第3話 とびきりの変化は、不可避

三か月ぶりの本社はやっぱり自分のホームって感じがする。


持って行ったのは愛用のラップトップ一台と、タブレット端末のみ。


残りの書類やらマニュアルやら専門書は綺麗に机の上に置き去りにして去っていた。


どうせ隣の席の芹沢が適当に端に寄せて、自分の陣地にするだろうと思ったし。


実際その通りだったようだけれど、久々に自分の机に向かったら、専門書もマニュアルも、綺麗に整理されていた。


机の端に仕分けボックスが置かれており、申請書の箱、専門書の箱、マニュアルの箱とご丁寧に分けてあった。


まさか芹沢がこんな事をする筈は無いし、うちのフロアの女性陣はそういう世話焼きタイプではない。


フロア一の世話焼き男である宗方は、昔はともかく、今はもう手名付けた病弱猫の世話で手一杯の筈だ。


橘の調子次第で宗方のパフォーマンスは驚くほど左右される。


まあ、普段のあいつの仕事ぶりが異常だから、同僚としてはそれ位でちょうどいいけど。


こんないかにも女の子な仕事をするフロアメンバーを必死に思い浮かべようとしたけれど、結局一人も出てこなかった。


で、誰の仕事だと芹沢を問い詰めていたら、社内便で席を外していたあの子がフロアに戻って来た。


自席に戻ろうとして、俺の存在に気付いてこちらに歩いてくる。


綺麗な黒髪をひとつに束ねて、開襟シャツにライトグレーのカーディガンと、ワイドパンツのいかにもなオフィススタイル。


間宮の半分以下、橘の倍のメイク時間だろうと計算出来る薄化粧。


きちんと手入れのされた肌と、程よく柔らかそうな女性らしい体つき。


上から下まで確かめて、誰の差し金だと目を疑った。


自分の理想そのままの女の子が目の前にいた。


うわー・・なんて抱き心地のよさそうな身体。


指が吸い付きそうなきめ細かなそれでいて健康的な白い肌。


橘の白さはあれはもう異常だ。


明るい色のファンデーションが似合う程度の色白がいい。


青白い肌は見ていて不安になる。


マスカラで程よく彩られた睫毛が揺れて、俺の顔を見た彼女が表情を強張らせた。


両親から受け継いだこの顔のおかげで、有り難い事に女子のご指名が途絶えたこと無い人生を送らせてもらっている。


ので、こんなあからさまに拒絶の意思表示をされたのは生まれて初めてだった。


これは宗方と芹沢から余計なことを吹き込まれたかな?


俺の好みが黒髪清楚系女子で、そこそこ遊んできたオトナだって事?


とりあえず、プラス寄りの評価を思い描いてそこで止める。


遊び人だとか、節操無しだとか、は、言ってないと思いたい。


遊ぶ相手は選んでいるつもりだし、それで別に拗れた事も無い。


恋愛にも相性はある。


身体の相性は勿論の事、心の相性も。


束縛や猜疑心が一切必要のない、大人の恋愛があってもいいと俺は思っている。


綺麗ごとを言うつもりは無い。


全力の本気で橘を捕まえた宗方の度胸と勇気には敬意を表するが、それまでのズタボロの過程を見ていると、同じことが自分に出来るとは到底思えない。


こういう俺好みの子は、大抵お堅い恋愛が大好きなんだよねぇ。


ちょっかいかけて靡いてくれない所にまた燃えるんだけど。


それすらゲーム感覚だ。


この顔で微笑めば、大抵の女性は応じてくれる。


逸らした視線を追いかけてじっと見つめれば、狼狽えるように自分から掌の上に堕ちて来てくれるのだ。


正直これまで付き合って来たどの子もチョロかった。


その手軽さが気楽でよかったんだけど・・・さては警戒されたのかな?


試しにもう一度視線を合わせて微笑んでみる。


けれど、あの子の表情は変わらなかった。


「あの・・平良さん・・ですよね。初めまして、こちらで庶務をさせて頂いております、今井です」


「初めましてーあっちこっち飛び回ってた噂の平良です。今日からよろしくねー。ところで君が、お片付けの妖精さんかな?今井ちゃん」


駄目押しで顔を覗き込んだら、驚いたように一歩後ずさられてしまった。


「あ、はい。勝手にすみません、私が掃除させて貰いました」


綺麗に澄んだ黒い瞳が間近に迫ってすごくよかったのに。


と思ったら、すぐさま伸びて来た手に首根っこを掴まれた。


この握力で分かる、宗方だ。


「おい平良、帰って早々ナンパはやめろ」


「痛い、痛いって宗方ぁ。お前の重たい愛は俺には受け止めきれないって、橘ちゃんに遠慮なく注ぎまくってとっととは・・」


「平良ーお前帰って早々長期休暇取るつもりかー?」


立ち上がった芹沢にまで睨まれた。


「そんな目くじら立てんなよー。分かったよ、はいはい、俺が悪かった。あ、今井ちゃん片付けてくれてありがとう、ほんと助かった」


「いえ・・」


律儀に頭を下げる彼女の黒髪が綺麗で、やっぱり好みだなと思った。


身長は殆ど変わらないのに、武道をやっていたせいか、宗方の方が俺の数倍は威圧感がある。


まあ、半分以上は強面の威力だろうけど。


これでも定期的にジムに行って身体動かしてるし、芹沢よりはいい身体をしている自信もある。


ちょっと来いと連れ込まれた喫煙所で、久々に揃っての一服タイム。


東北でも関東でも気安く話せる同僚はいたが、気安さが全然違う。


離れれば離れる程ホームがどこだか分かるってやつだ。


実際、宗方や芹沢と離れて仕事をすると、二人の有能さを痛感させられた。


宗方は常に理想を掲げて全力疾走する熱い男だが、マネージメント能力にも長けている。


個人の長所短所をきちんと把握して、それぞれのパフォーマンスを最大限に活かせる仕事の振り方をする。


宗方の理想論を現実論に移行させて、適当に周りにちょっかいを掛けたりして、沸点に到達したお湯を、40度の適温まで下げるのが俺の役目だ。


で、温度を維持しつつフォローに回るのが芹沢の役目である。


さっきみたいなド直球の下ネタに今更怯む職場ではないし、間宮なんかはむしろ面白がって食いついてくるが、今日は確かに俺が悪かった。


いくら冗談半分って言っても・・・


どうやって口説き落としたのかまでは不明だが、どうにか半同棲に漕ぎつけた宗方は、現在全力で橘の意識を結婚に向けようと目下努力中らしい。


というか、あのごつい宗方が、橘を抱き潰していないのが奇跡だと思う。


俺でもちょっと抱きしめる力に迷うわ、あれは。


少し力を入れれば折れてしまいそうな華奢な身体は、安心よりも不安を覚える。


やっぱり柔らかいふにふにの身体でないとなぁ・・・


そういや橘この三か月でちょっと丸みを帯びたよな・・


「お前、頑張ったなぁ」


「は?何がだ馬鹿、お前の話してんだぞ今」


煙を吐き出しながらしみじみと肩を叩いたのに、宗方から鋭い視線が返って来た。


俺はお前の家事能力と、激アツな燃える愛情に敬意を表しただけなのに。


普段から食が細くて、且つ偏食気味の恋人の為に、せっせと台所に立つ宗方はきっと常に笑顔だったに違いない。


まあ、少しは丸くせんとありゃ抱けんわな・・・


橘も鬱陶しそうにしながらも、宗方から世話を焼かれたがっているように見えるし。


まさにお似合いの二人じゃないの。


この三か月の間にあった様々な変化については、これからじっくり聞きだすことにして、ひとまず眉間に深い皺を寄せまくっているこの男の機嫌をどうにかしないと。


「ああ、はいはい、俺の話ね、何が聞きたいの?」


「今井さん」


「やっぱりお前の差し金か!俺の苦労をねぎらう為、選りすぐりの人選を!?おお、心の友よ!!」


「茶化すな馬鹿、真面目な話だ。手ぇ出すなよ」


「今井ちゃんに早速アレコレネタ吹き込んだのやっぱりお前か」


「危ねぇだろがどう考えても、彼女が」


「何、それはフリ?俺に行けってこと?」


「・・平良」


「あの子、俺にニコリともしなかったねぇ」


よほどのネタを吹き込まれたのだろう。


あれか?それか?それともあっちか?


思い当たる節があり過ぎる。


いや、でも間宮にならまだしも、あの清楚系の今井ちゃんにそんなネタ喋るかな、こいつ。


何だかんだ言いながらも間宮の事をちゃんと女子の部類に入れて相手するフェミニストな宗方だ。


いや、ないわー。うん。


「お前さ、俺の事あの子にどういう風に言ったわけ?」


「今井さんが好みど真ん中の軽い男がやって来るから気を付けろと」


「・・ふーん、それであの対応」


「初対面だし、緊張してたんだろ。大抵の女子はお前見ると慌てるか固まるかだろ」


「全く反応しなかったおたくの彼女さんと、過剰に大騒ぎして芸能人だとか騒ぎ出したうちの後輩除いてはな」


「あー・・そうだったな・・確かに・・美青無反応だったよな」


「嫌、重要なのそこじゃなくね?ていうかお前の頭ん中、もう橘一色だなオイ」


「お前、前みたいに美青にちょっかいかけるなよ。容赦しねえぞ」


「うーわー。牽制の次は、付き合った途端の独占欲ですか。肝のちっせー男だな」


「煩い何とでも言え。あのフロアで俺の次に美青との距離が近いのお前なんだよ。芹沢はそこんとこ分かってるから、不用意に近づかねぇし」


「いや、俺だって他人様のものには興味ねぇよ?女の子は可愛いし柔らかいし好きだけど、幸せいっぱいのカップルに横やり入れるような事しねぇよ。馬に蹴られたくないしね、どうぞ末永くお幸せに。さっきも言ったけど、さっさと子供作れよ。どうしても欲しいなら孕ませる方が早い」


「・・・それなー・・」


「おい、悩むなよ。本気か?」


宗方の反応に目を剥いた。


恋は人の価値観さえも塗り替えてしまうらしい。





★★★★★★






一人だけ欠席するわけにもいかなくて、参加する事になった飲み会。


”平良さんお帰りなさい飲み会”という名目なので、勿論席のど真ん中に彼がいる。


しかも、平良さんお帰りなさーい!と沢山の別部署の綺麗どころが集まったので、いつの間にやら座敷は貸し切り状態になっている。


当然ながら、端の席で空いた食器を片付けつつ残り物を摘まんでいたら、この後2次会ねーという声がどこからか聞こえて来た。


乾杯をしてから2時間半が経過していた。


料理も出尽くして、届けられた酒類も殆ど無くなっている。


部の交流費で落とすから、好きに飲み食いしていいよ、というお達しがあったけれど、お客様の数がかなり多かったので大丈夫なのかと不安になって、隣の席の美青に尋ねたら、他部署の役職連中から、飲み会代が届けられているという。


「平良さんは、見た目もアレだけど、仕事ぶりもかなり有名だから、部署問わず人気なのよ」


淡々とした口調で答えた美青の手から、ウーロンハイを取り上げたのはカクテルでほろ酔いの間宮だ。


こんな時でも宗方の言いつけを守って、美青の酒量をチェックしていたらしい。


「なんかあるとすぐ呼び出しかかってましたもんねー」


「それは、宗方さんや芹沢さんの仕事かと思ってました」


「あ、あれは基本平良さん目当ての呼び出しだから。・・・そういえば今井ちゃんってあのキラキラ男前見ても無反応だったね。見慣れてる?」


「あー!ほんとだ!!きゃーイケメンがいるう!!やだあ!!とか言わなかったですね」


「写真、写真撮りましょ今すぐに!!とか言ったのはあんただけだけどね」


「えへへーはっちゃけちゃってー。あのレベルのイケメン見慣れてるとかこれまでどんな人生を!?もしや彼氏がその系統?」


ずずいと身を乗り出した間宮のセリフに凍り付いた。


冷えていく指先に息が止まりそうになる。


蓋をした記憶が蘇る。


柔らかい笑顔で名前を呼ばれた。


恥ずかしくて俯く度に上から降って来る声が優しくて泣きそうになった。


全部、全部、嘘だったけど。


「い、いえ・・イケメン苦手なんです、だから、固まっちゃって」


俯いて声を絞り出したら右隣から声がした。


「ええーそれ、褒められたと思っていいの?それともけなされてんの、俺」


「っ!!」


いつの間にかど真ん中の席から移動してきた平良が、テーブルの上の皿に残ったかまぼこを摘まんでいる。


な、なんで!?


「す、すみません・・」


イケメンは褒め言葉だろう。


でも、それだけを理由に苦手と言い切られたらけなされているとしか思えないだろう。


平良が悪いわけでは無い。


祥香は慌てて首を振った。


「あの・・私そろそろ失礼します」


二時間を経った頃から、席を立つ女性がちらほら出て来たので抜けても問題ないだろう。


部署の人間としての最低限の礼儀は尽くしたはずだ。


美青は宗方が当然連れて帰るだろうし、間宮はこういう飲み会に慣れているから心配をする必要もない。


とにかく、平良の前から一刻も早くいなくなりたくて、急いで席を立った。


上着とカバンを掴んでお疲れ様です、と頭を下げる。


店を一歩出ると、室内の熱気とざわめきが急に遠くなった。


大きく息を吐いたら少しだけ気持ちが落ち着いた。


よし、帰ろうと歩き出す。


と、後ろから足音が近づいてきた。


振り向く間もなく隣に並んだ彼が、柔らかい笑みを向けて来る。


祥香は一瞬だけ彼を見つめて、すぐに逸らした。


「煙草、買いに行くんだ。ついでに駅まで送らせて」


疑問形ではなく決定事項として告げられれば文句は言えない。


今、一番会いたくない人です、とは言えない。


歩き出したはいいが、一向に始まらない会話に気まずさを覚えて、祥香が先に切り出した。


「あの・・色々失礼な事言ってすみません。平良さんは何も・・悪くないので・・ごめんなさい」


「えーっと、率直に聞くけどさ、俺の顔が嫌い?」


「いえ、顔とかじゃなくて・・かっこよくて軽い人が苦手なんです」


「うん。そっか、なるほど、まずはありがとう。で、俺、それなりに遊ぶけど、ちゃんと本命出来たら大事にするよ?」


「そ、それは私に言われても困りますし、関係ありませんから」


何でそんな告白をされるのか分からない。


宗方と芹沢から言われたセリフが蘇ったがそんな馬鹿なと首を振った。


”地味な見た目の女なら、チョロイと思ったのに”


ズキンと胸が痛む。


見えて来た一軒目のコンビニにホッとした。


「コンビニ、ありましたよ、私はここで」


「うん、一緒に行こうね」


そのまま立ち去ろうとした祥香に向かって、平良が魅力的な笑顔を向けた。

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