第4話 とびきりの変化は、謎
警戒心剥き出しの野良猫を相手にしているような気分だ。
怖くないからほらおいで、と眉根を寄せてこちらを見つめる祥香にちょいちょいと手招きして、コンビニの中まで呼び込む。
指先にすら触れていないというのに。
いつもの俺なら両側に女の子がいて、頼んでもいないのに勝手にスマホに触って連絡先を登録されている時間帯だよねぇ。
実に健全な飲み会。
そして健全な寄り道。
女連れの時には必ず買っていたアレやコレは皆無。
その上お菓子で機嫌を取ろうなんて、俺も酔ってんのかな?
「平良さん、私本当にここで」
「お菓子買ってあげよっか?ほら、この新発売のミルクチョコとかどう?」
「お、お菓子はいりません!」
差し出した袋入りのチョコはお気に召さなかったらしい。
「じゃあアイスは?」
「だからっ」
どうしてここで帰らせてくれないのか?と祥香が声を荒げる。
どうしてって気になっているからだ。
多分そのまま口にしたらものすごく嫌な顔するんだろうけど。
あんなあからさまに嫌な顔を女の子からされたのは初めてだったから、興味が沸いた。
ついでにいうとー、宗方と芹沢からの牽制に、逆に火が付いたのもある。
こう見えて逆境に燃えるタイプなんだよねぇ。
「付き合わせたから、好きなのあれば買ってあげるよ」
「・・そういう言い方はずるいと思います」
唇を引き結んだ不機嫌な横顔に、下ろした黒髪がさらりと揺れる。
尻尾振って着いてくるタイプじゃあないよなぁ。
でも、それがまた楽しい。
「あはは、そうかな。ごめんねー、今井ちゃん炭酸入りと炭酸無し、どっちが好き?」
「炭酸無しですけど」
「ん、じゃあこれにしよう」
「あ、あの!」
「うん?なに?」
「煙草買いに来たんじゃないんですか?」
本人は酔っていないと思っているようだが、綺麗に染まった赤い頬を見れば嘘つけ、と言いたくなる。
ほろ酔いでくっついてくる女の子は可愛いし大歓迎だけれど、今日はちょっと違う。
俺はこの後、二次会に顔を出さない訳にはいかないし、二次会から顔を出すと連絡が来たお嬢さんたちの相手もしなくてはいけない。
そういう場所にこの子には来て欲しくない。
から、早く帰らせたい、けど、ちゃんと帰れんのかなあ。今井ちゃん。
タクシー乗ってく?とかゆったら絶対怒るだろうなぁ。
そのままレジに向かいながら回答を口にする。
「あー煙草はね、まだあるから」
「え?え?」
祥香が目を白黒させているうちに会計を終えて外に出た。
後を着いて出てきた祥香に、買ったばかりのペットボトルを差し出す。
「す、すみません」
恐縮しきった彼女の反応が面白くなくて、平良は人差し指を立てた。
「ええー。またその反応?別のパターンでお願いします」
まさかのつっこみに、祥香があわあわと顔の前で手を振る。
一緒に、手に持ったペットボトルが揺れた。
炭酸無しにして良かったねぇ今井ちゃん。
「ええ!?無理ですっ。あ、あ、ありがとうございますっ」
「うんうんそれそれ。どういたしまして。ちゃんと飲んで酒抜いてねー
橘ちゃんはともかく間宮はかなり飲むから、あいつのペースに合わせると偉い目に合うよ」
「そんなに飲んでないんで大丈夫です。でも、頂きます」
祥香が軽くペットボトルを持ち上げる。
「あ、待って」
その手から一度ペットボトルを取り上げて、キャップを外してから再び渡し直す。
「はい」
「・・え」
「女の子、ネイルしてるから。キャップ開けるの大変でしょ?」
「あ、ありがとうございます。さすが・・ですね、平良さん」
「いえいえ。ところで今井ちゃん、駅ってどっちの駅?」
目の前に見えている海岸線の駅か、地下鉄の駅か尋ねる。
地下鉄ならこのあたりで地下通りに下りなくてはならない。
祥香が一口ペットボトルの水を含んで、指で下を示した。
「地下鉄です。お水、美味しいです。のど渇いてたから」
ほんの少しだけ表情が緩んだ。
多分、今のは本音だ。
「それは、よかった。じゃあここで降りようか」
地下通りに続く階段に向かおうとすると、祥香が足を止めた。
「平良さん」
「うん?なにー?」
「もう戻った方がいいんじゃないんですか?」
「駅まで送るよって言ったよ?」
「でも、皆さん平良さんを待ってるんじゃ」
皆適当によろしくやってるよ、とは言わない。
言っても彼女は色々気にする。
「今井ちゃん、段差あるよ、気をつけて」
階段の手前の段差を示した平良に、祥香が初めて笑顔を向けた。
「ありがとうございます」
はにかんだ微笑みがまっすぐ胸に突き刺さった。
★★★★★★
「はーあ」
綺麗所と上役達へのお愛想売りも終わって、本当に内輪のメンバーだけが残っての3次会。
締めはいつもこの店だ。
芹沢の母親が大通りから1本入った半地下で開いている小さなスナック“紫苑”
ママ一人で馴染みの顧客だけを相手にしているので、気を遣う必要もない。
カウンターと、テーブル席が一つの狭い店内に集まったのは、システム部の古参メンバーばかりだ。
「今井さんに何もしてねぇだろーな?」
宗方が苦い顔でカウンターに腰を下ろして、グラスを傾ける。
「え。平良、そうなの?もう今井さんにちょっかいかけたの?派遣さんなんだから頼むよー」
温厚課長の呆れ顔に続いて、芹沢がボトルのウイスキーをテーブルに置きながら口を開いた。
「俺と宗方の目を盗んで今井さん送って行くなんて、ほんとお前はー」
「何もしてないって、つかそもそもあの時間で何しろってのよ。たかだか20分ちょっとのお出掛けでやれる事あるー?あるなら教えて欲しいわ、宗方」
ちらりと含み目線を向けてやる。
愛しの彼女と甘い蜜月をお過ごしのご様子ですしー?
俺には思いつかないような素敵な体験をされてることでしょう、と伺うが。
「茶化すな!」
速攻で叱責が返ってきた。
まーお前の気持ちも分かるよ、橘美青がうちに入ってきてから、ずーっと気になってて、仕事仲間の振りして必死に周り牽制してて、いよいよ本気でアプローチかけたってのに面倒臭がられて、それでも負けずに追いかけた。
んで、この度晴れて橘を完全私物化したわけだから、仕事での揉め事は避けたいに決まってる。
今日だって呼び付けたタクシーに、橘と、まだ飲み足りないと騒ぐ間宮を詰め込んで送り出していたし。
ついこの間まで無機質だったはずの部屋に帰れば、可愛い彼女の寝顔が待っているわけだ。
ちょっとくらいからかわせてくれてもいいのに。
俺は今傷付いてるんだからさー。
「どーせアドレス聞き出して、次のデートの約束でもしたんだろ」
「あら!帰ってくるなり早速お気に入りちゃんを見つけたの? さすがねぇ、龍ちゃん!今度はどこの美人さんなの?いつも街で見かける度に違うお嬢さんと歩いているものね。あなたちっとも彼女をここに連れてきてくれないから、母親代わりとしては淋しいわあ」
本日も上品な和服に身を包んだ
それはねぇ、ここは俺にとっての隠れ家みたいなもんだから、女の子は連れてきたくないんですーどうせ続かない事が分かっている相手に、わざわざパーソナルスペース晒す必要もないでしょ。
「ゴメンね。紫さん」
「いいわよう。社交的なのにその実すっごく秘密主義なところ、私気に入ってるのよ。色男はそうでなくちゃ」
紫ママには申し訳ないけど、ご期待には添えそうもない。
「デートの約束はしてませんーちなみに連絡先も知りませんー」
俺の発言に、店内の空気が一気に凍った。
その次の瞬間。
「ええええええ!?」
集まっていたメンバーが揃って絶叫した。
はいはい、他のお客さんいないからいいけど、騒音で訴えられるよー
「嘘だろ!?まさか緊張して聞けなかったの!?」
「馬鹿芹沢!こいつに限ってそんなことあるかよ」
「え。でも、珍しくど真ん中だし、仕事場一緒だから慎重になるってのもあるだろ」
「んで、どっちだ?」
「教えて貰えなかった」
「まあまあ!それ本当なの?こんないい男捕まえて連絡先教えたくない女の子なんているの?」
「ねー。俺もこの顔がこんな役に立たないなんて思いもしなかったなー」
ちょっと警戒心解けたかな?なんて思ったりしたのに。
気安く近づかせてはくれない。
手強そうに見えてた女の子たちも、連絡先は自ら進んで教えてくれた。
やっぱりどの子とも違う。
「お前ね、今ここにいる男全員敵に回したよ」
「だってもうあの子に引っ掛かんない見た目なら必要ないし」
「また気に入る見た目の子が見つかるって」
「嫌だよ、あの子がいい」
「は?何?そんな気に入ったの?」
「うん」
「へー・・見た目はともかくこれまでの女の子と毛色違うけど?」
「遊ぶならもっと別の」
「遊びじゃなきゃいいんだろ?」
「おい、平良」
「本気だよ。お前が橘追っかけたみたいにね」
「・・・」
「だったら、お前は何も言う権利ないよな?こー見えて俺だってやるときゃやるよ?お前が今幸せなのは、少なからずフロアメンバーのおかげだと思うけど?」
「畜生、わかった、わかったよ。但し俺は今井さんの味方になるぞ、強引な事したら黙ってないからな!」
宗方の返事に気をよくした俺は一堂を見渡して高らかに宣言した。
「じゃあ皆、生暖かく見守ってねー」
★★★★★★
取り出したスマホは、内輪しか知らない個人用だった。
もちろん、今井ちゃんは知るはずもないけど。
会社関係と、退屈な週末に相手を探す為の仕事用スマホはしょっちゅう鳴るから、定時後は電源を落とすのことも多い。
あの子は連絡先を教えても自ら進んで連絡してくるような子じゃないと、何となく察した。
他部署の飲み会に呼ばれる時は大抵女の子を集める為に使われる。
内輪の気楽な飲み会だからと呼ばれて行けば、見知らぬ女子がずらりとお出迎えしてくれたことも一度や二度じゃない。
みんなこの顔が好きで、ちょっと笑って見せればすぐに打ち解けてくれる。
正直しんどいときもあるけど、雰囲気を壊すのは嫌だし、楽しいお酒は大歓迎。
同性にもやっかまれないようにそつなく場を盛り上げるのは得意だし、自分の役割は完璧に全うする。
だから、俺の見せた好意に、全力で引かれたのは初めてだった。
断られた時は唖然としたが、実は何となくそんな予感はあった。
ここから内側には踏み込まないでください!という明確なラインがあの子にはあって、その手前でなら鷹揚に応えてくれるんだろう。
行けるかな?とつま先ちょっと踏み込んだら、ものの見事に弾かれた。
俺に近づいてくる女の子達はみんな、可愛いリボンを結んだ猫みたいに懐に入り込んでくる。
のどを鳴らしてにゃあにゃあ鳴いて構って欲しいってアピールしてくる。
俺と目を合わせると嬉しそうに微笑んで、頬を染めて、夢見るように目を閉じる。
分かりやすく擦り寄ってくる女の子は扱いやすいし、機嫌も取りやすい。
でも今井ちゃんはそのどれでもないんだ。
だから、次の一手に迷う。
俺はあの子をどうしたいんだろう?
宗方には本気だなんて強がってみたけれど、実際あの子が手の中に墜ちてきたら、興味を失わないと言い切れるのかな?
芹沢が言ったみたいに、毛色の違う猫だから手懐けたいだけじゃないの?
そもそも今井ちゃんの言う、顔のいい軽い男は嫌いって何?イケメンにフラレたとか?
だとしたら、失恋の傷は新しい恋で埋めるのがセオリーだ。
あの、自分の領域を必死に守ろうとする彼女の態度が、淋しさの裏返しなら、有無を言わさず腕の中に抱きしめてしまえる。
前の彼氏を恋しがるような愛し方はしないつもりだし、あっという間に現在進行形の恋に夢中にさせる自信もある。
だけど、確信が持てない限りは踏み込めない。
ただの失恋でないなら、地雷を踏んであの子を泣かせるような真似は避けたい。
ドアはいつでも全開で、こちらが踏み込むのを待っている女の子ばかりを相手にしてきたから、引かれたときの対処に困る。
それでもコンビニの前で見せてくれたあの笑顔は、本当だった。
ペットボトルの蓋を開けてやっただけなのに、物凄く嬉しそうに笑った。
ああ、純粋な子なんだなぁ。
俺の対応に心底驚いて、それから表情を柔らかくして、ちゃんと俺の方を見てくれた。
貰った行為はきちんと受け止めてお礼の言える良い子だ。
どこで尽きる恋か分からない。
手強い相手と、同僚の牽制に燃えてるだけなのか。
もっと違う、最近いつ自覚したかも忘れてしまった冷凍気味の恋愛感情が心の奥底で目を覚ましかけているからかのか。
どちらにしても、手に入れれば答えは出る。
スマホを取り出すのを渋ったあの子の手に無理やり押し込んだ名刺。
会社用の番号とアドレスが書いてあるそれを見た彼女が次の瞬間突き返す想像もほんの少しだけしていた。
なんせ相手は予想不能な新人種だ。
どう考えたって、わー!嬉しい!メールしますねー!なんて返事が来るとは思えない。
それだったら、俺の心境的にはもう少し楽になるが、そんな子だったら、きっとその時点で興味はなくなっていただろう。
「えっと、これは」
「名刺、あげるよ。連絡頂戴とは言わないからさ。社会人のご挨拶ということで。
これならいいだろ?」
最後は笑顔で駄目出しした。
俺のこの顔を今ここで使わずにどうすると思った。
実は結構必死だったのだ。
今井ちゃんは掌の名刺を確かめて、それから上着ポケットにしまった。
「あ、はい」
この際、押し付けるだけでも構わないと思った。
掌の名刺一枚。
それだけが今の二人を繋いでいる。
社内一の色男としては些か情けない退場劇だった。
「気をつけて帰るんだよ」
「送って貰ってありがとうございました。平良さんも、気をつけて戻ってくださいね」
律儀に頭を下げた今井ちゃんが言った一言で、アドレスを聞き出せなかった事に対する痛みは少しだけ薄れた。
現金なもんだ。
さあこれから、どうやってあの子のドアをノックしようか?
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