第11話 Love Affirmation 誤解
「・・・あの・・宗方」
長いエスカレーターは無人で、だから特に問題が無いと言えばないのだが、それでもやっぱり躊躇われて、美青は隣を見上げた。
「なんだ」
生返事を返す宗方は、さっきから明後日の方向を見つめたまま難しい表情で何やら考え込んでいる。
素っ気ない返事に美青はむっと眉を吊り上げた。
勢いよく彼と繋がれたままの右手を振り上げる。
「これ!!いつまでやってるつもり!?」
美青が逃げるとでも思っているのか、しっかり繋がれたままの手は、ホテルを出て地下通路に入ってから解かれることはなかった。
ロビーには、従業員や宿泊客が行きかっており、ちらちらと好奇の目を向けられた。
宗方はそんな事にはまるで気づいていなかったようだが。
人がいる場所で、言い合いをするのもと思い、黙っていたが、地下鉄に向かう通路は、がらんと静まり返っており、美青の声に眉を顰める人影も無い。
指摘を受けて、しっかりと握ったままの美青の手を確かめた宗方は、慌てて我に返った。
パッと解かれた手が、落ちる。
そんなに焦るなら繋がなければいいのに。
「わ、悪い!」
「・・・一本道だし、迷子になんかなんないけど」
送る必要なんてこれっぽっちもないと、言い切ってやる。
これだけ振り回されたのだ嫌味位言ったっていいだろう。
「葉子おばさんは、あの通り、ちょっと変わった人なんだ。悪気はないから勘弁してやってくれ。巻き込んで悪かった」
「まあ、電話出ちゃったのはあたしだし・・」
それにしても強引だと思うけど。
何となく気になってのこのこ出かけたこっちも悪い。
「で、お見合いどーすんの?・・・あたしには関係ないけど」
「さっきも言っただろ、断ってもらう」
「気になる相手・・・いたんだ」
同僚相手に、こういう話題を振るのは初めてだった。
宗方が誰を好きでも、気になってても、関係ない。
関係ないけど・・・
「・・ああ・・まあ・・」
解いた手を見下ろして、歯切れ悪く返した宗方が、美青の顔を見下ろした。
「気になる?」
「・・・べつに」
「何だよそれ、訊いて来たのお前だろ」
「だってさっきまでの流れを見てれば、訊かないのもヘンじゃない?」
「・・・橘さぁ」
「なに?」
「俺に彼女出来たら淋しいか?」
同僚に恋人が出来たなら、それはもう祝福するべきだ。
宗方は口煩いけれど、女性には優しいし面倒見も良い。
なかなかの優良物件だと思う。
選んだ彼女は見る目があると、褒め称えるべきだろう。
でも・・・
手放しで喜ぶことはなぜだか出来ない気がした。
「わかんない」
分りたくない、というのが正しいのかもしれない。
だって、宗方に彼女が出来たら、このままでいていいのだろうか?
認めたくはないが、あの部署で多少なりとも宗方に甘えている自覚があるのだ。
同僚だから許される線引きなんて、美青には分からない。
お茶を濁した美青に、宗方がふーんと返す。
「・・・わかんない・・ねぇ」
「それより・・・好きな相手がいるなら、その事はっきり言えば?あんたがいつまでも誤魔化してるからこういう七面倒くさい事になってんでしょ。男らしくない」
いつもの宗方なら、あっさり解決してしまいそうな問題なのに。
両方のバランスを保ちつつ、上手く交渉を纏めるのは彼の特技の筈だ。
「誤魔・・・そういうつもりじゃなくてだな・・・」
「あたしに言い訳したってしょうがないでしょ?」
「言い訳じゃねぇよ。事情説明だ」
「同じことじゃない」
「とにかく、もうそのことは忘れろよ」
「わー・・・勝手な言い分。
べつにいいけど、はいはい、忘れます。
女の子扱い出来る相手がいてよかったわね」
「・・・おい、まだそのこと根に持ってんのか」
「なによ・・・菜々海に言い付けるわよ」
これではまるで子供の喧嘩だ。
「なんでそこで間宮が出て来るんだよ。俺はお前の話をしてんだから・・・」
「っ!あれはあたしのことだったわけね!?」
菜々海のほかに、同じ部署の女性社員といえば美青しかいない。
つまり、宗方が言った”女の子はいない”は、美青を女子として見れないという意味だったのだ。
カッと頭に血が上った。
宗方を睨み付けて、精一杯凄んでやる。
「あたしのことなんでしょ!?」
詰め寄られた宗方が、視線を逸らして口元に手を当てる。
微妙に顔を赤くした彼が困ったように頷いた。
「いや・・・まあ・・・うん」
そこは謝罪するべきところであって、肯定するべきところではない。
美青の怒りが爆発した。
「っ宗方の馬鹿!もう帰るっ!」
勢いよく下の段に足を踏み下ろした美青の身体ががくんと揺れた。
「ひゃ!!」
「っぶね!」
踵が滑ったと気づいた時には、宗方の腕が腰に回されていた。
手すりに手をついた彼が、前屈みになって美青の身体を抱えている。
腕一本で助けられた事実と、すぐ背中に感じる宗方の体温に、胸の奥がざわついた。
息を飲んだ宗方が、美青の様子を確かめて、溜息を吐いた。
「お前なぁ・・・エスカレーターで暴れて転ぶとか・・子供かよ」
「暴れてないし転んでない!」
そこはきっぱり訂正しておく。
呆れた宗方の口調に、助けてくれたお礼よりも、憎まれ口が先に出てしまった。
「足捻ったか?」
ゆっくりと美青の身体をエスカレーターの上に降ろしながら、宗方が慎重に尋ねた。
「・・だ・・大丈夫・・だと思う」
そっと滑らせた足に力を掛けるが、大した痛みは無かった。
「ごめんね」
ようやく出た謝罪の言葉を受けても、宗方は美青を手放そうとはしなかった。
腰に回した腕はそのままだ。
近づいたままの二人の距離がどうにもぎこちなくて、身動ぎする。
それでも宗方は腕の力を緩めようとはしない。
「宗方・・大丈夫・・・だから」
さすがに転びかけたすぐ後で、離して、と暴れる訳にもいかない。
そこまで馬鹿じゃなかった。
美青の言葉を聞いていたのかいないのか、宗方がそのままの体勢で呟いた。
「・・・同じ部署に女子がいないって言ったのは・・・お前の事を知られたくなかったせいだ。それは・・もう・・認める。葉子おばさんに話したら、あれこれ首突っ込んで来るに決まってるから、煩わしさもあって黙ってた。学生の頃ならまだしも・・・言い合いになった女の子がそのまま倒れて・・それからずっと目が離せない・・とか、言えないだろ・・・さすがに格好悪くて」
「・・・そ・・それは、倒れたあたしにも・・原因があるっていうか・・・うん・・・理由は、分かった」
もう子供じゃない。
宗方の意地やプライドも理解できる。
美青としても、誰かとあんな風に言い合いになったのは初めてだったのだ。
いい年した大人が喧嘩なんて、親にも言いたくないのに、親戚なんて以ての外だ。
「じゃあ、もう拗ねるなよ」
なんでそんな上からの物言いなのよ、と思ったが、耳元に落ちた宗方の声が何だかすごく優しくて、反論する気が綺麗に失せた。
彼の気持ちを訊けたからかもしれない。
「・・・うん」
頷いた美青の返事に、ゆっくりと息を吐いた宗方が腰を抱く腕に力を込めた。
「・・・!?」
そこは納得したあたしを離すとこじゃないの!?
ぎょっとなって振り向くと、宗方の照れたような視線とぶつかる。
どうしてか居た堪れなくなって、ぱっと顔を背けた。
「まあ、いくら鈍いお前でも、もうバレバレだった・・よな」
「そりゃあ・・これだけあからさまに言われたらね」
こうもはっきり告げられて、自分の事じゃないと思ったら、それはもう間違いなく馬鹿だ。
「そっか・・・」
笑った宗方が、美青の頭に顎を乗せて満足そうに微笑む。
「・・重たいよ」
「お前は軽い・・・つーか、軽すぎないか?腰とか・・折れそうじゃねーか。あっという間に担いで持ってかれそうだな」
「人を米俵みたいに言うな!」
「米俵みたいには運ばないけどな」
上機嫌で答えた宗方が、悪かった、と口先だけの謝罪を口にする。
ほんとに調子いいんだから、と美青は唇を尖らせた。
長いエスカレーターも終わりに差し掛かり、ようやく宗方が腕を解いた。
生まれた距離にホッとして、なぜだか背中が少し寂しい気もして、一瞬、複雑な気持ちになる。
けれど、考えるより先に、足が地面についていた。
「もういいよ、分かったから。女の子はいない発言は忘れます。宗方が、あたしを気にかけてくれてるのも分かったし、やっぱり、あの一件を気にしてた事もわかった」
誤解も解けたので、妙な苛立ちは一先ず収まった。
振り返って宗方に、ここでいいよ、と伝える。
「あたしも、これからはもっと自己管理ちゃんとする。あんたに無駄な心配かけないようにするから」
安心して、と伝えれば、宗方が微妙な顔になった。
「おっまえ・・・さっきの俺の話聞いてた?」
思い切り疲れた顔を向けられて、美青は怪訝に思いながらもしっかり頷いた。
「聞いてたから言ってるの。馬鹿とか言ってごめんね。宗方が同僚で良かった」
地下鉄のアナウンスが、電車の到着を告げる。
「一応、おばさまにもよろしく。じゃあ、また明日ね!」
「あ、おい、橘!」
これ以上宗方を引き留めるのも悪いと思い、足早に改札に向かう。
ホームに入ればタイミング良く、電車が滑り込んできた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます