第40話 Love Affirmation  前後逆

「ねえ、これどっちが前に出してくれたやつ?」


差し出した二本のドレッシングを一瞥して、宗方が左手の瓶を抜き取った。


明らかに不機嫌だ。


「なに?何を怒ってんのよ」


さも鬱陶しそうに言った美青が、残った瓶を陳列棚に戻した。


金曜日の午後8時過ぎのスーパーは、閑散としている。


残業を終えて、帰り道に立ち寄るとどうしてもこの時間になる。


休みの度に美青の部屋に上がり込んでいる宗方が、いつの間にか冷蔵庫の食材の在庫まで把握していたのには驚いた。


美青の部屋は宗方の部屋と比べるとかなり手狭だし、ふたりで寛ぐほどのスペースもない。


それでも宗方がやって来るのは、美青が宗方の部屋に行くのを嫌がるからだ。


宗方の部屋が嫌いとか、そういう理由ではない。


これは何度も本人に説明した。


宗方の部屋だと、自分の居場所が見つけられずに落ち着かないのだ。


どこに行っても宗方の匂いとか、気配がして、常に緊張してしまう。


極め付けは宗方のベッドだ。


寝心地云々ではなく、あのベッドで横になると、まるで宗方の腕の中にいるような錯覚に陥って、眠れなくなる。


普通の恋人なら、彼氏の部屋で過ごす週末に胸をときめかせるのだろうが、生憎、美青は普通の感覚を持った恋人ではない。


眠れない、落ち着かない➡発熱でダウン。


という経緯を辿ってから、宗方が美青の部屋に来るのが定例化した。


美青も、自分の部屋だと緊張せずにいられるし、面倒くさがり且つ偏食な自分の体調を気遣ってくれる宗方の存在はありがたい。


が、只でさえガタイが良くて、ゴツい印象の彼が、思い切り眉間に皺を寄せているとかなり怖いし、威圧感があり過ぎる。


「可笑しいだろ!?」


「は!?なにが?」


いきなり詰められた美青はたじろいで一歩後退った。


「何で俺たちより後に付き合い始めた平良と今井さんが同棲してて、俺たちは一緒に暮らしてないんだよ!」


「は?そんなとこ!?」


「そんなとこってなぁ」


宗方があからさまに傷付いた顔を向けてくる。


さらに鬱陶しい。


「それはしょうが無いでしょ?今井ちゃんの部屋は水漏れで住めなくなったんだから!やむを得ず平良さん家に厄介になってんでしょうが」


先日、つき合い始めました報告を受けた内輪の飲み会で、ふたりがすでに一緒に暮らしている事を聞いた。


当たり前のように平良の隣に座らされた祥香は、終始赤くなって俯いていて、それがさらに信憑性を増していた。


「お前、本気でそれ言ってんのか?」


「だって平良さんがそう言ってたじゃない、こないだの飲み会で!」


平良が相当強引に持っていった同棲のようだが、微笑ましい祥香とのやり取りを見ていると、お似合いな気がした。


あれほど平良が追いかけた女の子は、祥香が初めてだ。


宗方が眉間の皺を深くした。


「水漏れの一時しのぎで部屋引き払わせるか!」


同棲に至った詳細なんて興味がない。


どうしてそこまで平良と祥香の恋愛事情に目くじらを立てるのか。


お付き合いの形は人それぞれだ


「今井ちゃん実家県外だし、あの子は正社員じゃないし、すぐに引っ越しとかも無理だろうから、平良さんが気を回したんでしょ」


祥香の年齢で独り暮らしと聞けば、纏まった貯蓄が無いことくらい想像がつく。


可愛い彼女が困っているのに、平良が放っておく訳が無い。


「気を回したんじゃなくて、囲い込んだんだよ」


「まあ、そうかもしれないけど、結果的にふたりが幸せならいいじゃない。今井ちゃん、うちの仕事終わって、すぐ次が見つかる保証もないわけだし、平良さん年上だし、そりゃあ責任取らなきゃ駄目でしょう。あんたが言ったのよ、中途半端に派遣社員に手を出すなって。本気で狙ってるって豪語してたんだから、このままゴールインして貰おうよ。平良さんが結婚したら、飲み会に身元不明の女の子たちが来ることも無くなるだろーし、あんたの悩みの種も減るじゃ無いの」 


「じゃあお前は?」


宗方からの突然の問いかけに、美青は怯むこと無く答える。


「余所は余所、うちはうち」


「は!?」


「だって!正社員だし、自活してるし、水漏れの心配もないし」


祥香と美青では、立場も給料もまるで違う。


という正論で乗り切ろうとしたが甘かった。


「いや、そういう問題じゃ」


このまま逃げ切ろうとした美青に、宗方が切り込んできた。


これはやばい。


家に帰ってまでこの会話を続けたくない。


「ツナ入りのコールスロー!」


「は?」


「こないだ食べたコールスローサラダが食べたい!見てくる!」


苦しすぎる言い訳だが。背に腹は替えられない。


「ちょ、あ!おい!」


追いかけてる宗方の声を振り切るように、美青は総菜コーナーを目指した。


宗方の事は好きだし、頼りにもしている。


けれど、一緒に暮らすとなれば話は別だ。


未だ恋人の距離感に慣れないままの自分が、四六時中同じ部屋で、彼と一緒にいてどんな風にすれば良いか分からない。


宗方の腕の中で眠る夜は、まだまだ美青にとっては非日常だ。


宗方が体調を気遣ってくれるのは嬉しいし、大切にされている実感もめちゃくちゃある。


でも、やっぱり美青にとって、ひとりの時間はすごく大切なのだ。


自分の気配しかない、自分だけの空間で、誰の目も気にせず、自分のことだけ考える時間は失くせない。


恋愛特有の緊張感や、戸惑いを楽しいと思えるほど場数を踏んでいないし、宗方のように、当たり前に接する事は出来ない。


思ったことをつい宗方に返してしまう美青だけれど、これでも、後で反省することはよくあるのだ。


美青の緊張が増して、宗方の料理回数が増える、どちらもデメリットしかないのに、なぜ宗方はこうも一緒に暮らそうと迫るのだろう。


平日だってほぼ毎日顔を合わせているのに、わざわざ一緒に暮らす事無いでしょ。


“家に帰ったら、可愛い彼女が待ってるんだよ?

そりゃあ飲み会なんか行かずに真っ直ぐ帰るでしょ“


先日の平良の惚気話が甦る。


いや、でも、あれは相手が今井ちゃんだし。


何てゆーか、あの子は良妻賢母の鑑みたいなきちんとした女の子だし、可愛いエプロン付けて美味しい手料理作って、平良さんの帰り待ってそうだもん。


大事にしたくなる女の子だ。


虚弱体質で繊細なイメージを持たれがちだけど、あたしは、か弱く無いし儚げでもない。


そういう周りが放っておけないオーラを出せた試しがないし、出したくも無い。


極力他人と関わらず、煩わしい事とは無縁で生きていたい人間なのに。


こんな面倒くさい女のどこがよかったんだろう。


自分でも時々自分に愛想尽かしそうになるのに。


この会社に来て、宗方と関わってから、人見知りはだいぶマシになったし、愛想も僅かに覚えた。


恋愛したら、もっと劇的に自分が変わるかと思ったけれど、頑固者の自分の価値観はそう簡単には変わってくれない。


好きな人がいても、譲れない事は沢山ある。


総菜コーナーには、美青の好きなサラダの盛り合わせや、カルパッチョもある。


ポテトサラダとコールスローサラダと、マカロニサラダのセットに手が伸びたところで、宗方が追いついてきた。


「お前の好きなのあった?」


いつも通りの口調だったから、気が緩んだのだ。


「・・あんた、あたしと一緒にいたいの?」


振り向いて一番に口にしたのは質問。


真顔の美青を見下ろして、宗方が頷いた。


「だから、一緒に暮らそうって言ってる」


「今井ちゃんと平良さんのとこみたいな新婚ごっこは出来ないわよ」


あのふたり、というか平良は異常だ


もう完全に祥香をお嫁さんだと思っている。


この間まで、飲み会で別部署の人間から祥香のことを尋ねられたら、うちの子、と答えていたのに、最近では、俺の子、と答えるようになって、その度に祥香は縮こまり、平良目当ての女性陣は興味津々の様子で平良に詰め寄るという事態が発生していた。


女性陣からの遠慮無しの明け透けな質問にしどろもどろする祥香をフォローしつつ、しっかり独占欲を見せつける平良のあしらいが見物だ。


あたしはあんな風にオロオロしないし、むしろ視線で黙らせるし。


そもそも宗方は、自分の恋愛をネタにされるのが大嫌いなので、この手のやり取りは皆無だ。


今井ちゃんの半分の可愛いさも持ち合わせてない。


「俺もあれは求めてない」


「そのうち嫌になるわよ、きっと」


手間だけ掛かって懐かない女なんて。


「俺はお前に関しては結構耐性ついてると思うけど。なんだ、そんな事心配して同棲嫌だって言ってるのか」


「だって、四六時中一緒って落ち着かないし」


言っては駄目だと思うのに、つい遠慮なしに本音をぶちませてしまう。


恋人から落ち着かないと言われるなんて、相当ショックだろうと、祥香が恐る恐る宗方に視線を向けると、意外にも彼は平然としていた。


「それ、俺が美青の部屋に通い始めた頃にも言ってたな」


ああ、そういえばそうだった。


「急かしたのは悪かった。でも、俺の心積もりくらい、聞いておいてもいいだろ?平良が今井さんに本気だって言った以上に、俺だってお前とのこときちんとしたいと思ってるし、今後の事も考えてる」


「それは、はいもう、分かってます」


最初から、そういうつもりだった事も知ってて、けど、敢えてその手の話題は避けてきた。


今はまだ、このままでいたい。


「ならいい。とりあえず食材は選んだから、お前の好きなサラダ買って帰ろうな」


差し出された宗方の大きな手をそっと握り返して、美青は小さく頷いた。

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