第8話 Love Affirmation 変化
何でもそつなく器用にこなすし、人の扱い方も上手い。
年上は上手に立てて、適度に甘えて、年下は可愛がるだけでなく、適度に厳しくもして、且つ気配りも忘れない。
美青の知る宗方は、いつも憎らしいくらい余裕があって、悩んだり、立ち止まったりしない人。
対人関係が上手くいく、典型的なタイプ。
誰かに合わせる事が苦手な美青とは真逆の男。
そんな宗方が、珍しく会議から戻るなり重たい溜め息を吐いて、パソコンに向かった。
何事かと美青と間宮は顔を見合わせる。
「姉さん、宗方さんとケンカでもしました?」
「は?いや、べつにとくに」
ケンカ以前に朝から打ち合わせと会議で席を外していた宗方とは、ろくに話していない。
猛スピードでキーボードを叩きながら、美青が怪訝な顔になる。
「てゆーか、なんであたし?関係ないでしょ」
「関係ありますよー。大いに」
わかんないですかね?と呆れた顔をされても分からないものは分からない。
美青の顔を見つめ返した間宮が、やれやれと肩をすくめた。
「宗方があれこれ口出すのはあたしだけじゃないでしょ」
何を今更と開き直った美青が、処理を終えたプログラムを走らせる。
「橘ー、昼前のバグは今日中に片づきそうか?」
「もう終わります。販売部からのデータ修正依頼も平行してるので大丈夫です」
「相変わらず仕事早いなー、助かるよ」
上司からの労いの言葉に、どーもと返して美青は別画面を起こした。
再び仕事に集中しようとした美青に、間宮がなおも食い下がる。
「ここは姉さんに任せますから!ちょっと様子伺ってきてくださいよ!」
「何の様子よ」
「何って宗方さんですよ!決まってるじゃないですか!」
「えー」
人のプライベートに口出すのは趣味じゃない。
いつも鷹揚な宗方だって、たまには塞ぎ込むこともあるだろう。
「えーじゃない!」
「だって、気になるでしょ!?」
「気になるー?」
どうだろう、何かあったのかな?とは思うけど、知らないフリをするのも大人の対応というやつだ。
相手だって大人の男だし、異性の同僚から、根掘り葉掘り訊かれるのは嫌だろう。
眉根を寄せる美青に、間宮がさらに言い募った。
「あの宗方さんが仕事場でああも態度に出すなんて、絶対おかしいですって!
姉さんには気を許してるから、ぽろっと愚痴言って楽になれるかもしれないじゃないですか!
知らないフリするのも大人ですが、一声かけるのも大人の対応ですよ!」
煩わしい事から逃げることばかり選んできた美青には、目から鱗の発言だった。
こういう気遣いを、きっと優しさと呼ぶのだ。
「じゃあ、まあ、声掛けるだけね」
渋々といった口調で、重たい腰を上げた美青に、間宮がお願いしますよ!と鼓舞するように拳を振り上げる。
確かに、あれほど声をかけにくい雰囲気を醸し出す宗方は初めて見た。
大抵のことは自分で上手く処理してしまう彼のキャパシティは、美青のそれより数倍大きい。
その彼が、ああも態度に現したのだ。
「宗方・・・あのさ」
意を決して、勢いよく振り向いた視線の先には、無人の宗方の席。
「あれ、宗方は?」
いつの間にかフロアを出て行ったらしい。
美青と間宮が顔を突き合わせて、あれこれ揉めていた間に10分程時間が経っていたのだ。
視線を巡らせる美青に、芹沢が廊下の先を指差した。
「一服してくるってさ」
「あ、煙草か」
廊下の突き当たりに設置されている喫煙所は、煙草を吸わない美青には、縁のない場所だ。
異動してから一度も中を覗いた事のないスペース。
普段の美青なら自ら進んで訪れようなんて、絶対に思わない。
けれど、いまはそんなことよりも、一刻も早く宗方を捕まえたい気持ちの方が強かった。
後を追うようにフロアを抜ける美青に、間宮と芹沢が意外そうな顔をした。
「え、姉さん行くんですか?」
「すぐ戻ると思うけど」
「うん、いい。落ち着かないから行ってくるわ」
そう、一声、たった一言でいいのだ。
何かあった?
宗方が答えないならそれでいい。
思えば、いつもひとりで仕事を抱え込む美青に、根気よく声をかけてくれたのは宗方だった。
美青がどれだけ素っ気ない態度で手助けを突っぱねても。
未だ他人は苦手だし、人付き合いは面倒だ。
でも、支えてもらった過去を忘れて、素通りするような事は出来ない。
いつだって歩み寄るのは宗方の方からだ。
美青はじっと動かず頑なな態度を貫くか、酷いときにはさらに距離を開けてきた。
だけど、今回だけは。
あたしの一言で宗方が楽になるなんて思わない。
でも、あたしが宗方に鬱憤をぶつけたように、言葉にして、少しでも彼が楽になれるなら。
動かない選択なんて、どこにもない。
すりガラスの窓の向こうに人影は4つ。
どれが宗方かは開けてみなくては分らない。
もしかすると、喫煙所ではなくて、従業員入り口の外にある喫煙所や、屋上に向かった可能性だってある。
けれど、迷っている場合ではなかった。
今この時を逃したら、たぶん、きっと訊けない。
問答無用で自動ドアのセンサーに手をかざす。
スライドするドアを待ちきれずに、中を覗いた。
「あの・・・」
声を上げてすぐに、ドアに背中を向けていた人物が振り返った。
宗方だ。
美青の姿を認めて、驚いた顔になる。
こんなところまで美青がやってくるなんて、非常事態としか思えない。
「橘・・なんかあったのか?」
すぐさま煙草を押し消した宗方が、心配そうな表情になる。
いや、あたしじゃなくってさ・・・
さっきまであれほど間宮に、気遣いだの声かけだのと言われて、さりげなく声をかけるように、と自分に言い聞かせて来たのに、いざ本人を目の前にすると、肝心のセリフが出てこない。
そもそも”さりげない気遣い”ってどーすんのよ!?
必要最低限の人付きあいしかしてこなかったので、こういう時の対処法がさっぱりわからない。
落ち着け、落ち着け、菜々海はなんて言った!?
「あー、違うから、何もないっていうか、あたしは、なにもない!」
一先ず、心配事項が無い事を告げて、安心させることにする。
「何もないって、ならなんでわざわざこんなとこまで来たんだよ?
お前、俺の事呼びに来たんだろ?」
システム室のメンバーも何人か喫煙者はいる。
が、美青が自ら探しに来るような相手は、他にいるまいと断言しきった宗方に、少々複雑な気持ちになる。
美青の社内での人間関係は、宗方、間宮、時々芹沢、でほぼ構成されているのだ。
プライベートはともかくとして、仕事場での自分を完璧に把握されてしまっている事を、改めて自覚した。
悔しい、というのとは少し違う、けど、嬉しい、でもない。
何だか物凄く違和感を感じる。
「そう・・だけど・・・ちょっと、話があって」
言葉に迷ったままで美青が告げると、宗方がさらに眉根を寄せて不安そうな表情になった。
無駄に副流煙を吸わせるわけにはいかないと、早々に喫煙所を後にした宗方は、美青を連れてエレベーターホールに向かった。
話があると美青が切り出した以上、フロアに戻るわけにもいかないからだ。
「橘・・・ほんとに何かあったんじゃ」
真剣な声音で問われて、美青は慌てて首を振った。
ここで余計な心配をかけてどうする!
「だから、何にもないってば!あるのはあんたよ!」
「・・は、俺?」
「だからっ・・・宗方、大丈夫?」
何と言っていいか分からず、結局言えた言葉は本当に一言だけだった。
受け止めた宗方が、美青の顔をまじまじと見下ろして、大丈夫って・・・と呟く。
もうさりげない気遣いどころの話ではない。
その後の事なんて、何も考えてこなかったのだ。
「大丈夫なら、もういい!それだけ!!」
言い逃げ御免で、フロアに戻ろうと体を翻した美青に、宗方が即座に待ったをかけた。
「待て、橘!」
「なによ、話ならもう済んだから!」
「俺は済んでない。だから、ちょっと待て、な?」
道を塞ぐように前に現れた宗方の口調は、穏やかなままだが、いいようのない威圧感を含んでいた。
こうなると、頑として譲らない男だというのは、これまでの経験で知っている。
大抵このパターンで、無理やり夕飯を食べさせられてきたのだ。
折れるしかないと踏んだ美青が、しぶしぶ宗方と視線を合わせた。
「・・・なによ」
不満げではあるが、強行姿勢は取らなかった美青にホッとした様子で、宗方が目を細める。
「心配・・・してくれたんだろ?」
「し・・・心配・・」
いやだからこれは、同僚として気遣いで心遣いで、気配りで・・・
「気に・・なった・・だけで」
もう自分でもどう思って動いたかなんてわからない。
いつも宗方になんだかんだで面倒を見て貰っているので、そのお返しだと言えればいいが、そんな器用な性格をしていない。
「それでも十分だ」
「・・・あ、そう」
柔らかい視線を向けられると、何だか落ち着かない気分になる。
言いだしっぺは菜々海だし、あたしは別に・・と言い訳がましいセリフを並べようとした美青に、宗方が先に切りだした。
「正直言うと、ちょっと参ってた。気を遣わせて悪いな」
こうして正面から誰かの弱音を受け止めるのは初めての経験だ。
「別にいいってば」
素っ気なく返した美青を促すように、宗方が視線を向ける。
丁度、無人のエレベーターが階下からやってきた。
乗り込みながら宗方が言った。
「橘、もうちょっと、付き合えよ」
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