第14話 Love Affirmation 謎解き前のお叱り
「あら、フラれたの?」
ホテルのロビーに戻った甥っ子の顔を見るなり、葉子は目を丸くした。
げっそりと肩を落とした姿は、ここに駆け込んできた時とはまるで別人だ。
哀愁漂う淋しげな表情そのままで、宗方は叔母を見つめて溜息を吐いた。
「もー頼むからそっとしといてくれ・・葉子おばさん」
「ええ?なあに、剛ちゃん、ほんとのほんとにフラれたの!?」
力なく、美青が座っていた椅子に腰かけた宗方を食い入るように見つめながら、葉子が手際よく傍に居たウェイターを呼ぶ。
コーヒーをふたつ注文して、ぬるくなった手つかずのカフェオレは下げて貰った。
ついさっきまで、ここに美青がいた事をふと思い出して、さらに気持ちが沈み込む。
「あのお嬢さん、ちょっとこれまでの彼女と違うタイプみたいねぇ。剛ちゃん、手間のかからない可愛い女の子が好きなのに」
親戚にまで、自分の好みのタイプがばれていることに愕然としつつ、宗方は背もたれに身体を預けた。
さっきのやり取りで、宗方の真意は見事にばれてしまっていた。
昔から近所の井戸端会議の中心人物で、町内の事は何でも知っていると噂される世話好きおばちゃんだ。
母親が急逝して暫くは、家事を手伝いに宗方の家を訪れていたので、何度か彼女と鉢合わせする事があった。
仰る通りですおばさま。
心の中でひっそりと同意する。
学生時代から好みはとくに変わっておらず、社会人になってからも、人当たりの良い、家族受けする”感じの良いお嬢さん”を恋人にしてきた。
ここまで自分の好みにすらかすらない相手を好きになったのは初めてだ。
放っておけばろくに食事も摂らないし、人当たりどころか、他人と関わる事さえ面倒くさがるし、抱き心地はさっぱりよろしくない。
でも・・あの心許ない華奢な柔らかさが、物凄く欲しくて堪らないのだ。
「手間・・・は・・・まあ、かかるけど」
「かかりそうねぇ」
「いや、でもそこが橘らしいっつーか・・・じゃなくて!」
思わずうんうんと相槌を打ちかけた宗方が、慌てて身体を起こした。
「橘を無理に連れ出すとか・・・勘弁してくれよ」
「だって、剛ちゃんがまるで中高生みたいにオタオタしてるから」
「・・・オタオタって」
「ええ、だってそうじゃなぁい?好きな相手を知られたくないから、いつばれるか分からないような適当な嘘吐くなんて、剛ちゃんらしくないでしょう?いつものあなたなら、もっと巧妙に隠したでしょうに。まるで0点の答案用紙机の引き出しに隠すみたいな、雑なやりかた」
もはやぐうの根も出ない。
宗方は額を手で覆って、だから知られたくなかったんだよ、と呟いた。
「こう言っちゃなんだけど、お見合い相手のお嬢さんのほうが格が上よ」
「おばさん」
「いいじゃない、年頃の女性が二人いたら、比べるのは仕方のない事でしょう。あちらのお嬢さんは、きちんと夫を立てて、家庭を守る、理想のお嫁さんになると思うわ。剛ちゃん好みの”いいお嬢さん”なのよ。結婚は契約で、生活よ。しっかりした娘さんを貰う方が、絶対に楽なの」
「・・・楽かどうかで結婚するわけじゃないだろ」
「あらあら、それは若いからそう思うのよ。面倒見のよいあなたの事だから、ちょっと毛色の違う橘さんが珍しくて、あれこれ気にかけてるのかもしれないけど。そのうち飽きるわよ。昔みたいに、お弁当作って甲斐甲斐しく世話焼いてくれるお嬢さんを選びなさい、得だから」
「いやだから、得とかじゃなくて・・」
もう何を言っても2倍の説得が返ってくる事は分っていた。
美青が、これまでの彼女と全然違う事はもう十分分かっている。
でも、彼女がいいのだ。
理由なんてない。
自分にどれだけ尽くしてくれるかなんて関係ない。
ただ、美青を目の届くところに置いておきたいのだ。
あの日以来、美青の心配をするのは自分の義務のような気がしていた。
その義務が、いつの間にか使命感に変わり、気づけば好きになっていた。
彼女の世話を焼くのは、自分以外にはあり得ないとさえ思っている。
こちらが不安に思う前に、安心させるように微笑んでくれる女の子は確かに楽で扱いやすい。
恋愛を楽しむには持って来いのタイプだろう。
けれど、恋い焦がれるかと言われれば、答えは否だ。
気持ちが見えないから、知りたくなる。
振り向かないから、追いかけたくなる。
何とかして、美青の視界に入りたくて、もうそのことばかりが頭を巡る。
そういう、馬鹿みたいな”片思い”に一喜一憂するのは初めてで、物凄く新鮮だった。
それを今更、お手軽な誰かに乗り換えようなんて到底思えなかった。
「面白がってるだろ、葉子おばさん」
「そんなことないわよう。剛ちゃんの片思いに興味があるだけよ」
「それを面白がるって言うんだよ」
「じゃあ、何が何でもお見合いしないって言うのね?」
「そうです、しません。会いません」
「そう・・・あーあー残念だわぁ・・・剛ちゃんのお嫁さんとお着物選んだり、御抹茶立てたりしたかったのに。まさか、あっさり告白してフラれるなんて・・・きっとさとちゃんも天国で不甲斐ない息子を嘆いてるわ」
「母さん引き合いに出すのやめてくれよ!」
「だって仕方ないでしょう?うちの息子はアメリカと北海道なんだから!!もう剛ちゃんしかいないのよ!!」
葉子が口惜しげにハンカチを握りしめる。
長男は、アメリカ支社に栄転し現地女性と国際結婚。
次男は、酪農好きが高じて、北海道の酪農家の娘と結婚してそのまま入り婿になった。
手元に子供は残らず、唯一可愛がれる宗方だけが頼りだったのだ。
女の子が欲しかったと未だにグチグチと言い募る葉子の夢は、可愛いお嫁さんと連れ立って買い物に出かけたり、お稽古に通う事だった。
「・・・それを俺に期待されても」
百万が一、大逆転が起こって宗方が美青と結婚できたとしても、買い物やお稽古には通えそうにない。
提案した所で、心底嫌そうに拒否されるだろう。
そんなところまで瞬時に予想して、宗方は深々と溜息を吐いた。
いや、その前に・・・フラれたのだ。
「いつの間にこんな薄情な子に育っちゃったのかしら」
大げさにしょげて見せる葉子が、フラれたなら、諦めてお見合いしなさいよ、と言い募る。
宗方は頑なに首を振った。
「フラれた・・・けど・・・諦めたわけじゃねぇから」
「やだ!しつこい男は嫌われるわよ、剛ちゃん!」
「ぐっ!」
「お付き合いできません、って言われたなら、そこはいさぎよく身を引きなさい、男らしく!」
「そこまではっきり言われたわけじゃ・・・電車が来たからって逃げられただけで」
「ええ?なあに、返事も貰えずにじゃあさよならって?」
「・・・まあ・・」
「無かったことにしたかったってことじゃない、そんなの!」
「ええ!?そんなに嫌だったのか!?」
「付き合って欲しいって言ったのに、電車が来たからさよなら、って言われたんでしょう?なら、そういうことでしょうに。聞えなかったふりして、帰っちゃったんでしょう、橘さん」
「付き合ってって・・・言ったわけじゃ」
「え?ちょっと剛ちゃん、あなた何て告白したの?はっきりおっしゃい!」
「いや、だから・・・前から気になってたって・・・だいたい、そういう雰囲気で分かるもんだし・・」
「・・・そんな告白とも取れない中途半端な言い方で、相手に何か伝わると思ってるの、剛ちゃんは!ちょっと、そこに座りなさい!!」
「いや、もう座ってるけど」
「いいこと?仮にも成人男子が、意中の相手に思いを伝えるのに、そんな遠回しな言葉じゃいけません。無かったことにされても当然です。全く男らしくない!!!」
「うぐっ!!」
ついさっき、美青に言われたセリフと同じだ。
さすがに強烈なパンチを食らった気分になって、宗方は天井を仰いだ。
返事をする価値も無い、そう取られたのだろうか?
でも、どう考えてもあの時の彼女は明らかに動揺していた。
俺の気持ちがあいつに向いてるって、全く想像だにしてなかったからこその、動揺だと思ったのに・・・
有り得ない位遠回しな告白に、呆れていたのだろうか?
いや・・・でも、そんな恋愛経験があるとは思えない。
というか、あって欲しくない。
昔の男にまで嫉妬するつもりはないが、面白くないのは事実だ。
「これまであなたは、好きだって言ってくれる相手を選んできたんだから」
「・・・なんでそこまで」
「彼女を見ればわかるわよ、それくらい。剛ちゃんが好きというよりは、相手のお嬢さんが、剛ちゃんを追いかけてやっと付き合えて嬉しくてしょうがないです、っていう顔してたもの。あなたも、そういう分り易い愛情表現に鼻の下伸ばしてたじゃない」
「・・・あーソウデスネ・・」
好きだと言われて悪い気はしない。
大学時代、学部で1、2位を争う美人に告白されて、逆上せ上がった頃もあった。
「そういう相手なら、剛ちゃんの言わんとする事をきちんと理解して、頷いてくれるでしょう。
でも、あの橘さんはどう考えても剛ちゃんをただの同僚としか思ってないじゃない。そんな相手に、遠回しな表現で告白しようなんて考えが、そもそも甘いのよ!!!」
ガツンと殴られた気分だった。
宗方は言い返す事も出来ず、温くなったコーヒーを飲んで眉根を寄せるしかなかった。
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