第41話 Love Affirmation  春告草

「これ、やるよ」


仏頂面を少しだけ柔らかくして、宗方がペットボトルを差し出した。


「え、なにくれんの?」


貸出IDの申請が立て込んでいて、顔も上げずにキーボードを叩きながら返事をした美青に、宗方がそうだ、と答えた。


ちらりと視界の隅に映ったペットボトルのパッケージは見た事の無いもので、いつも美青や宗方が選ぶ種類とは明らかに様相が異なっている。


小花模様が散りばめられたいかにも女子が好きそうなデザインは、絶対に美青も宗方も選ばない。


「どーしたのよ・・なんか気を遣わせた?」


言ってから、いや、いつも気は遣われてるか、と思い直す。


宗方が美青の体調を気にするのはもう今に始まった事ではない。


少し美青の顔色が悪ければ貧血を疑って、頬が紅ければ微熱じゃないかと眉をひそめる。


つい先日、社員だけがフロアに残った平日に、飲みに行こうと繰り出した馴染みの居酒屋で、いつの間にか平良と宗方のデレデレっぷりが酷い、という話題になった。


『もう美青姉さんが居なくても心配だし、居たら居たで気になってしょうがないんですよ!宗方兄さんは、平良さんとはまた違ったタイプの心配症なんですよ。まあ総じていえば、どっちも面倒でどっちもちょっとウザいってとこが似てますね!あっはっは!!愛情が重たい!とにかく重たい!機械相手の仕事に長く就いてると、対人への愛情表現の加減がわかんなくなるんですかね?どっか絶対ネジ飛んでますもん絶対!』


久しぶりにぐでんぐでんに酔っぱらうまで飲んだ間宮が、大の男二人を前に、目を据わらせて延々と管を巻いて説教する様はなかなか見ものだった。


間宮がテーブルに頬杖を突いて


『宗方さぁん!!平良さぁん!!はい集合!』


と体育教師のように手招きした時点で、嫌な予感を覚えてすぐさま席を移動した美青は、離れたテーブルから聞こえて来る間宮の一般的な恋愛論に、ご意見ごもっとも、と何度も頷きそうになった。


幸いなことに、祥香はこの飲み会に不参加で先に帰宅していたので、間宮に真剣に詰められてしょげる様を可愛い彼女に見られなかった事だけは良かったと思う。


百年の恋も冷める、とまでは行かないが、年下の後輩から駄目だしされる彼氏の姿何て見たくないだろうし。


まあ、見た所で恋愛補正でどうってことなかったかもしれないけど・・・


イケメンが真剣に後輩に恋愛相談している様子を眺めながら、ちびちび酒を飲んでいた美青は、その後に矛先が宗方に移って、死ぬほど居た堪れない気持ちになった。


間宮からすれば、美青も、祥香も、平良も、宗方も、皆普通の枠からちょっと外れているらしい。


いやいや、そういうあんたが一番ぶっ飛んでるんだからね!と言い返したくなるが、いかんせん恋愛に関しては間宮の方が経験値が豊富だ。


これまでのお洒落恋愛を加えるなら、平良のほうが百戦錬磨だが、彼にとって祥香はまさに初恋みたいなものなので、追いかける恋愛に全く慣れていない。


そして、同じく人並みに恋愛はして来たが、相手が美青というだけで何もかもが上手くいかない宗方の不機嫌顔が、だんだん恨めし気な表情になって、間宮の話の合間に、何度から振り返って手招きされたけれど頑として席を立たなかったのは大正解だったと自負している。


芹沢からは


『ほらー彼氏様が呼んでるよ?行ってやれよ。あいつは橘に構って欲しいんだよ。いっつもお前が素っ気ないから、捨てられた番犬みたいになってるんだぞー』


とにやにやしながらからかわれたけれど、そこで頷いて従うような女ではない。


素無視を決め込んで平然と酒の追加を頼んだら、さすがに宗方がそれ以上は飲むな!とテーブルから突っ込んで来た。


そんなこんなな飲み会から2日。


会議と他部署のサポートが重なって、宗方とフロアでまともに会話すらしていなかった。


最低限のメッセージのやり取りはしていたし、最近美青は体調を崩していないので、特に宗方を頼りにする事も無い。


いや、体調管理で付き合ってるわけじゃないんだから、もうちょっと愛想よくしといたほうが良かったかな、とは思うものの、いざ文章を考えると気持ちが萎えるのだ。


相手の機嫌を伺ったり、媚びたりする自分に違和感しか覚えない。


『それは甘えるという彼女だけに許される特権であり、隠し技ですよ!美青姉さん!』


と間宮から突っ込まれそうだが、その技が超難易度が高いのだ。


それはもうエベレスト級に。


だから、いつもお疲れ様。おやすみさない。という定期連絡になる。


味気ないとは思うが、ここで♡を入れるとそれこそ宗方が違和感を覚えるのではと身構えてしまうのだ。


恋愛って本当に難しい。


だって相手の心がちっとも読めない。


キーボードを打つ手を止めて、宗方に視線を向けると、真顔で見下ろされた。


「・・・俺だってお前の事はちゃんと見てる」


「え・・?」


そんな話をしていただろうかと首を傾げる美青に、宗方がばつが悪そうに首を振る。


「いや、だから、これはやる」


差値最下層の美青も理解した。


「はあ・・・うん、ありがとう。貰っとく」


ペットボトル受け取った美青を見届けて、ホッとしたように宗方がフロアから出て行く。


手元に残ったそれを見ると、甘さ控えめ梅ジュースと書いてあった。


なんで梅なの・・・?


梅ドレッシングは好きだし、柑橘類も好きだけれど、一緒にいる時に梅ジュースを飲んだ事なんて無い。


疑問符が増えていく中で、さっきの自分の間違いに漸く気付いた。


『恋愛は相互理解がまず第一なんですよ!』


間宮大先生の名言が頭を過る。


これは、きっかけだ。


立ち上がった美青は、宗方を追ってフロアを飛び出した。


煙草を吸いに行くのならエレベータホールに向かうはずだ。


廊下を出てすぐに広い背中を見つけた。


「宗方!」


呼び掛けるとすぐに足を止めて振り向いてくれる。


美青を認めて相好を僅かに崩したその表情に、胸が疼いた。


いま、確かにちょっとだけ嬉しかった。


多分、こういうのを積み重ねて、恋愛していくのだ皆。


「どうした?」


走って来た美青の顔色を先に確かめた宗方が、穏やかに尋ねる。


具合が悪い人間は走ったりしないから、その事に安堵したのだ。


仕事のトラブルを心配するより先に、美青の体調を気遣うのが最近の宗方の日常になっていた。


そうさせている事に申し訳なさばかりを感じてしまうのだが、間宮に言わせれば、それすらも”彼女様の特権”という事になるらしい。


有効活用せよと言われても困るのだが、何となく意味が分かった気がした。


「梅ジュース、ありがとう。あのさ、なんで梅なの?」


本当はさっき訊かなくてはいけなかった台詞だ。


「ああ・・美青、お前さ、春告草って知ってるか?」


「なにそれ、薬草?」


ヨモギみたいなものかと首を傾げた美青に、宗方がうんうん頷いた。


「・・・だよな」


「え?なにが、っていうかその草が何なのか説明してよ」


「梅の事なんだと」


「え、梅って春告草って言うの?」


「そうらしい。俺も平良から聞いたんだ。春の訪れとともに咲くからなんだろうな」


宗方の口から春の訪れ、なんて言葉が出ると可笑しく思えてしまうが、彼の真面目な表情を見ていると突っ込むのも躊躇われる。


花の名前は勿論、季節の移り変わりを楽しむような相貌をしていない、強面の男が、似合わない女子力満点の梅ジュースなんて買って来たのは、全て恋人の為なのだ。


これが平良なら、ああ、やりそう、と思うが、宗方だと俄然本気度が増す。


こちらも心して受け止めなくてはならない。


「へー・・あの人ほんと女子好みのネタ仕込んでるな」


「あいつが、今井さんに梅ジュース買ってやったっていうからさ」


憮然と答えた宗方の逞しい腕をぺりしと叩く。


まるで子供みたいだ。


「何張り合ってんのよ」


「張り合ってねぇよ。


お前甘酸っぱい味好きだろ?さっぱりしてるし、気に入るかなと思ったんだよ」


拗ねた口調で言われて、思わず緩む頬を抑えきれない。


こういう時素直に笑えない自分がもどかしい。


「それで・・ありがとう。心して飲むね」


「いや、そんな大したもんじゃねぇし」


もう二度とあなたから貰ったものを突き返したり、他の人にあげたりしません、と心に誓う。


「菜々海が言ってた事は、えーっと・・その、話半分にしか聞いてないから・・・あの、普通がどうとかじゃなくて・・・そもそもあたしが、普通の女子ではないわけだし・・・こういうややこしい所もひっくるめて面倒見て貰えるのは、凄く有り難くて、いや、ちゃんと申し訳ないとも思ってるけど!


だから、面倒臭がらずに、これからも・・お付き合いください」


途中から契約更新のお願いみたいになってしまったけれど、とりあえず自分の気持ちはある程度言葉には出来た。


ほっと胸を撫で下ろす美青をまじまじと見下ろして、宗方が鋭い眼差しを向けて来る。


「なに・・なんか失敗した?」


「失敗はしてない。むしろ大成功だ。


それはあれだな、俺の事が鬱陶しいとか、重いとか、面倒くさいとかそういう事は一切思ってないって事だよな?」


「いや、しつこいのは最初からだし、重い軽いってあたし他を知らないから、面倒くさいのは明らかにこっち・・だし」


あれ、これでは告白だと美青が気付いた時には、宗方の顔が今まで見たことが無い位緩んでいた。

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