第6話 Love Affirmation  違和感

美青は、店の前に出されている黒い黒板タイプの看板をまじまじと見つめた。


”女性に嬉しい、身体に優しい野菜メニューが豊富!”


”本日のおすすめは、根菜のグラタン、キノコのパンシチュー、たっぷりトマトのピザ”


書いてある内容は、年頃の女性なら誰もが心惹かれる素敵なキャッチフレーズばかり。


こういう店なら安心して入れそうだ。


以前は居酒屋だったお店を改装したというその店は、駅から少し離れた路地裏にあった。


普通に歩いているだけでは絶対に辿り着かないであろう、入り組んだ狭い裏通りを迷うことなくやってきた隣の人物に、視線を向ける。


いかにも女子が集いそうな店構えを前に、物凄く違和感を覚えるガタイのいい長身の男がひとり。


「なんでこんな店知ってんの」


素朴な疑問を一番に口にする。


どう考えてもあんたには縁がないでしょうに。


迷ったらからあげ定食か、とんかつ定食を選ぶ宗方が好んで来る店だとはどうしても思えない。


ましてや、こんな可愛らしい雰囲気のカフェダイニング。


美青の質問は無視して、宗方は中の様子を伺った。


「どうだ?こういうところなら、お前も行けそうだろ?」


「もっそい宗方が浮いてるけどね」


ガラス張りのドアの向こうには、女性客がちらほらと見える。


男性一人ではまず誰も来ないだろう。


「お前の付き添いだ、付き添い」


「一人でご飯食べれない子みたいに言うのやめてよ!」


「事実だろーが。で、食えそうか?」


念押しされて、美青は不承不承頷いた。


「たぶん・・・食べれる」


「よし、なら行こう」


その返事を待ってましたとばかりに、宗方が美青の肩を押して店の中へと入る。


愛想よく出迎えた店員に、二名で、と告げると奥のテーブル席へと案内された。


看板から想像した通り、白の木目調の家具で統一された店内は、間仕切りにアンティーク風のレースを使うなど、女性の目線を意識した造りになっていた。


半個室になってたスペースで向かい合った美青が、店の雰囲気を確かめてから頷いた。


お洒落だし、お酒も飲めるし、何より個々の席が程よく離れていて、目隠しカーテンがあるのがいい。


2人で来るには持って来いの店だ。


なるほど、なるほど・・・


1人納得したように頷く美青に、メニューを開いてやりながら宗方が尋ねた。


「何に納得した?」


メニューを印字してある用紙も、透かし模様の入った凝ったつくりをしていて、店員のこだわりが伺える。


こういう細やかさは女性ならではだ。


「んー・・彼女とでも来たの?めちゃくちゃデート向きよね、ここ」


それなら納得だわー。と他人事のように言って、美青がメニューに視線を落とした。


さっきの看板にも書いてあった、根菜のグラタンに惹かれている。


ホワイトソースには豆腐を使用・・・徹底したヘルシー志向だ。


胃もたれの心配もナシ。


あまり悩まないタイプなので、浮気はせずに第一印象のメニューを選ぶ。


「宗方何にす・・」


顔を上げた美青の言葉を遮るように、宗方が身を乗りだした。


「お前、そんな風に思ってたのか!?」


「っは、なにが?」


「俺がこの店選んだ事だよ」


「選ぶもなにも・・仕事終わるなり、付き合えって有無を言わさず連れ出したのあんたでしょーが」


どこに行くのかも知らなかったわよ、とげんなり美青が付け加えた。


宗方の強引さには慣れていたつもりだったが、今日のはいつになく酷かった。


引っさらう勢いでフロアから連れ出されたのだから。


「彼女じゃ、ない」


噛んで含める様に宗方が告げた。


「あ、そう」


さして感情も含まない声で返事をした美青の手から、宗方がメニューを取り上げた。


それどころじゃないというように、メニューを閉じて脇に追いやる。


いや、ご飯食べに来たんだよね?と美青が突っ込むより先に、宗方がもう一度言った。


「なあ、一応訊くけど、橘・・・お前、俺に彼女いるとか思ってんのか?」


至極真面目な顔をして問われて、美青がはあ?と訝しげな表情になった。


「べつに・・特に気にした事無いし・・いるの?」


美青のおざなりな問いかけに、宗方の表情があからさまに暗くなる。


「・・・いない」


「あそ、そんな気にすることでもないでしょうに・・・暗い顔すんなってば。なによー、別に恋愛がすべてじゃないって。それより、あたしもうメニュー決めたんだけど。宗方は?何食べる?」


混む前に決めちゃってよ、と美青が端に追いやられたメニューを再び開いて宗方に迫った。


「・・・そーだよな」


力なく呟いた宗方の一言に、美青があっけらかんと応える。


「そうそう、気にするな」


「いや、気にするよ!」


すかさず突っ込みが返ってきた。


そうだよな、そりゃあ、そう答えるだろうな。


投げやりになって頼んだ、淡路産玉ねぎのビーフシチューを前に、宗方は立ち上る湯気の中に溜息を吐き出した。


目の前では、美青が呑気にグラタンを突いている。


美青と宗方の関係は、会社の同僚でそれ以上でもそれ以下でもない。


美青が宗方に抱いている気安さは、仕事を一緒にしてきた人間相手だから見せるそれで、心底打ち解けた相手に向けた態度ではない。


べたべたした女同士の友情は勿論、他人と深く関わる事を嫌う性格なのは、もう嫌というほど理解している。


だから、美青がかけらの興味も持っていなかったとしても、それは当然の事で、今更凹むようなことではないのだ。


けれど、零れる溜息はどうしようもなく重たい。


「あっつ・・・これ急いで食べると火傷するやつだ」


掬ったホワイトソースたっぷりのレンコンに息を吹きかける美青の仕草は、ずっと見ていたい位に可愛い。


こうして勇気を振り絞って、勢いのままに食事に連れてきても、彼女にとっては同僚のいつものお節介なのだ。


彼女がいるかどうかも、さしたる問題ではない程度の、存在。


気にするなってほうがどーかしてるだろ!!


少なくとも俺は!俺が目を離した隙に橘に余計な虫が付かないように牽制して、間宮と芹沢と今は長期出張中の平良という虫よけ1号2号もおいてある!


彼氏がいない事は、自分の気持ちを自覚した時点で調査済みだし、目ぼしい男友達や、刺客になりそうな同期がいない事も確認してある。


恋愛何それ美味しいの?と真顔で答える美青が、何かのきっかけで恋愛に興味を持ったら、宗方の方にしか転がらないようにありとあらゆる可能性を排除して、綺麗に外堀を埋めてきた。


恋に目覚めず、眠り続けているのは当の本人のみなのだ。


可愛さあまって憎さ百倍って・・・あれ本当かもな・・・


形がなくなるまで煮込まれた玉ねぎはトロトロで、シチューの海に浮かぶのは、角切りの牛肉と、彩を添えるブロッコリーとジャガイモのみだ。


無造作にスプーンですくったそれを、宗方はすかさず口に運んだ。


食わないでやってられるか!!


今日のところは、2人で食事に来れただけでも良しとしよう、という弱気な自分と、これだから、間宮に二歩も三歩もリードされんだよ!という強気な自分と、いや、待て、間宮女だからな!そもそもライバルじゃないからな!という冷静なツッコミを入れる自分が頭の中で三つ巴の争いを繰り広げている。



「あ、宗方それも絶対熱い」


「・・・あっつ!!」


無防備に放り込んだ牛肉が舌の上で撥ねた。


鉄鍋で煮込まれたビーフシチューは、グラタン同様熱くなっておりますので、と店員が説明していた事を今さら思い出す。


スプーンを放り出した宗方に、美青が慌ててグラスの水を差し出した。


「だから言ったのに・・・ほら、水飲んで!考え事しながら食べるからでしょ」


「サンキュ・・」


素直にグラスを受け取って一気に煽る。


誰のせいだ、誰の!と言いたいが、ぐっと堪えた。


こういう美青をイイと思ったは自分だ。


期待すればするだけ真逆の答えが返って来たとしても、それはもう仕方ない。


どうにか自分を納得させて、もう一度ビーフシチューに向き直る。


中断していた食事を再開した美青が、宗方に向かって笑った。


「ぼーっとしてるなんて、珍しいね」


全くの不可抗力だが、それでもこうして柔らかい表情を見れると、それだけで心はざわめく。


「・・・そうだな」


もうちょっと笑ってろよ、と内心思いつつ、鉄鍋をかき混ぜた。


櫛形の人参をフォークに刺した美青が、楽しそうに続ける。


「ちゃんとフーフーして、冷ましてから食べなさいよ」


子供に言い含めるような、母親みたいな口調。


「・・・」


今度こそ宗方はスプーンも鉄鍋も放り出しそうになった。


だからそこで可愛いコト言うなよ!


無意識でも無防備でもそれは卑怯だろ!!


何とも思っていない、大して興味はない。


そんな事は分ってる。


ふたりには全くといっていいほど共通点がない。


強いてあげるなら、ワーカホリック気味な所くらいだ。


それだって、仕事場の同僚だからあげられるだけで、毎日同じ場所で、顔を合わせていても、宗方には美青の事が分からない。


どう考えたって上手く行きっこない、会わないはずの相手。


それでも、暴れる気持ちを自覚してしまったんだからしょうがない。


どれだけ可能性が低くても、未来は未知数と信じるしかない。


いや、意地でも信じてやる。


今日がその一歩目だと心に決めて、宗方は美青に向き直った。


と、美青がフォークの人参を差し出してきた。


「ん?」


「あげる」


「・・・お前人参も嫌いなの」


「いや。苦手なだけ」


視線を逸らした美青が言った。

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