第9話 Love Affirmation 想定外
喫煙者がちらほら訪れる程度だった屋上は、数年前の緑化計画で、緑溢れるお洒落な庭園へと様変わりした。
以来、ランチを食べにやって来る社員が増え、喫煙スペースは、仕切りを立てた隅のスペースに追いやられている。
午後休憩の時間ということもあって、何人かの社員が等間隔に設置されたベンチに陣取っていた。
先を歩いていた宗方が、ふと思い立ったように美青を振り返る。
「日影のほうがいーか?」
日焼けを気にする女子が多い事を思い出した彼なりの配慮だろう。
さっきまでの空気とは打って変わっていつも通りの宗方に、反応に困ってしまう。
ついて来い、と言われてここまで来てしまったが、彼の真意が全く読めない。
いや、そもそも読むつもりなんて無いけど・・
美青はこの後の自分の身の振り方を悩みつつ首を振った。
「いいよ、べつに。こんな数分じゃ別に焼けないし」
「そういやお前日傘持ち歩かないな」
「面倒だし、どっかに置き忘れても困るから」
「その割に日焼けしねぇよな。年中白いまんま」
「あー、体質かもね」
フロアでしているのと変わりない日常会話。
ただの気晴らしがしたかったのだろうか。
降り注ぐ日差しは、暑いと感じるにはまだ早くて、日向ぼっこに最適な強さだ。
そよそよと吹く風も穏やかで、昼寝には持って来いの状況だと思う。
嫌な事も忘れられそうな青空を見上げて、美青は眉根を寄せた。
気分転換だったら一人で来ればいいのに、わざわざ自分を連れて来た理由が分からない。
けれど、これ以上何を訊けばいいのかも、どうすればいいのかもわからない。
なし崩しのまま、空いているベンチになんとなく並んで腰を下ろす。
こういう時、普通の友達ならなんと声をかけるんだろう?
黙って隣にいるだけでいいのだろうか?
次々と疑問が浮かんでは消えていく。
誰かに悩みを打ち明けたり、打ち明けられたり、なんて関係を築いてこなかったツケがこんなところで回って来るなんて。
宗方が美青を呼んだのは、少なくとも一人にはなりたくなかったからだ。
だとしたら、一緒に居てよかったと、一人じゃなくて良かったと思わせるのが、いまの自分に課せられた使命なんじゃないのか?
どうして欲しいか言ってくれればいいのに。
思わず部屋に居る時のように膝を抱えそうになって、膝丈のワンピースを履いていた事に気づいた。
「突っぱねるかと思ってた」
唐突に宗方が切り出した。
前置きナシの感想に、美青が我に返って宗方の顔を見る。
「っは?なにが」
「いや、だから、さっきの」
「え・・・」
「付き合えって言っても、なんであたしが、とかなんとか言い返されると思ってたからさ」
これまで繰り広げてきた宗方との喧々囂々のやり取りを思えば、確かにそういう答えも想像できるだろう。
宗方にどういう目で見られていたのか今更ながら自覚した。
可愛げのない同僚ね、はい、大正解。
「・・悪かったわね」
「なんだよ、怒るなよ」
「怒ってない、べつに。あんたがあからさまに困ってるって分かってるのに、そんな酷い言い方するわけないでしょ。
あたしだってそこまで冷たい人間じゃないから」
可愛げが無い事は自分でも認めるが、弱っている人間に冷たい言葉を吐き捨てるような女だと思われていた事に腹が立った。
他人にどう思われようが構わないと思っていた筈なのに、相手が同僚だからなのか、どうしても言い返さずにはいられない。
合わない所は多々あっても、仕事仲間としては信頼のおける相手だと思っていたから。
珍しく強い口調で言い返した美青を見つめ返して、宗方があっさり頷いた。
「分かってるよ。お前の事冷たい女だなんて思ってない」
「・・・あっそ」
どこか納得しきれない気持ちで返すと、宗方が眉を上げて続けた。
「分かんないだけだろ」
「・・・?」
「他人に踏み込むのも、踏み込まれるのも苦手だもんな、お前」
さらりと図星を突かれて視線を逸らす。
誰かと関わるのは煩わしいと、そればかりを思ってしまう自分の内面を見事に見抜かれていた。
弱点を突かれた悔しさと恥ずかしさで、自然と拗ねた口調になる。
「だったら・・なによ」
子供のように爪先に視線を落とした美青の横顔を眺めて、宗方が小さく笑った。
「何かしてほしいとか、慰めて欲しいとか、そういうの求めてるわけじゃねーから」
この状況に混乱している美青の状況までも、気づかれていたのだ。
「じゃあなにを!」
カッとなって言い返した美青に被せる様に宗方が口を開いた。
「傍にいてほしいんだよ」
返ってきたあまりにもシンプルな答え。
美青は目を丸くして問い返した。
「・・・それ・・だけ?」
「それだけ」
恋愛における、一緒に居てくれるだけでいい、とか言うセリフ。
全く以て理解できない。
間宮が押し付けてきた乙女ゲームの攻略キャラに
『君と会えるだけで、僕は毎日幸せだ』
と言われた時も、瞬時に浮かんだのは疑問だった。
幸せって、一体どのあたりが?
学生時代から知っている気心知れた桜や志堂でさえ、一線画して付き合っているのが丁度よいのだ。
会社の同僚がそばにいるだけでいいなんて、そんなことあるわけがない。
答えに困る美青に、宗方が呆れたように突っ込む。
「そこで悩まなくていいから、その眉間の皺をどーにかしろ」
「だって、そんなの言われた事無い!」
だから、どうしていいか分からない。
そうだ。
宗方の言葉は正しい。
経験した事がないから、正解が分からないのだ。
バグ修正みたいに、上手く行かない。
宗方といるといつもそうだ。
当たり障り無くやり過そうとすればするほど距離が縮まってきて、結局言い合いになる。
双子コーデに身を包んで街を歩く女子高生たちを眺めては、不思議な感覚に陥ったけれど、ああいう友情を経験していたら、こういう時の対処法にも悩まずに済んだのだろうか。
『君の不安は僕のものだよ』
まるで主人公の気持ち全部を理解しているとでも言いたげなセリフに、胸の内を半分こに出来る訳ないだろ、と突っ込んだ未熟者では、到底この状況を理解できるわけがない。
ここまで自分の内面が筒抜けでは、見栄を張ってもしょうがないと、珍しく素直な気持ちを口にしたら、宗方が一瞬驚いたように目を瞠った。
それから、穏やかに目を細める。
「・・そうか」
馬鹿にしたり、呆れられるかと思っていたけれど、彼の反応はそのどちらでもなかった。
むしろさっきより纏う空気が柔らかくなった気さえする。
人並みの人間関係を築いて来なかった美青への憐みかと思わず身構えた。
「え、なに、同情?」
「馬鹿。なんでだよ・・・べつに、知らない事なんか世の中に山ほどあるんだから、気にする事でもねーだろ。
分かんない事は、分かればいいし、知らない事は、知ってきゃいい。そんだけだ」
ものすごく当たり前の答え。
けれど、知らなさすぎるままで大人になってしまった、今の不十分な自分には、当たり前なんかじゃなかった。
「うん・・・」
こくんと頷いた美青に、満足したように宗方が微笑む。
ちらりとその顔を見つめ返しながら、ふと疑問が浮かんだ。
”不十分”だなんて思った事無かった。
人として欠陥がある事は重々承知していて、それでも、何かを変えようなんて、思いもしなかったのに。
なんで今になってこんな・・・
「ねえ、あたし、足りない!?」
急に不安になって身を乗りだした美青に、宗方が珍しく声を上げた。
「っはあ!?」
「だから、い、いろいろ、その・・」
「ちょっと待て、色々って、橘。何を足りないって・・・」
尋ね返した宗方のセリフを遮るように着信音が響いた。
舌打ちした宗方が、会社用のスマホをポケットから取り出す。
「やべ・・工程管理だ。ちょっと待ってな」
着信画面を確認すると、顔を顰めたまま立ち上がった。
言いかけた言葉を飲み込んで、美青は視線で頷く。
自分でも自分の気持ちがわからない。
それを宗方に訊いてどうしようというのか。
「っはー・・」
溜息を吐いたら、ベンチの隅で何かが光った。
「あれ・・電話・・・え・・」
振動しながら光るもう一つのスマホは、宗方の個人用だ。
少し先で背中を向けて話し込んでいる宗方のもとに持っていくべきか迷いつつ画面を覗き込む。
が、逆光で何も見えない。
仕方なく持ち上げると、いきなり声が女性の聞こえた。
「もしもし?剛士、さっきは話途中で電話切れちゃったけど」
「っへ!?」
画面に触ってしまったらしい。
焦った美青は、スマホを耳に近づけた。
「あら、剛士じゃない?どなた?」
声から察するに、中年の女性のようだ。
お母さんからの電話とか・・どうしよう・・
「す、すみません・・・間違ってボタン押してしまったみたいで」
一先ず謝罪すると、電話の向こうの相手が途端に色めき立った。
「やだ、あなた剛士の会社の方!?」
「はい・・・同じ部署の橘と申します。あの、宗方・・・さん、今別の電話に出られてて」
「まあまあ!女の子もいるんじゃないの!なんだ、そうなの!」
「すぐに折り返すようにお伝えしますので」
「いいえ、いいのよ。気にしないで、もう用事は済みましたから」
「え、いえ、でも!」
「あの子によろしくね」
それだけ言うと、電話は一方的に切れてしまった。
美青は無言になったスマホ片手に宗方の背中を見つめた。
「どーしよ・・」
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