


「いや、それはあると思うよ。あたしの知る限り、平良さんが自分から女の子の連絡先聞いてるとこなんて見たこと無い。あの人どこでも携帯置いて席を立つから、しょっちゅう無断でアドレス登録されちゃうのよ」


「じゃあ、私に気を使ったんだと思います」


いかにも男受けし無さそうな地味な見た目の女の子がぽつんと職場にいたから。


「気を使ったとかじゃなくてー、もう純粋に興味持ったんだよー。気が利く女子が増えて嬉しいって二次会でも言ってたし。わー。でも、これは平良さん初黒星じゃないかな、すごいネタだ」


「ちょ、ネタにしないでください!ほんとに!」


「はいはーい!で、駅まで送ってもらってバイバイ?」


「いえ・・・コンビニでお水買って貰って・・」


「はー・・気が利くわー。ほんとマメだなあの人、で?」


「・・名刺を・・」


「「え?」」


間宮と美青の声が綺麗に重なった。


右横と左横の二人が一気に顔を近づけて来る。


あまりの迫力に、祥香は身体を縮こまらせた。


「あ、挨拶代わりにって・・」


「平良さんが頼まれても無いのに名刺?はー・・・コワッ!あの人完全にさっちゃんロックオンですよ、姉さんっ!うちらの名刺、会社携帯とアドレス載ってるよね?そんで、メールしたの?電話したの?」


「し、してませんよ!するわけないじゃないですかっ!」


社会人の挨拶で貰ったものなら、受け取ってお終い、それで十分だと思った。


「えっと、菜々海、あんたの興奮は分かったから、ちょっと煩い。今井ちゃんは、平良さん完全にナシなの?」


美青の質問に、祥香は溜息を吐きたくなった。


道行く女性のほぼ全員が振り返るであろうイケメンの好みが、自分のような十人並みの地味女だなんて、何かの罠としか思えない。


宗方と芹沢から、事前に聞かされていたけれど、まさかと思っていた。


正直もうイケメンでもそうでなくても、異性とは踏み込んだ関係になりたくない。


物凄く目配り気配りが出来る、マメな優しい人。


それが、祥香が平良に抱いた印象だった。


凄くモテるから、私の失礼発言と、その後の気まずい雰囲気を払しょくするために、わざわざ駅まで送ってくれたのよ。


それ以上の感情なんてあるわけがない。


万一、気まぐれであったとしても、またすぐ別のターゲットを彼なら見つけるだろう。


優しい人は、そのままでいて欲しい。


職場で揉め事になるのはこりごりだし、変に意識して仕事に支障を来たすような事があっても困る。


今、一番守らなくてはならないのは、目の前の現実、もっといえば、自分の生活だ。


毎月お給料が入って、何とか家賃を払って自立した生活が出来る毎日を失くすわけにはいかないのだ。


クローゼットの中には、これから活躍するであろうと奮発して買った花柄のスカートや、モヘアのニットが眠っている。


少しでも自分を良く見せようと、背伸びして頑張ろうとした、頑張りたかった。


ほんの少しの愛情を向けられた、その事実だけで、つま先から飛び上がって行けるような気になったのは、ついこの間の事なのに、随分前の出来事のように思えてしまう。


一度も袖を通さないままお蔵入りした洋服たちは、捨てる事も出来ずにそのままにしてある。


あれは戒めだ、自分への教訓だ。


今度、なんて、もうない。


気安く踏み込んだり、踏み込ませたりは、もう絶対にしない。


だから、平良さんの気まぐれに乗っかって、勘違いするような事はない。


美青の華奢な鎖骨の上を滑る細いチェーンの先に、さっきから見えているのはシンプルな指輪だ。


送り主としては、朝夕問わず付けていて欲しいのだろうが、仕事の邪魔になるからとこうしてネックレスに通している。


プラチナの先に光るダイヤが、酷く眩しい。


彼女にはなんの責任もないのに、恨めしい気持ちが胸の中に溢れて来る。


何が悪かったんだろう、どうすればよかったんだろう。


もう終わった事で、答えなんて出ないと分かっているのに、考えずにはいられない。


私もこんな風になれるなんて、夢のまた夢。


憧れを抱く事すら高望みだったのだ。


”幸せそうでいいですね、自分が幸せだから、周りも幸せにしてあげたいんですっていうお節介ですか?


そんなの必要ないので、全力で遠慮させてくださいね”


底意地の悪い自分が心の奥で叫んでいる。


人付き合いが苦手という美青は、多くを語るタイプではないので、こうして質問してくるという事は、恐らく宗方から話を聞いてフォローするように言われているんだろう。


それを察せられないほど馬鹿じゃない。


「あの、私・・・彼氏と別れたばかりで、当分恋愛はしたくないんです。平良さんだけじゃなくて、相手が誰であっても。そもそも、私全くモテないんで、そんな話になった事もないですし。だから、ああいう・・平良さんみたいな人には、どう対応していいのか分からなくて。でも、勿論、仕事ではきちんとしますし、挨拶とかもちゃんとします、だから・・その」


自分のプライベートを話すのはこれが初めてだった。


多分こんな事にならなれば、契約満了まで喋る事もなかっただろう。


けれど、平良を拒む理由付けは必要だし、咄嗟に上手い嘘が付ける程器用でもない。


付き合って、別れて、なんて、世の中の男女が普通に何度も繰り返している事だ。


これまでの自分が遠すぎただけで。


真面目に生きていたら、素敵な王子様が迎えに来てくれて、末永く幸せに暮らしました。


そんなハッピーエンドは、簡単にやってこない。


見つけた王子様が偽物だったり、ガラスの靴が途中でひび割れる事もある。


そもそも、自分にはお姫様の資格自体が無かったのだ。


それなのに、カボチャの馬車に飛び乗った。


馬鹿、ほんとに馬鹿、考え無し。


「そっか、分かった。菜々海も言った通り、平良さんはあれでかなり本気だと思う。そんな強引な口説き方はしてこないと思うけど、穏便に済ませておけなくなりそうだったら、相談して。あたしも、今井ちゃんに居なくなられるの困るし」


「失恋の傷が癒えたら、とびきりのイケメンに幸せにして貰うってのは、乙女ゲーの鉄板なんですけどねー。二人の組み合わせはスンゴイ美味しいしー」


うふふと意味深な笑みを浮かべる間宮に苦笑いを返して、祥香は最後のピザを頬張った。

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