第42話 Love Affirmation remedy
「熱測れよ」
差し出された体温計を見て、美青は即座に顔を顰めた。
いつの間にか用意されていたらしい。
「薬飲んで寝たら直る」
大事にするなとひらひら手を振って、布団に潜りこもうとしたら、あっさりと引っ張り戻された。
腕力で宗方に勝てるなんてこれっぽっちも思ってないから、しぶしぶ脇に体温計を挟む。
微熱でも数字を見ると、一気に倦怠感が増すししんどくなるので嫌なのだが、宗方は頑として譲らない。
「それで渋るなら、耳で測れる最新式のやつ買ってくるからな」
まるで母親のような口煩さだ。
もう少し元気なら、煩い、と冷たく言い放てるのだが、今はとにかく頭が痛くて怠い。
言い合いをする気力も体力も無い。
恋人相手に意地を張っても仕方ない事とは思っているのだが、一人が長いとどうしても自我が強くなる。
「分かってる、これ以上面倒はかけないから」
ぼすん、と枕に頭を下して目を閉じる。
横になったら眩暈は収まったから、気分は悪くはない。
気圧の変化が激しくなるたび襲ってくる体調不良に悩まされるのは女性が殆どと聞く。
実際宗方も、フロアの他のメンバーもケロリとしている。
美青にしてみれば信じられない。
この響くような重たい頭痛も、椅子に座っているのも辛い倦怠感も知らずに生きているなんて、羨ましすぎる。
数秒後、後ろ頭に手を回した宗方が、慎重に頭を持ち上げてそっと枕の位置を直してくれた。
無骨な手から想像もつかない位優しい手つきに、気持ちが緩む。
こういう繊細な所がある人だなんて、付き合うまで知らなかった。
丁寧に髪を梳いて整えた後、きちんと肩まで布団を覆う仕草は慣れたものだ。
慣れさせてしまったのだ、と思った矢先に、会社にいる時よりずっと優しい宗方の声がした。
「いや、面倒はどんどんかけてくれ。むしろその方が俺は嬉しい。
そりゃあ、美青が元気なのが一番いいけどな。
ひとりの部屋で倒れてるんじゃないかと思うとぞっとする」
「いや・・・さすがにそれは無いから」
最悪救急車位は呼べるだろう、と思ったが、言ったら物凄く悲しそうな顔をするんだろうな、と簡単に想像できた。
「いっぺんお前も俺の気持ちを味わってみりゃいいよ」
言い合いした同僚が目の前でぶっ倒れたら、そりゃあ血の気引くだろう。
あの時の事を思い出すと、未だに胸がぎゅううっとなる。
未熟で浅はかで、どうしようもなかったあの頃の自分が情けなくなる。
「ごめん・・・悪かったから・・泣かないで」
回らない頭で言葉を紡いだら、何だか違う単語が混ざってしまった。
「馬鹿!泣かねぇよ」
うん、そうでした、この男が泣くわけない。
ピピっと鳴った体温計を宗方の前に差し出す。
「微熱だな・・・冷蔵庫何があったかな・・とりあえず、さっき調達して来たゼリーでも食べとくか?そっから薬飲めよ。いつもの鎮痛剤でいいのか?」
いつの間にか勝手知ったる彼女の家になっていた宗方は、美青よりも台所に立っている時間が長い。
週末の度にやって来ては、覚えた料理を披露して美青を楽しませる。
お店開けるんじゃないの?と褒めたら、まんざらでもなさそうだった。
料理は気分転換にもなるから丁度いい、と語る彼の器用さには感心してしまう。
「ゼリー何があるの?」
興味が出て尋ねたら、宗方が嬉しそうに目を細めた。
「お、食欲あるのか?」
「無いけど、一口二口なら食べたいなと思って」
「飽きたら困ると思ったから、何種類か買って来たぞ。
見てみるか?
えーっと・・・マスカットに、オレンジ、桃とパイン・・マンゴー・・」
「ねえ、毎回思うけど買いすぎだから」
「お前が食べたいものが無いと困るだろ」
必要経費だとあっさり言ってのけた彼氏様の優しさに感謝しつつ、マンゴーが食べたい、と伝える。
美青の額の髪を避けて掌を当てた宗方が、ホッとしたように笑みを浮かべた。
「オレンジっていうかと思ったのに。今日は重症じゃなくて良かったよ」
「・・どういう基準なの?」
ゼリーの種類でどうして判断出来るのか分からない。
不思議そうな顔をする美青を見下ろして、宗方がベッドに頬杖を突いた。
枕に広がる髪を指で弾く仕草がやけに様になっていて、それに気づいた自分に恥ずかしくなる。
「んー?お前、本当に具合悪い時は、味の無いものほしがるだろ?最終系は水か炭酸水になるけど、その前にさっぱりしたものしか受け付けなくなる。マンゴーゼリー食べたがる位なら、明日には回復してるな」
「あんたはあたしの主治医なの・・・」
宗方の面倒見の良さは身を以て知っていたつもりだったが、ここまでとは思わなかった。
「なんだ・・・主治医にしてくれるのか?」
「医師免許持ってないでしょうが・・」
「そんなもん無くても、お前の体調の事なら大体分かるぞ」
胸を張って威張る宗方を睨み付けるものの、反論できない。
最近では、美青の不順がちな生理予定日まで把握しているのだ。
恐ろしすぎる。
200%の恥ずかしさを我慢して、なんで!?と詰め寄ったら、体温と体調、それから機嫌と答えられた。
生理前の体温変化と、急に襲ってくる頭痛、それに伴う美青のイライラ具合で見分けているというのだ。
宗方以外の男を知らない美青は、それが一般的な男性の感覚なのか確かめる術がない。
間宮あたりに聞けば、一発で解決しそうだが、尋ねるのが怖い。
祥香には尋ねるまでも無いだろう、あの平良の事だから完璧に周期を把握している気がする。
つい先日も、祥香が洗濯する為に持ち帰ったひざ掛けを忘れて来た時に、迷わず自分の上着を差し出していた。
飲み会でも、エアコンの直接あたる席には女性を座らせない気遣いが出来る男だ。
いや、でも、宗方と平良さんは別枠って菜々海が言ってたな・・・
美青としても、この過剰な過保護っぷりが普通の恋人のあるべき姿だとは思っていない。
自分が、人よりちょっと虚弱体質だという事は理解しているし、それに対して宗方が過度に心配する事も理解している。
けれど、美青が平気な振りをしても宗方は見抜くし、それだけでなく、平気な振りをした美青を詰る。
それが面倒くさいと気付いてから、具合が悪い時には素直に甘える事にした。
それが結果このような形に収まる事になって、だから美青は体温計を手渡される事に慣れてしまったのだが・・
あれこれ思い悩むうちに眉根を寄せていたらしい。
眉間の皺を太い指で優しく撫でた宗方が、諭すように言った。
「なんか色々考えてるみたいだな・・?しんどい時に頭使うなよ、スプーン取って来るからちょっと待ってろ」
「あ、スプーン真ん中の」
「場所は分かってるよ」
食器の場所もちゃんと把握しているのだ。
「宗方・・・」
つい会社にいる時と同じ呼び方をしてしまう。
宗方は平然と美青の名前を呼ぶが、美青はそうはいかない。
呼ぼうと思っては飲み込んで、息を吸っては吐き出して、と繰り返して、結局慣れ親しんだ苗字を呼んでしまうのだ。
「もう家だろ?なんだ」
振り向いた宗方の顔はいつものように不機嫌ではなかった。
美青がつい呼びかけてしまった事を気付いていたのだ。
その表情が穏やかな事に安堵して肩の力を抜いてしまう位、心を許している。
いつからそうかなんて、もう分からない。
他人が自分の領域に居座るなんて、考えられなかったはずなのに。
こうして同じ空間に居てくれることを喜んでいる。
むくむくと恋愛している実感が湧き上がって来て、胸がざわつく。
平常運転の自分なら、仕事にかまけて見ないふり出来るのに、こうしてベッドの中に入っていると、手持無沙汰だから、心の機微に敏感になるしかない。
冷えていた指先が、ゆっくり熱を取り戻していく。
恋愛という血液が、体中を巡り始める。
ふと視界に入ったカレンダーを見ると、そろそろ体調に変化が訪れる時期だった。
恋愛すると女性ホルモンのバランスが良くなるというのは本当らしく、予測不可能だった周期も少しずつ落ち着いてきていた。
「お茶も飲みたい」
「冷たいのでいいのか?あっためてやるけど?」
「ペットボトルのそのまま持って来て。枕元に置いとく」
「紅茶・・じゃない方がいいよな。ほうじ茶だったっけ?入ってるの・・」
夜中に目が覚めた時に水分補給はした方が良い。
「うん、たぶんほうじ茶」
冷蔵庫を開けた宗方が、中を確かめて未開封のペットボトルを持ち上げた。
「うん、あった」
美青の台詞に頷いた宗方が、もう一つ付け加えた。
「美青。俺、泊まってくから」
「いいよ、帰って。明日も仕事だし、早番でしょ?」
「平良に代わって貰った」
「重症じゃないから」
「心配だから泊まっていく訳じゃない、って言ったら泊めてくれるのか?」
どこでも眠れるという宗方は、ラグの上に毛布一枚で熟睡してしまえる。
それにベッドが狭い、という言い訳はもう出来ない。
宗方は器用に美青を抱きしめて居心地よい寝床を作ってしまうから。
「あんたがそうやってあたしを心配してばっかりいるから、菜々海が色々茶化すのよ」
「お前は、他人に弱み見せないから、こういう所見られるのは彼氏の特権だと俺は思ってる。だから、間宮が呆れようがネタにしようが、どうでもいい」
「・・好きにすれば」
照れ隠しで素っ気なく言い放つと、宗方が笑って答えた。
「言われなくてもそうするよ」
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