第3話 Love Affirmation  過剰

冷蔵庫を開けて食べ物が大量に入っている生活って素晴らしい。


1人だと何作るのも億劫で、女子力ゼロの発言をした美青に、桜は大量のタッパーを押し付けた。


「そうだと思ったから、仕込んできたわよ。はい、こっちが冷凍庫。こっちが冷蔵庫。冷蔵庫の分は、1週間、冷凍庫のは2週間で食べきる事、それ以上体重減らしたら問答無用でうちに連れて帰るからね!」


「先輩・・連れて帰るったって」


「桜ちゃん家、無駄に部屋余ってるから」


「いや・・一鷹さん、そうじゃなくって・・・ご夫婦のご自宅に押しかけるのは」


「あ、昴のこと?全然平気よ、気にしないし、そもそも最近忙しくて家にいる時間皆無なの」


満面の笑みで答えた桜が、ちらりと志堂に視線を向ける。


「申し訳ない」


すかさず志堂が頭を下げた。


専務補佐として日々業務に追われている事を、誰より一番彼が理解しているのだ。


「だから、急な出張が入った浅海さんのかわりに、今日は俺がエスコートしますよ、お嬢さん方」


「それは、勿論当然の事よ、一鷹くん」


きっぱりと言い切った桜に連れられて、高級料亭の離れで盛大なおもてなしを受けたのはつい昨日の事だ。


紙袋一杯受け取った食料は、ありがたく持ち帰らせて貰った。


しかも期限付きの所が桜らしい。


これは2週間後に抜き打ちチェックが入ると思っていいだろう。


食事に興味はないが、食べ物を粗末にするつもりも、人の厚意を無下にするつもりもないので、着実に消化していかなくてはならない。


それにしても・・先輩・・あの量はけっこう厳しいんですけど。


一日一食でやりくりできる美青の胃袋では、とても二週間で処理できない量を押し付けられたのだ。


朝はとてもじゃないが食欲が沸かず、久しぶりにお弁当を入れることになった。


給料の殆どをオタク生活につぎ込んでいる間宮の分と二人分だ。


「こんな美味しいご飯なら毎日でも頂きたいです!」


と宣言した後輩の為に、これから当分の間弁当支給することを約束してある。


それでもまだ残るな・・


冷凍ものはいいにしても、冷蔵庫の料理は早めに食べる必要がある。


どうしたものかと悩みながら、自販機のジュースを眺めていると、背中から声をかけられた。


「専務との食事は美味かったか?」


振り返らなくてもわかる、宗方だ。


「食べた事ない料理ばっかり出てきたわ。薄味で食べやすかったけど」


「ふーん・・・で、何にする?」


小銭を入れた宗方が、顎をしゃくって訊いてくる。


美青は、え?と瞬きをした。


「なに・・いいの?」


「たまには奢ってやるよ。どうせろくな昼飯食ってねぇんだろ」


「今日はそうでもないよ。お弁当詰めたし」


じゃあ遠慮なく、と美青がストレートティーのボタンを押す。


ガラゴロ音を立ててペットボトルが落ちてくる。


そこに、宗方の声が重なった。


「え!?」


一体どんな心境の変化があったんだと明らかに動揺しまくった視線を向けてくる彼に、美青は説明するのも面倒で言葉を濁した。


「貰い物があったから・・適当に」


「専務がメシ食えって言ったのか!?」


「はあ?・・なんで一鷹さんが出てくんのよ」


「一鷹さんって・・・なに、お前そんな親密な関係なのか?」


矢継ぎ早な質問に、美青が首を傾げる。


10年近い付き合いなので、親密といえば親密かもしれない。


制服の頃からちょくちょく顔を合わせていたのだから。


「まあ、それなりに」


頂きます、とペットボトルを取り出した美青の肩を、宗方が掴んだ。


愕然とした表情で、美青を見つめる。


「昔から知ってるから・・って何よその顔」


「昔・・?」


「別にどうでもいいでしょ?あんたには関係ないし」


「関係なくない」


「・・っはあ?どこらへんが?」


「相手は専務だぞ」


「あの人が専務になる前から知ってんのよ、後付けで役職ついたからってどうこういう事もないでしょ!?それともなに、一般社員は専務と食事に行っちゃいけないっていう規則でもあるわけ!?」


言い返した美青が、手の中にあるペットボトルに視線を落とした。


無言のままの宗方に、それを押し付ける。


「返す」


「いらねぇよ」


吐き捨てた一言に、美青の視線が険しさを増した。


「ならいい」


ぷいと背中を向けて、フロアに向かって歩き出す。


どのみち今日はたっぷりと夕飯があるので、間宮にお茶の誘いを延期して貰うつもりだったのだ。


席に戻った美青は、スマホの動画に夢中になっている後輩の肩を軽く叩いた。


「室長いないからいいけど、目立たない様にしなさいよ」


「はーい」


「それと、ごめんね。お昼食べ過ぎたから、お茶はまたの機会に。これは、そのお詫びです」


謝罪と共に差し出されたのは、ペットボトルのストレートティー。






★★★★★★






言い過ぎたことは重々承知している。


自分が口を出す権利なんて、微塵も無かった。


今はひたすら現状維持と決め込んでいる癖に、欲を出した自分が悪い。


結局一言の口も利かないまま、美青は会社を後にした。


システム室は、シフト勤務の販売本部に合わせて7時まで電話当番がある。


今日の担当は宗方だった。


6時過ぎにはフロアの社員の殆どが帰宅していった。


とくに急ぎの電話も入らず、手持ちの仕事を片付けていると入り口から名前を呼ばれた。


「宗方さーぁん」


間延びした独特の呼び方は間宮だ。


定時にになると一目散に飛び出して行ったくせに、忘れ物でもしたのだろうか。


「どうした?」


「ちょーっと急ぎでお願いが」


「なんだよ」


「美青姉さんなんですけどー」


「っは?なに、何かあったのか!?」


また具合でも悪くなったのだろうか。


彼女の名前が他人の口から飛び出す度に、一番に浮かぶのはそのことだ。


俺のいないところで倒れてくれるなと心底思う。


「うっわ、食いつき早っ!」


苦笑いした間宮が、大丈夫ですってーと笑った。


一先ず体調不良とかではないようで、ほっと胸を撫で下ろす。


ちらりと時計を見たら6時半を回っていた。


「橘がどうしたんだよ、さっさと言え」


「秘書室のお嬢様方に捕まっちゃいまして」


「・・なんでまた」


「帰ろうとしたところに、タイミング悪く秘書室のネットが死んで、前を通りかかった姉さんが引っ張ってかれたみたいです」


「お前はなんでそれ知ってんだよ」


「さっきまで上で戦ってたゲーム仲間から聞いたもので。私が行ってもいいですけど、兄さんが行った方がよくありません?」


それは勿論いいに決まっている。


秘書室の女性社員は綺麗目美人を取り揃えており、本社の楽園とまで言われているが、敷居が高すぎてなかなか足を踏み込めない場所だ。


大義名分を経て入室で来て、しかも美青までいると言うのだからまさに願ったり叶ったりの状況ではないか。


「妙な色目つかったらだめですよーお」


「使うかバカ、お前ちょっと留守番しとけよ。急がないだろ?」


「そのつもりでしたよー。お邪魔はしませんのでご安心を」


「戻ってきたら飲みに連れってやるよ。一緒にな」


「お茶飲みつつゲームしながらお待ちしておりますっ」


ぴしりと敬礼した間宮が、カバンからペットボトルを取り出した。


見覚えのあるそれに、宗方が訝しげな顔になる。


「あ、これ?姉さんに貰ったんです。兄さんから貰ったけど、飲めないから、お茶会延期のお詫びって」


「・・・っはー・・・」


「なんかすいません」


間宮が周りかな憎まれないのはこの性格のせいだ。


せめて美青もこの半分位敏感ならいいのに、と無理は承知で思ってしまう。


彼女が自分の好意に気づいていたら、もう少し何かが変わるのだろうか。


「謝るな。そこは気づかなくていいとこだ」


間宮に不要な気を使わせるわけにはいかない。


そもそもの原因は自分にあるのだから。


入れ替わりで自分の席に向かう間宮の頭をくしゃりと撫でて、悪いな、と告げた後、宗方は足早にフロアを後にした。


ひとり留守番を任されることになった間宮は、空になった宗方の席を見つめて、乱れた髪を指で梳きながら呟く。


「だからなんでこーゆー風に、姉さんにも出来ないですかねぇ。キュンポイントの使い道間違えてるっつの」




★★★




外から様子を伺う事もせず、二回のノックと同時にドアを開ける。


「すいません、うちの橘来てますよね?」


質問というよりは確認だ。


首を巡らせるまでもなく、パソコンの前に座らされた美青と、それを取り囲む女性社員たちが見えた。


美青が男ならハーレム状態で鼻の下を伸ばしていただろうが、生憎今の彼女は顔面蒼白状態だ。


いい匂いのする柔らかい女性の集団というのは、嫌な記憶を呼び覚ます。


綺麗に塗られた唇を持ち上げて、主任秘書が口を開いた。


「急にお借りしてすみません。いきなりメールが使えなくなって困っちゃって」


「ちょうど前を橘さんが通りかかったものだから」


「ちょっと声かけたら見てみますって言ってくれて」


「ついでだから、パソコンの設定直して貰おうと思って」


次々と飛んでくるセリフに頷きながら、秘書の集団を掻き分けて美青の背中を捕まえる。


「橘」


その声に、美青の肩がびくりと震えた。


振り返った美青が、宗方に向かって”後は任せた”と呟く。


ぐったりと今にも倒れそうな彼女は、椅子から立ち上がるとこっちの方が得意なんで、と乾いた笑みを浮かべた。


薄い背中を押して遠ざけると、宗方は画面に向き直った。


「先戻ってろよ。間宮がいる。後は俺が見ますよ、何台調整が必要ですか?」




★★★★★★




要望通り、メインの3台のパソコンの設定を終えてシステム室に戻ると、そこには美青しかいなかった。


「お疲れー」


「おお・・・あれ・・・間宮どうした?」


「んー。菜々海予定あるからって帰った」


「え・・・あ・・・そう」


明らかに嘘だろうそれは。


どこまでも気の利くやつめと心の中で手を合わせる。


それは残念だな、と嘯く宗方に向かって美青がぺこりと頭を下げた。


「ごめん」


「え・・?」


瞠目した宗方が、美青の後頭部を凝視する。


謝るのはむしろこっちの方だったはずだ。


「貰った紅茶、菜々海にあげた」


「ああ・・本人から訊いた。いいよ、べつに」


「いや、よくない。子供みたいなことした。ごめん」


「いいって。最初に突っかかったのこっちだし。忘れろって」


「・・・じゃあ、次は、ありがとう」


「あー・・うん」


「いきなりちょっと来てって言われたから焦って・・・来てくれて助かった」


「だろうな」


「まあ・・あんたは役得だっただろうけど」


「おい!」


確かに美人の集まりとお近づきになれたが、今の宗方の目的は目の前の、色気や女性らしさとは全く無縁の存在なので。


ここは綺麗に突っ込んで正解だろう。


宗方の反論を気にもせず、美青は起こしっぱなしの宗方のシステムをログアウトしながら淡々と続ける。


「秘書室綺麗な人多いからね。見た目派手だけど、悪い人たちじゃないよ」


「それはあれか・・志堂専務のお墨付きってやつか」


「ああ、まあそれもあるけど・・やっぱり秘書室は花形だし、親族の目もあるから分家のお嬢さんを引っ張る事が多いらしいわ。って、あんた今日はやけに専務に絡むね」


何かあった?と心底不思議そうな顔を向けられて、いやだから!と言い返しそうになる。


「・・・何となく・・」


「うん」


「面白くなかったんだよ」


「・・・ふーん」


「専務とお前が仲良いことが」


決死の覚悟で告げたセリフ。


まっすぐ見つめる視線の先では、美青が驚いたように目を瞠る。


ちょっとは手ごたえがあったようだ。


遠回しな嫉妬に気づくなら、少しは見込みがあると思っていいだろう。


淡い期待の蕾が、宗方の胸で生まれる。


本音をいえばもうひと押ししたいところだが、彼女の性格を考えると躊躇われた。


宗方の視線を外そうともせず、美青がほんの少しだけ笑った。


「持ってるの人事の権限くらいだよ?」


「ちげーよ!!!」


即座に枯れた胸の蕾がじくじくと疼く。


ああ、そんな事だろうと思ったよ、思いましたよ。


どうしてくれようかな、もう。


ここで好きだとか言ったら、ありがとうとかで終わるんだろうな。


いや、最悪走って逃げるかのどっちかだな。


待て、この状況で走られでもして、俺が捕まえる前に転んだりしたら・・・


ナシだ、ナシだその選択肢はなし。


即座に繰り広げられた脳内会議で今後の方針が決まった。


「そんな否定しなくてもいいでしょ。まあ、どっか異動したくなったらゆってみて、一応相談くらいはしてみるけど・・」


美青が言いかけた言葉を途中で止めた。


ゆっくりと宗方のほうを見やる。


「・・・なんだよ」


凝視されてたじろぐと、うーんと難しい顔で美青が呻った。


「でも、宗方いなくなると困るからなー」


「っ、そりゃ困るだろ!当たり前だろぉが」


「うん、困る」


素直に頷かれて、今度は反応に困る。


仕事が大変になるから、とか、引継ぎが面倒だから、とか。


理由はこの際何でもいい。


ただ、彼女の口から”いないと困る”という言葉を聞けた事が嬉しかった。


「困るから、本気でいやんなる前に相談してよね」


「・・ならねぇよ」


堪え切れずにその場にしゃがみこむ。


昼間のやり取りも、専務のことも、どうでもいい。


「断言するんだ」


「ああ、してやる」


単純でも、大げさでも。


他ならぬ美青が”困る”というのだから。


「わかった」


そう答えた美青の横顔が、心なしかさっきより穏やかに見えた。


惚れた欲目だとしてもいい。


自分の発言が、彼女の心を僅かでも揺さぶったのなら。


触れたいとか、抱きしめたいとか、次々に湧いてくる欲求は見ないふりをして。


この距離にいても、何も出来ない自分がほんの少し不甲斐なくて。


けれど、いつもよりずっと穏やかな空気が流れるこの場所は、他のどの場所よりも居心地がいい。


動きたくなくなるほどに。


「なあ・・橘」


宗方がノロノロと視線を上げると、パソコンのシャットダウンを終えた美青が席を立つところだった。


「うん?」


「約束してやるから、お前メシ食えよ」


ここぞとばかりに強気に出る。


と、美青が突然手を打った。


「そうだ、宗方ご飯食べに来ない!?」

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