第5話 Love Affirmation  対等

「橘ー」


「なに、今すんごい忙しい」


正確にキーボードを叩きながら美青が無表情に答えた。


昼前に飛び込んできたエラー報告の修正で、プログラム画面と睨めっこの最中なのだ。


余計な雑談に割く時間は1秒も無い。


デバッグで見つかったエラー部分は修正して、もう一度プログラムを走らせたのだが、同じエラーが表示されるのだ。


「見りゃ分かる・・・」


いつものように椅子ごと隣まで移動してきた宗方が、美青の横からプログラム画面を覗き込む。


「配分移動のエラーか・・・」


「バグ修正したはずなんだけど、どっか別のとこでひっかかってるみたいで」


ざっと内容を見て状況を把握した宗方が、有無を言わさず美青の手元からキーボードを引き寄せた。


代わりに美青の方に最近話題のドリンクタイプのグラノーラを押し付けた。


「なにこれ」


「手早く栄養取れるらしーぞ」


明らかに美青の為に買った品だ。


自宅に宗方を招いて以来、さらに気にかけてくるようになった。


食事を届けてくれる人もいるから、余計な心配しなくていいよ、という意味も込めて招待したのだが、美青の意向は別の方向に作用したらしい。


安心感を与えるどころか、不安感を与えたようだ。


健康優良児の間宮は別として、他の一般的な女子と比べれば細身かな?とは思うが、別段細すぎるとは思っていない。


これが常だったし、年頃の女子はダイエットが趣味のようなもので、みんながスリムな体型を目指していたので、違和感を覚える事も無かった。


ガタイのいい宗方から見れば、心もとないと思うのも無理はないが、この体型で困った事は殆どないのだ。


「餌付けでもするつもりか」


イタダキマース、と素直にストローを差しながら美青が呟く。


「出来るもんならとっくにやってるよ」


「・・・」


親鳥が雛にせっせと世話を焼くさまが思い浮かんで、複雑な気持ちになる。


ほんとに時々、こいつ何考えてんだろと思うわ・・・


あたしなんか餌付けしても得なことないだろーに。


いっそ間宮を餌付けする方が、素直に喜んでくれるし、やりがいがあるに決まっている。


「・・・宗方ってさー」


「んー」


頬杖をついて、プログラム内容を1行ずつ確認していきながら、宗方が曖昧な返事を返した。


構わず美青は続ける。


「責任感強すぎんのよ」


「どこらへんが」


「・・一度任されたら、最後まで何が何でもやりとおすとこ」


「ふつーだろ」


「そうでもないと思う」


「そーか?」


「いつかあんたが大損するんじゃないかと思うわ」


色んな事を抱え過ぎて、パンクするんじゃないかと思う時がある。


あたしの事なんて、全くの”余計な事”なのに。


「なんだ、心配してくれんのかよ」


画面から目を逸らして、宗方が意外そうな視線を向けた。


「それは普通にするよね、同僚として」


どんだけ薄情な女だと思ってんだ、と言い返す。


言いたい事は言うけど、受けた恩を忘れるような事はしてこなかったつもりだ。


美青から視線を画面に戻しながら、宗方が小さく笑った。


「大損はねぇな」


満足げな声に、美青が首を傾げる。


「簡単に断言するなー・・」


どっから来るんだその自信は、と美青が顔を顰める。


部署のメンバーは勿論、研修で面倒を見た後輩からも慕われている宗方だ。


いつも彼は人の輪の中心にいる。


ああ、そっか。


「色々引き受けた分、何かの時にはみんなが助けてくれるもんね」


こういう人だから、いざとなっても周りが放っておかない。


きっと、何とかして、力になりたいと思う。


ストンと落ちてきた答え。


基本”ひとり”という考え方の自分とは真逆にいる人間。


つくづく似ていないふたりだ。


違うから、宗方は気にかけてくれるのだろうか。


「ああー・・、そうだといいな・・・それに」


バグを見つけたらしい宗方が、プログラム画面に、もう一つ定義を加えて行く。


素早い指の動きと、打ち出される文字をぼんやり眺めていると、宗方が画面を閉じた。


もう一度プログラムを走らせる。


「よし・・・差し出した分の見返りは、貰うつもりなんだよ、これでも」


今度はエラーメッセージは出ずに、終了画面までたどり着く。


「直ったぞ」


「あ・・・ありがと。助かった」


「どーいたしまして。で、それ、美味いの?」


「んー、飲みやすくはある」


食物繊維やらビタミンやらがふんだんに入ったとろみある液体は、甘さも控えめだ。


シェイクのような美味しさはないが、これである程度のカロリーと栄養が補給出来るのだから贅沢はいえない。


「ご馳走様でした」


「それ昼飯にすんなよ」


「うっ・・・」


痛いところを突かれた美青が唇をへの字に曲げた。


「やっぱりか」


予想通りの答えに宗方が険しい表情になる。


「いや、でもここ最近菜々海がしょっちゅう部屋に来るから、体重増量中で」


いい具合に肉もついて来たんだって、と美青が右手を差し出す。


「また間宮入り浸ってんのかよ」


「あの子の家、うちのマンション前のバス停から15分だしね」


「なんつー利便性の良さだ・・」


「毎回どこで見つけたのか違うお菓子持ってくんの、どーやって捜してんだろ」


「あいつのネットワーク半端ねぇからな」


美青や宗方が知る由もない二次元オタク仲間から、オタク関係以外の様々な情報も入手している間宮だ。


引き出しが多すぎて、突っ込む暇もないので放置しているが、実は部署一番の謎の人物でもある。


相変わらず細くて白い手首に指を回した宗方が、即座に感想を口にした。


「変わんねぇよ」


「良く見て!ちょっとは変わってるわよ!重くなったし!」


「お前の言う重たいなんて信用できるわけねぇだろ!」


「そういうなら抱えてみる!?」


あまりの重さに腰痛めるかもね!と意気込んだ美青に、宗方が一瞬たじろいだ。


「お、おまっ・・できるわけねぇだろが!家じゃあるまいし」


その反応で、口にした言葉の重大さに気づいた美青が、慌てて頷く。


「・・・あ、ああ、それもそうか」


ついつい自分の部屋にいるような気分になってしまった。


みんなが昼に出払っていて良かった、と胸を撫で下ろす。


と、離れた席から物音が聞こえた。


ぎょっとなって二人揃って音の方向へ視線を向ける。


パソコン越しに、にやにやと人の悪い笑みを浮かべる芹沢とばっちり目が合った。


「なーんだ、ふたりそういう関係だったのかー」


「居たんなら声かけろよ芹沢っ!!!」


「ちがいますっ!!!」


今日一番の大声を張り上げた美青が、ぶんぶん首を振る。


普段の自分ならあり得ないような事を口走った自覚はある。


すっかり油断しきっていたのだ。


いつもならもっと会社ということを意識して、決して気を抜いたりしないのに。


なんで、なんで、なんで・・・


とんでもない誤解をしているであろう芹沢は、真っ赤になって言い返す二人に向かって、うんうんと頷いてみせた。


「そんな全否定しなくても、お互い大人なんだし、ガキみたいに騒いだりしないって。ちょっとは俺を信用してよ」


「いやするだろ、誰より面白がってある事ない事吹聴するだろがてめぇ!!」


「わー・・胸痛いわー」


「痛むな!自重しろ!!」


「で、どっちの家でいっつも会ってるわけー?」


しょっちゅうどちらかの家で密会しているような口ぶりに、美青の頭は真っ白になった。


「会ってません!たまたま家に呼んだだけで!!」


「橘!お前も余計な事言うな!」


宗方が制止した時には、芹沢の目がキランと光っていた。


「っへー・・・ガードの硬い橘の家に行ったんだー。間宮だけかと思ってたよ」


「あ!お前も知ってたのか!!」


「間宮から、姉さん家居心地いいんでーすって聞いた事あったんだよ。別にいいだろ」


「良くねぇよ!」


「お前がそこで怒る理由が見当たらないんだけどなー。あ、ちなみにこれは俺と平良の意見だから」


「うるっせぇ!!居ないやつまで巻き込むなよ!」


どうしてか宗方が目くじらを立てて怒鳴った。


間宮が家に来ている事は、別に秘密にしているわけじゃない。


訊かれれば答えるし、訊かれなければ答えない、それだけの事なのに。


芹沢に向かってやけに食って掛かる宗方を余所に、美青はどうにかしてこの誤解を解かなくてはと必死に考えた。


「芹沢さん!とにかく、今の発言は誤解なんで!!」


「誤解って?俺、別に何も誤解してないと思うけどぉ?」


「いえ、してます、すんごいしてますから」


「ええ?どういう誤解かなー」


「あたしと宗方は何にもないです」


これだけはきっぱりはっきりしておかなくてはならない。


美青の言葉に、芹沢は意外にもあっさり頷いた。


「知ってるよ」


「・・へ?」


「宗方と橘が俺ら以上に仲良いの知ってるから」


「・・・はあ・・」


「ちなみに二人が付き合ってないことも、重々承知しております」


これで満足?と尋ねられて、美青が不承不承頷く。


何だか色々うやむやにされたようで納得できないが、これ以上話をややこしくされても困る。


「・・なら、いいです、よね、宗方」


ちらっと隣の宗方を見上げると、思い切り不機嫌な彼の視線をぶつかった。


全く意味が分からない。


「なんであたしに怒るのよ!」


「怒ってねぇよ!」


勢いよく言い返されて、美青が怯む。


ふたりの嫌なムードを引き裂く様に、呑気な声が割り込んできた。


「あれれーなんですかー?いざこざー?」


タイミングを計ったかのような菜々海の出現に、美青が勢いよく席を立った。


「別に!」


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