第2話 とびきりの変化は、作戦

「愛の巣にお邪魔しちゃって申し訳ない」


宗方の部屋の玄関で、これお詫びの品ね、と瓶詰プリンを翳した芹沢に、美青は真っ赤になった。


具合が悪くなって夕方前に早退した彼女の顔色は幾分かマシになっていた。


当たり前のように部屋着姿で出て来た美青の緊張感のない表情に、現在の二人の関係性が手に取るようにわかる。


完全に警戒を解いた状態でこの家で寛いでいる美青は、会社とは打って変わって表情豊かだ。


「な、なに言ってるんですか!芹沢さんっやめてくださいっ」


「普段は俺以外の男は入室禁止だが今日は特別だ、上がれよ芹沢」


迎えに出て来た美青を当たり前のように抱きしめて、先に廊下に上がった宗方が振り返る。


「じゃあ、少しだけお邪魔します」


本当は美青も含めて3人で食事をしながら相談事をしたかったらしいが、美青の体調不良のせいで、愛の巣訪問という形になった。


駅前の定食屋で夕飯を済ませてから宗方の家にやって来たが、食事の最中も彼女へ具合を確かめるメッセージを送っていた。


この宗方の過保護ぶりは、強面の見た目と完全に反比例している。


「あ、あんたも何勝手な事言ってんのよ!馬鹿じゃないの!」


「馬鹿じゃない、俺は本気だ。まあ、芹沢は安全圏だしいいだろ。それより美青、裸足でウロウロするなよ、靴下履け。上着も着た方が良くないか?」


すかさずファッションチェックをして美青の腰を片手で攫った宗方がずんずんリビングに進んでいく。


「分かった、分かったからちょっと離れなさいよ!下して!芹沢さんと話があるんでしょう、あたし向こう行ってるから!やだ、膝に乗せないでっ」


何度か宅の飲みで訪問した事があったが、あの頃より少しだけ物が増えていた。


美青の私物なんだろうと思うと微笑ましくなる。


ソファに座った宗方が、抱えていた美青を当然のように膝の上に横向きに下ろした。


所謂お膝抱っこというやつだ。


まさか、宗方がこんな風に彼女にデレる日が来るとは!!


「こら暴れるな。この方が身体あったまるだろう、えーっとブランケット・・」


しっかり腰に腕を回して、視界を巡らせる宗方に、椅子に掛けてあったチェック模様のブランケットを差し出してやる。


「はい、これでいい?」


何だかここに居るのが居た堪れなくなって来た。


現在進行形の恋人がいる自分としては羨ましさ半分、妬ましさ半分といった所だ。


週末はどこにも行かずに彼女を構い倒そうと心に決めて、向かいのクッションに腰を下ろす。


「ああ、悪いな芹沢。ほら、包んでやるから。薬飲んだんだろ?眠くなったら寝ていいぞ、後で運んでやる」


「いいです、自分で行きます、だから撫でないで、ひゃっ・・」


「なんだ、芹沢がいるから遠慮してるのか?いつもみたいに膝枕してやろうか?」


甘やかすように項を撫でた宗方の優しすぎる表情に胸やけがする。


「ちょ、もっ、宗方黙って、本気で、ほ、ん、き、で」


「なんで?別に嘘は言ってないだろ。ああ、やっぱり身体冷えてるな・・・」


折れそうな首筋に顔を埋めた宗方の肩を細い手が叩いた。


その指を捕まえて絡める宗方の楽しそうな事。


「やだってばっ!もう、口閉じろ!」


「ほら、黙らせてみろよ」


間近に迫った宗方の顔を睨み付けた美青の瞳が潤み始めた。


羞恥心と苛立ちで唇を噛みしめる。


「・・・・っ」


「ああ、ごめん、悪かったよ。やり過ぎた、ごめんな」


「馬鹿、さいってい」


うん、さすがにそれはやりすぎだ、俺、壁にはなれないから。


生温い視線を送りながら、芹沢が上着を脱ぐ。


「ごめんって、なあ。もうからかわないから、逃げるのは無しな」


「男同士の話するんじゃないわけ?」


「いや、まあそうなんだけどな、お前にも頼みたい事あるからさ、な、芹沢」


漸く本来の目的を思い出してくれたらしい同僚にほっとしつつ、芹沢は肩を竦めた。


恋は盲目とは良くいったものだ。


「そうなんだよ、フロアには明日報告するけど、来週から平良が復帰するんだ」


「え!?平良さん!?」


「そう、お前にちょっかいかけまくってうざがられてた平良龍司」


「これまでなら賑やかなのが帰って来るな、で済むんだけど、今回はそうもいかない」


「あ、今井ちゃん」


間宮のさっちゃん呼びは本人が物凄く恥ずかしそうだったので、美青は今井ちゃんと呼ぶようにしているらしい。


今回の集合の理由に思い至った美青が、苦い顔になった。


「そうね、まずいわね」


「不味いだろ?」


「不味いよなー、今井さん、平良の好みど真ん中の黒髪清楚系だもん。絶対ロックオンだってアレ」


「派遣社員に中途半端に手ぇ出したなんて騒ぎになったら困るからな」


宗方が美青の髪を撫でながら深刻そうに呟いた。


入社時研修から、平良の人気ぶりは凄まじいものだった。


最終面接の時点で、人事部から流れて来た”すんごいイケメン来た”連絡に、各部署の女性社員は湧きに湧いていたらしい。


新入社員への各部署の業務説明会は、資料作成が面倒なので普段は誰もやりたがらない。


大抵、入社、2、3年目の若手社員に押し付けられるのだが、この年だけは違った。


講師役の社員がほぼ全員女性社員だったのだ。


後で聞いた話によると、応募者多数でくじ引きによって講師役を決めた部署もあるらしい。


どの部署も綺麗どころを連れて来るなと、新入社員の芹沢は志堂のレベルの高さに舌を巻いたものだった。


彼女たちの目的が、平良にあったのだという事は、配属後の飲み会で初めて知った。


新入社員歓迎会に、別部署の女性陣が多数参加するなんて前代未聞だと先輩社員が笑っていた。


その渦中の平良はというと、左右から継がれるビールを有り難く頂きつつ、ニコニコと愛想笑いを浮かべてお姉さま方の話に適度に相槌を打ったり、驚いたり、笑ったりとそつなく対応していて、それがまた癪に障った。


あれだけ顔が良いのだから営業に回ればいいのにとも思ったが、その考えは一緒に仕事をするようになって見事に覆された。


高校時代から独学でプログラミングを学んだという平良の知識は豊富で、応用力も申し分ない。


それに加えて他部署からの問い合わせ対応にも愛想よく丁寧に答える。


PCもITも全く初心者という社員からのヘルプコールにも嫌な顔一つせずに対応する。


異性にもてる男は同性受けが悪いと言われるが、平良の場合は立ち回りも上手く、フロアで浮くようなことは無かった。


実際話してみると気さくで、自分の顔を鼻に掛ける事もなく気のいい男だった。


ただ、女性関係だけは入社時から派手で、週末ごとに違う彼女モドキを連れ歩いていた。


来るものを拒まず、去る者を追わずといったスタイルらしく、割り切った付き合いの出来る女性ばかりを相手にしていた。


一時期は半年ほど一人の女性と付き合っていた事もある。


その間は浮気する事もなく真面目な付き合いをしていた。


擁護するつもりは無いが、不誠実な男ではないのだ。


きちんと好きなれば、一途に追いかけるし相手の事を大切にもする。


ただ、物凄く飽き性なのだ。


このまま行くのかと思ったが、結局クリスマス前に破局して、それ以降はずっととっかえひっかえを続けている。


記憶にある限り最短が2週間、最長が半年。


それが平良の恋愛継続期間だ。


何をきっかけにスイッチが入って、切れるのか、7年一緒に働いても良く分からない。


ただ、仕事は物凄く出来る男なので、頼りになる。


理想型の宗方と、調整型の平良、新規プロジェクトが立ち上がる度に、意欲に燃える宗方をうまく宥めつつ方向修正をする平良の存在は、芹沢にとっても大きかった。


今の宗方がいるのは、平良のおかげといっても過言ではない。


平良がいなかったら、今の宗方の柔軟さは得られていない。


ちゃんと腰を据えて恋愛をすれば見た目も中身もイイ男なのに・・・


最初、東北支社への出向を示唆されたのは宗方だった。


けれど、ちょうどその頃、美青と微妙な関係にあった宗方を気遣って平良が名乗りを上げた。


先方の支社にまで根回しをして、確定させてから手を上げるところが実に平良らしい。


そのまま関東にお呼びがかかった時も、二つ返事で了承したフットワークの軽さは、上層部にもかなり高評価だったそうだ。


どこに居てもうまく立ち回る、憎めない色男。


それが平良龍司という人間だ。


そこに、新たにシステム部に加わった今井祥香という存在が、どんな風に作用するのか分からない。


現在の女性人員2名は、一人は宗方の鉄壁ガードで守られており、もう一人は、そういう対象から見事に外れる二次元女子だ。


思えば普通の女性が部署で仕事をしているなんていう状況自体が初めてなのだ。


特殊な職業なので、女性SEはまだまだ数が少ない。


故に、部署の女性は重宝される。


実際、祥香はよくやってくれているし、仕事のフォローも的確でよく気も利く。


このまま産休期間を全うして働いて欲しい。


でもなぁ・・・あれはどう考えてもまずいよ・・


癖のない肩下までの黒髪と、小柄且つ凹凸のある身体、綺麗な肌を生かした薄化粧。


清楚なイメージを崩さない控えめなネイルとグリーン系の香水。


もっと開けっ広げに言えば、男慣れして無さそうな見た目の女子が、平良の好みなのだ。


そして、今井祥香はまさのそのタイプに当てはまる。


本人は範疇外だと言い張ったが、どうみても範疇内、ど真ん中。


これをきっかけに同僚が本気の恋に目覚めてくれれば嬉しいが、そうでなければ、彼女が泣く羽目になるのだ。

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