第4話 Love Affirmation 接近
家に招く→警戒心ナシ→信用されている?→親近感あり?→好意?
永遠に続く矢印を掻き消して、宗方は前を歩く華奢な背中に視線を向けた。
美青が倒れたあの日、マンションのエントランスまで送っただけなので、外観はもちろん、彼女の部屋が何階かなんて全く覚えていない。
「そういえば、宗方来た事なかったよね?」
「え!?あ、ああ、そうだな」
こっち曲がるから、と迷わず駅前のアーケード街の横道に入っていく美青を追いかけながら、宗方はどうにか思考回路を現実に引っ張り戻した。
「っつーか・・・誰か来たことあんのかよ」
仕事場での美青なら、ほぼ把握していると胸を張れるが、悲しいかなプライベートへの干渉権は持っていない。
彼女が休日誰とどんな風に過ごしているのか、宗方には全く想像できなかった。
人付き合いが得意じゃないというのは、これまでの付き合いでなんとなくわかる。
が、彼女の学生時代がどんな風だったのか、どんな友人を持っているのか、尋ねた事すらなかった。
どうせ訊いたところで”あんたに関係ないでしょ”とすっぱり切られるに決まっていると分かっていたから。
”押して、押して、押しまくれ!”
無責任な間宮の助言が頭を過ぎる。
相手が間宮のようなタイプなら、遠慮何てしない。
それこそ押し切る気持ちで口説き落とす自信がある。
が、相手は美青だ。
推せば押すほど突っぱねる事が容易に想像できた。
これ以上嫌われるのは避けたい。
ただでさえ部署内でも”面倒くさい相手”と思われているのだ。
自ら墓穴を掘るよりは、地道に外堀を埋めるほうがまだ建設的に思えた。
「しっつれいね・・・たまには友達呼ぶっつーの。菜々海はお茶した後、絶対家寄って行くし」
「ふーん・・・っえ!?っは!?」
間宮!?
突然飛び出したオタク後輩の名前に宗方が美青の細すぎる手首を掴んだ。
触れる程度に緩く。
「なによ」
振り向いた美青が鬱陶しそうにその手を振りほどく。
「おい、ま、間宮そんなしょっちゅう家上げてんのか!?」
「姉さんの乙女回路復活レッスンとか言って、恋愛系のゲーム持ち込むのよあの子」
キャラクター本片手に、こっちは俺様系、こっちは王子様系、こっちはツンデレ、こっちはヤンデレ、と熱弁されて頭痛くなったの、と美青が苦笑いする。
「最初は面倒くさかったんだけど、適当に選んだ選択肢で話が分岐していくから、暇つぶしにはいいかなって・・・ちょっと・・宗方?なんでそんな難しい顔して黙り込むのよ・・」
険しい表情のまま夜空を見上げる宗方に、美青が訝しげな視線を送る。
「・・っあーいーつー!」
低い声で呻った宗方が、反射的に美青を見つめ返した。
「俺も呼べよ!」
「っは!?なに、あんたもゲームしたいの!?言っとくけど、可愛い妹キャラも、綺麗め優等生キャラも出てこないわよ!?」
乙女向け恋愛ゲームに興味があったのかと、美青が躍起になって捲し立てる。
宗方は美青の並べた文句をすかさず一蹴した。
「興味ねぇよ!」
「じゃあなによ!?」
「なにって・・・」
何、と言われれば答えはひとつに決まっている。
間宮が自分より美青と親しくしているのは物凄く面白くない。
後輩というポジションをフルに生かして、美青の懐に上手く潜り込んでいる間宮が物凄く憎らしい。
あのバカ一言も俺にそんな事言ってなかったくせに!!
お茶会のついでにちゃっかりお宅訪問してプライベートがっつり独占しやがって!!
美青の不規則すぎる食生活が少しでもマシになるなら、とけしかけた間宮が、予想以上に働き過ぎていた事実に、今更ながら愕然として、同時に二歩も散歩を先を行かれた事への苛立ちがふつふつと湧いてくる。
距離を縮めたいと思いながらも、現状維持の枠から飛び出す勇気の無い自分を嘆きつつ、宗方は次の言葉を迷った。
「だからっ心配するだろ」
回らない思考で必死に紡ぎ出した単語を聞いた美青が、渋い顔になる。
「菜々海はぶっ飛んでるけど、悪い子じゃないよ」
「んなもん分かってるよ!」
どういう人間かちゃんと理解している。
だから、美青に近づけたのだ。
百も承知の答えが返って来て、宗方はがっくり肩を落とした。
いつもこうだ。
選んだ言葉は甘酸っぱい方向とは逆に転がっていく。
「ああいうタイプはほっといてもいいから、楽」
自分の世界を持っていて、深くは踏み込ませない。
「・・・だろーな」
「うん・・おかげで助かってる」
「それは・・まあ、俺もあるな・・色々」
間宮が立ち回ってくれたおかげで、今日もこうしてふたりで過ごせるようになったのだ。
可愛くねぇけど、いい後輩なんだよなぁ・・
しみじみ頷いた宗方に、美青がついたよと告げた。
白とライトグレーで統一されたベッドカバー。
アイボリーのテレビボードとローテーブル。
シンプルな作りの中で、唯一異彩を放っているもの。
枕元に置かれたネコのぬいぐるみ。
赤いリボンを首に巻いたそれは、小さい女の子が好んで持つようなデザインだ。
ご飯あっためるから適当に座ってて、と通されたワンルームで、宗方は居心地悪げにそのぬいぐるみを凝視した。
コレ、本人に指摘したらめちゃくちゃ言い訳するんだろーな。
まさか俺が来ると思わなかったから放置してたんだろうけど・・
ぬいぐるみ以外は、いかにも美青らしい部屋だ。
余計なものが何もない空間は、彼女のデスク上とよく似ている。
廊下にあるキッチンでは、さっきから物音が鳴りやまない。
まともな食器はないから、それだけは覚悟してね、と念を押された。
そんな事言われるまでもない。
いつも他人と一歩距離を取って接している橘美青のプライベート空間に足を踏み入れただけでも、今日の宗方にとっては僥倖といえた。
彼女が自分の周りにうず高く積み上げたレンガ塀を、少しだけ切り崩した気分だ。
まだ、僅かに出来た隙間から中を伺う程度だけれど。
「ごめん、宗方。お待たせ」
少しだけ開けていたドアに、器用に足を引っかけて美青が戻ってきた。
片手にタッパーを三つと、反対の手には深めの器を持っている。
夕飯の誘いを受けた時点で、簡単な夜食でも出してくれるのかと思っていたが、見事に期待を裏切られた。
どう見ても豪華な晩御飯だ。
帰り際に寄ったコンビニで酒の類は仕入れてある。
明日も仕事だが、乾杯する位いいだろうということになったのだ。
「冷凍のご飯あるけど、おかずが大量にあるから、さきにそっち消化よろしく」
「ああ・・わかった・・けど、すげーな、おい・・どうした?」
鶏肉とトマトの煮込み、豚肉の野菜巻き、カレイのアクアパッツァ、キノコの蒸し物、魚介類たっぷりのスープ。
小さなテーブルに所狭しと並べられた料理を前に、宗方はビールを空ける手を止めて見入った。
「電車でちょっとだけ話したでしょ?学生時代の先輩が時々届けてくれるの」
「それにしたって一人用の量じゃねぇだろ」
「ねー・・・本人曰く、毎日バランスよくちょっとずつ食べろって事らしいけど」
「今日は俺が来たけど・・いつもはどーしてんだ?」
まさか他の男を部屋には入れていまいな?と思いつつも訊いてみる。
美青に限ってそれはないと思いたいが・・
「菜々海にお弁当として支給して、たまに食べに来てもらう」
「・・女子だけ・・だよな」
念押しした宗方に、美青があっさり頷いた。
「そんな部署の人間無作為に呼べないから」
「だよな」
「今回はいつもより配給量が多かったから、冷蔵庫いっぱいで困ってたの。宗方がいてくれて助かった」
イチイチ説明して貰って貰うの面倒だしさ、と美青が取り分けようの小皿を手渡してくる。
いかにも彼女らしい答えに、宗方はほっと胸を撫で下ろした。
残飯処理係がいてくれて助かった、という意味だと知りながらも、純粋に感謝されて悪い気はしない。
しかも相手は憎からず思う相手なのだ。
理由はどうあれ頼りにされるのは嬉しい。
が、ここでにこにこと喜ぶだけで終わるわけにはいかない。
美青が持ってきたのが小皿一枚と箸一膳である事を、宗方は見落とさなかった。
「お前も食えよ」
「・・・なんか見ただけでお腹いっぱいで」
「いいから、とりあえず箸持って来い」
有無を言わさず廊下に向かって顎をしゃくると、美青が渋々立ち上がる。
「分かった、持ってくるか、あんたは先食べてて」
家に招かれてご相伴に預かりました、で帰っては自分の来た意味がない。
美青を前にするとアレコレと世話を焼きたくなるのは恋愛感情を自覚する前からだ。
もとから面倒見のよい方ではあったが、彼女の事になると殊更気になって仕方がない。
口煩いと思われているのは知りつつも、つい構いたくなってしまうのだ。
宗方にとって”どうしてもほうっておけない相手”というのが美青のなのだった。
キッチンに向かおうとした美青が、ふと視線をベッドに向けた。
と、次の瞬間ありえない速さでベッドにダイブした。
「は!?」
ぎょっとなる宗方を尻目に、瞬時に伸ばした手でネコのぬいぐるみを抱きかかえる。
声にならない悲鳴を上げた美青が、ベッドに顔を伏せたまま、低い声で問う。
「~~~っっっ!!!見た!?」
「・・・それ、あれだよな、ネズミーランドの新キャラだよな」
朝の情報番組で、人気のテーマパークが女子向けの新キャラクターを発売と紹介されていた。
入荷初日には、ファンが殺到して大混乱になったとか。
「なんでそんな事まで知ってんのよ!?あんたも好きなの!?」
どう考えてもテーマパークとは縁遠い見た目の宗方が、的確にキャラクターを言い当てた事に驚いたのか、美青ががばっと体を起こした。
そこで好き、という答えと直結するあたりに、美青の混乱具合が伺える。
身を乗り出すように尋ねてきた美青にたじろぎながら、宗方は首を振った。
「ニュースでやってるのを見ただけだ・・・ふーん・・こうして見ると、けっこう可愛いな」
美青の細い腕に抱えると、さらに大きく見えるぬいぐるみは直径50センチ程で、抱き枕にするにはちょうど良い大きさ見える。
ふさふさの毛並みに、つぶらな瞳。
女子供の人気を独り占めしそうなデザイン。
仕事場の美青が抱えていると違和感を覚えるが、ここが彼女の家ということも影響してか、意外な位ネコと美青の組み合わせはしっくりきた。
犬か猫か、と言われれば、間違いなく美青は猫だ。
感情が出やすくしっぽを振ってなついてくる犬ではない。
「・・・そーなのよ、可愛いのよ。この子に罪はないから・・・内緒ね」
尻すぼみになった最後の言葉。
誰にも言うつもりなんてないし、頼まれたって教えてやらない。
「いーよ」
あっさり頷いた宗方に、美青がほっとしたように小さく笑った。
心底安心したように目尻を下げたその表情に、思わず見惚れてしまう。
この家だと、こういう顔すんのか・・・
今まで一度も見た事のない、いかにも女の子といった愛らしい表情。
幸せそうな笑顔を見ていたいと思うのに、どうしてかいつも上手く行かない。
それなのに、こんな単純なことで美青は簡単に笑うのだ。
大切そうに抱えられたネコのぬいぐるみに軽い嫉妬を覚える。
「そのネコ、間宮は知ってんのか?」
「あの子のカバンにいっつもついてるストラップ、この子のだもん」
すぐさま返ってきた肯定に、小さく舌打ちをひとつして、宗方は手を伸ばした。
「俺にも貸せよ」
「なんで!?」
「お前があんまり気持ちよさそうにしてるから、どんなもんか試してみたくなった」
「抱き心地は抜群だし、最高にふさふさだけと却下!」
「なんでだよ!」
「これはあたし専用だから」
「ちょっと抱えるくらい、いーだろ」
断固拒否を繰り返す美青の腕から、こちらを見つめるガラス玉の瞳に向かって手を伸ばす。
丸っとした頭に手を載せると、美青があ!と声を上げて身を捩った。
その拍子にずり落ちかけていた膝が完全にベッドの下に落ちた。
「っひゃ!」
悲鳴ににも似た声を上げて、美青の身体が前に傾く。
落ちてくる美青の身体に向かって、宗方は腕を広げた。
トン、と美青の片膝がラグの上に着地する。
次の瞬間、華奢な身体が宗方の腕の中に落下した。
「っ!ごめん!!」
ネコを宗方に押し付ける形になった美青が、慌てて体を起こす。
が、宗方は腕を解かず、美青を抱えたまま上体を後ろへ逸らした。
ラグに背中が当たる、そしてぬいぐるみの程よい弾力、最後に美青の重みが加わる。
「え!?ちょ、大丈夫!?宗方!重いよね!?」
自分の重みに耐えかねて倒れたと勘違いした美青が、ラグの上に手をついた。
宗方の手が簡単に指が回る二の腕を掴む。
「重いわけあるか」
久々に感じる美青の重みに、あの日の記憶が蘇る。
軽い、軽すぎる位だ。
これでよく動けるものだと心底不思議に思う。
これでぬいぐるみをどかせたら、一体どうなるのか。
密着度が上がる事よりも、彼女の細さを目の当たりにすることに不安を感じてしまう。
本当は、もっともっと丁寧に扱わなくてはいけない存在なのだ。
容易く折れそうな腰に回していた腕を背中に移動させて、薄い肩を掴む。
「お前さ、頼むから太れよ」
せめて、感情にまかせて抱きしめても大丈夫だと思える位に。
「頼むんだ」
「お前がどっかから落ちたり、転んだりするたび俺の寿命が縮む」
「大げさな」
「おおげさじゃねぇよ・・間宮に肉分けて貰え」
「菜々海怒るよー・・・で、うちの子の抱き心地はどーよ?」
奇しくも念願のネコを抱きかかえる事になった宗方に、美青が楽しそうに尋ねる。
「あー・・そだな・・お前よりは安心できるな」
「ええ!?その感想可笑しくない?」
「事実だろ・・・っと」
後ろ手に肘をついて、美青を離す事なく起き上がった宗方は、ふたりの間でサンドイッチ状態になっていたネコのぬいぐるみを見下ろした。
「せめてこの半分は丸くなれよ」
「それでもだいぶ丸いわよ!」
「だから、丸くなれっつってんだよ」
「・・・善処するけど」
「とりあえず、メシ食え」
「・・そーする」
漸くこの異様な状況に気づいたふたりが、どちらともなく距離を取って離れた。
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