第47話 Love Affirmation  胸がときめく瞬間

「美青姉さー・・」


コンビニから戻った間宮が、アニメキャラクターの箱菓子を片手にいそいそと美青の元へ駆け寄ろうとする。


ディスプレイに向かいながら、視界の隅にそれを捉えた宗方が、慌てて間宮を手招きした。


「間宮!ちょっと」


「はいー?なにか御用でー?」


本日も、いったいその服はどこで買って来たんだ?と言いたくなるような、虹色の横じまのタイツに、ダメージデニムのスカートという、おおよそ社会人とは思えない格好をした後輩が、やたらと長いニットの袖をブラブラさせながら怪訝な顔で方向転換して呼びつけた上司の元へふらふらと近づいて来る。


「コンチ発生」


「げ!」


「今美青が修正入ってっから、不用意に近づくな。ピリピリしてる」


視線の先に見えるのはいつも通りの薄い背中。


最近少しだけ肉感が増した事が誇らしい。


眉間に皺を寄せられても、思い切り冷たい視線に晒されても、根気よく食事を与え続けた甲斐があった。


胸の丸みが増えるのはまだいくらか先になるだろうが、抱き寄せた時のあの心許なさは、若干和らぎつつある。


腕に収めてホッとするどころか不安にさせるあたりがいかにも美青らしい。


いつも通りの規則正しいタイピング音だが、いつもの数倍空気が張りつめている。


大きなトラブルにはならずに済んでいるが、詳細確認と対策立案の仕事がこの後に控えていると分かっているので、眉間の皺はますます深くなるばかりだろう。


幸い手が空いているメンバーが居たので(宗方の眼力で問答無用で挙手させられた平良と芹沢)手分けして対処に当たっているので、そう心配はしていない。


残業が確定した時点で、無言で祥香を手招きして机に隠れてこそこそイチャイチャしていた事にも目を瞑ったのだから(羨ましさ70%苛立ち30%)平良は終電まで働かせるつもりでいた。


美青の様子を遠目に見た間宮が、腑に落ちないという表情になる。


「んー?いつも通りの姉さんじゃないですー?」


「違うだろ、よく見ろ馬鹿。こっち来んなオーラ全開だろうが」


「えええ・・・わかんないっすー何色のオーラ?暗黒?それともどんよりグレーっすかー?んー堕天使モードで舞い散る漆黒の羽を背景にする闇色スレンダードレスの姉さんもアリだけどー・・その場合対比する相手がいた方が並べた時に迫力あるからー、となるとこの場合、純粋無垢な白天使にはやっぱりさっちゃん起用かー・・・膝丈フレアの白ドレスにおっきいリボンとレースで飾ってー・・あー・・イイ!」


自分の名前が飛び出したので、社内便の準備をしていた祥香がびくりと顔を上げた。


気にしなくていいから、と手を振ってやりながら、宗方は間宮にジト目を向ける。


「お前の精神世界に他人を巻き込むな」


被害者となった祥香には気の毒だが、このフロアの男女比を考えると仕方がないとも言えなくはない。


なんせ間宮の頭の中は年中お花畑だ。


そういう話じゃなくてな、と言い返そうとした矢先に、別方向から刺客がやって来た。


「膝丈フレアを訂正して、膝上フレアのニーハイにしてよ。可愛いから」


顔を向けるまでも無い、平良だ。


「おお!さすが彼氏様目線!間違いないけどいんですかーあ?さっちゃんの柔らかい太ももが世間に」


ぐふふ、ととても見せられたものではないオッサンのような下種な笑顔を見せた間宮に、平良がキーボードを叩きながら平然と答える。


「晒すわけないだろー。うちでしかさせないよそんな格好。俺だけ見るの。間宮もそれ以上妄想すんの禁止ー。宗方も、乗っかるなよ」


きっちり釘を刺しながらも手が止まらない所が素晴らしいが憎らしい。


祥香を囲い込んでから、平良のパフォーマンスは上がる一方だ。


湧き上がる幸福感と高揚感は、自分も覚えがある。


頑なという点では似ている相手をお互い好きになったので、打てば響かない事に慣れてしまっていた片思いの日々が終わった事への安堵と、達成感が半端なかったのだ。


付き合うとなったらもっとこう、色んな意味で甘ったるくなるかと思ったのに、さきに砂糖増量になったのは、後から付き合い始めた平良と祥香のほうだった。


しかも、平良はあっさり同棲に持ち込んで、祥香の派遣満了を待って結婚すると豪語している。


なんというか、本当の意味でモテる男の手腕を見た気がした。


鮮やかすぎる手際の良さで、彼女の未来まで全部手に入れた平良に、嫉妬心から多少意地の悪い考えが浮かんでも仕方ないだろう。


「するわけねぇだろが!お前は真面目に仕事しろ馬鹿!」


思わず怒鳴り返した途端、ガタン、と音を立てて美青が椅子から立ち上がった。


「あんたたち、まとめて煩い!」


絶対零度の眼差しと共に落下した雷に、愛情のスパイスは皆無。


システムの正常稼働を確認して、解散したのが午前1時過ぎ。


終電が終わっていた平良と芹沢は、即座にタクシーを呼んだ。


戸締りと施錠は任されると言った宗方に、そのほうがいいねーと気遣うような視線を美青と宗方に向けながら、それぞれの家に帰る二人を見送って、フロアを振り返る。


今回の対応責任者である美青の、最終報告を待ってコンチ対応完了となるのだが、そう思ってみれば、さっきからタイピングの音が聞こえてこない。


もしやと思って近づけば、美青はキーボードに指を乗せたまま目を閉じている。


「み・・」


呼びかけそうになって、慌てて言葉を飲み込んだ。


少し空気を震わせただけで目を覚ましてしまう気がしたのだ。


神経質な美青の事だから、瞬時に瞼を持ち上げて、自分を覗き込む宗方に気付いて硬直するだろう。


驚いて目を丸くした後、視線を彷徨わせて寝てない、とか言うんだろうな・・


焦って言い訳しようとする様が簡単に想像できた。


同様の余り報告書を削除するようなヘマを犯す可能性もあり得る。


美青曰く、宗方との事に関してはとにかく自分が自分じゃなくなるらしいので。


仕事一辺倒で、データとコードだけで作られた世界が全てだった美青のなかに、唯一混ざり込んだ不確定要素。


グラグラ気持ちを揺らされる事に怖がって、結構です、踏み込まないで!と全面拒否されたところから始まった恋だ。


一生触れないんじゃないかと思った事もあったけど・・・


隣の席の椅子を引いて静かに腰を下ろす。


頬杖を突いて覗き込んだ横顔は、やっぱり少しだけ輪郭がふっくらとしていた。


彼女の纏う微妙に温度の違う空気感にも気が付くようになった。


それは、美青の内側に入り込んだから得た知識だ。


身を守る術を持たない美青の丸ごとを受け入れて、懐に引っ張り込んだ。


頑丈に鍵をかけて、開かない部屋に閉じ込めて、自分だけのものにした筈なのに。


気付けはいつも彼女は宗方の外にいる。


束縛とは縁遠い恋愛ばかりして来た宗方としては、囲い込んだはずの美青が腕の中にいない恋愛状態が理解できない。


大抵の女の子は自ら腕の中に飛び込んできて、閉じ込めるまでもなく、出て行きたくない、手放されたくないと縋った。


甘えさせてくれて、機嫌を取ってくれる宗方の側は居心地が良いと猫撫で声で訴えて来た。


それがどうだ。


美青は自ら飛び込んでくるどころか、引っ張り込まれて、腕を回されて動けなくなっても、いつの間にかするりと宗方の外側に抜け出してしまう。


自立した女性というのはこういうものなんだろうと割り切ってみても、感情が納得しない。


どうにかして美青の事を閉じ込めたくて仕方ない。


とくにこんな夜は。


黒のスレンダードレス・・ねぇ・・・


華奢で薄い美青の身体だが、細い太ももの弾力はなかなかだ。


きめ細やかな肌は手触りがいい。


ただし、皮膚が極端に薄いので唇で触れる時には細心の注意が必要になる。


酔った勢いで吸い付いたら、翌朝の内出血が酷い事になっていて、寝起きに猛省した。


それ以来、キスですら慎重に触れている。


”抱けるの?”


気の置けない身内の飲み会で、芹沢から飛んで来た質問だ。


どこもかしこも脆くて儚い身体を組み敷けるのか?


”体重掛けたら本気で潰しちゃいそうだよねぇ。お前ガタイいいし。体格差だけでもかなり不安”


平良の言葉に頷いて、ビールを煽りながら事実を述べた。


”組み敷くような抱き方はしてない。


ちゃんと手加減して、大事に育ててる”


”うっわー・・・詳しく聞くとどえらい事になるやつだコレ”


”まずは肉付けて、その次に体力だな・・まあ、もう俺のもんだから、どうでもいいけど”


抱き合った後の充足感は恐らく美青よりも宗方のほうが大きい。


経験値の違いは勿論あるが、それ以上に相手に対する枯渇量が違い過ぎる。


仕事が忙しくて睡眠時間を削られれば削られるほど、別の欲求が強くなる。


なんて言ったら、仰天して逃げ出すんだろうけど・・・


”この時間から寝ると余計疲れるから、祥香の寝顔見てぼーっとする”


帰り際の平良の台詞を思い出す。


「・・寝顔見て満足とか、そういうレベルじゃないんだけどな」


どうせ聞こえていないのだから、少し位ぶちまけたって良いだろうと漏らした本音。


その途端、美青の首がかくん、と落ちた。


「っ!」


ぎょっとなって身を乗り出した宗方の耳に聞こえてきたのは小さな寝言。


「・・むな・・・かた」


掠れた呟きは無防備すぎる響きで宗方の胸に突き刺さった。


「・・名前で呼べよ、そこは・・」


必死に言い返した表情は、自分でも驚く位緩み切っていた。


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