第29話 弾いてあげるよ?

今日は生徒会だから。


昨夜別れ際に言われた言葉。


あたしは咄嗟に「待っててもいい?」と問い返してしまった。


付き合ったからって、何かが変わるわけじゃない。


でも、今まで以上に菫哉と離れがたくなっている。


無意識に出た質問に、菫哉が踏み出した足をもとに戻して立ち止まった。


くるりとこちらを振り返って、あたしを見つめる。


街灯のおぼろげな光の中でも、菫哉が柔らかく笑んだのが分かった。


その顔を見て、途端あたしは自分の発言の浅はかさを知る。


こんなの、淋しいって言ってるようなものだ。


案の定菫哉はあたしの意図を的確にくみ取って、そっと前髪に触れてくる。


こういう触られ方に、まだ慣れない。


菫哉の起用すぎる指は、彼の愛情をダイレクトに伝えるから。


ちゃんと準備して、身構えてないと、フリーズして固まるか、パニックになって慌てるかのどちらかだ。


じっとあたしを見つめたままで、伺うように菫哉が尋ねる。


「詩音、いつからそんな甘えたになったの?」


「・・・っそ・・・そんなのこっちが聞きたいよっ」


あああああ!!


なんであたしの口ってそんな軽いの?


思った事がそのまま唇を滑り出した。


もうこうなったら、俯くしかない。


だって、菫哉の顔を見てこのまま話し続ける自信なんてこれっぽっちもない。


もーやだ、やだ、ばか。


「真っ赤」


前髪を撫でていた指があたしの頬に下りてくる。


綺麗な旋律を奏でる魔法の指が、きっとリンゴなみに真っ赤であろうあたしの頬をつんと突いた。


「そこで黙るのは逆効果だよ。齧りつきたくなる」


「っ!!・・・放っといてよ」


品定めするように頬に添えられた手を払う。


精一杯の強がりでプイっとそっぽ向くと、菫哉が小さく笑った。


「ここでほっとくのって、どうなの?」


「どうって、何がよ」


「ほっといたら拗ねるくせに」


思いっきり図星を指されて、あたしは今度こそ黙り込む。


無言のまま、完全敗北宣言。


どうやって逃げ帰ろうか考えていたら、菫哉の唇が耳たぶに触れた。


ココ外!と反論する間もなく、菫哉が問いかけてきた。


「どこで待ってる?」


”待ってていい?”の返事だ。


嬉しいのか悔しいのか恥ずかしいのか分からないままで、あたしは必死に返した。


「そ、そんなの自分で考えて!」


そしてそのまま退却。


菫哉とあたしの待ち合わせ場所の定番は音楽室だ。


言わなくても分かる。


きっと菫哉なら考える間でもなくここを見つけるだろう。


放課後、日直の仕事を終えてから音楽室に向かうと、案の定誰もいなかった。


掃除当番も撤収したあとのようだ。


ピアノを見ると嬉しくなるのは、もう昔からの刷り込みみたいなものだ。


音楽の成績が頑張っても平均のあたしにとっては、鍵盤がずらっと並んでる扱いなれない楽器は得意な筈ないのに、その音を知っているだけで、こんなにも好きになれてしまう。


きっと、ずっと菫哉の音を聞いていたからだ。


適当に引っ張り出した楽譜を初見でさらっと弾いてしまうような才能を目の当りにしてから、あたしは自分でピアノを弾こうなんて思わなくなった。


下手くそな指で叩かれる鍵盤が可哀想に思えたのだ。


教壇の端に積まれた楽譜の中から、一冊を抜き出す。


世界的に有名なアニメ―ション映画のテーマ曲だ。


結婚式なんかでも良く使われるそれは、何となく耳に残っている。


出来心で譜面台に楽譜を開いて、腰掛ける。


何とか読める音譜を辿って、人差し指でポンポン弾いてみた。


だめだ、全然曲にならない。


もっと綺麗な旋律なのに、あたしの指じゃやっぱりおもちゃのピアノレベルだ。


眉根を寄せて必死に楽譜を追っていると、突然隣から右手が伸びてきた。


「何弾いてるのかと思ったら・・・」


「菫哉!」


いつの間にか夢中になっていたらしい。


「珍しいね、ピアノ弾きたくなった?」


「聴きたくなったけど、演奏者がいないから仕方なく弾いていたの」


「それはごめん」


右手で鍵盤を適当なぞる。


その隣では菫哉が楽譜を見ながらさらっと右手で旋律を辿った。


当然だけど、音の違いに愕然とする。


何で同じ人間なのにこんなにも色々違うんだろう。


今更ながら菫哉の才能を痛い位自覚した。


目を丸くしたあたしの横顔を見て菫哉が笑う。


「誉めてくれてありがとう」


「何も言ってないよ!」


「しーちゃん、目は口ほどに物を言うんだよ」


にやっと笑った菫哉がそれ以上憎まれ口が飛び出さない様に、あたしの唇をキスで塞いだ。


「っ・・・!」


一瞬引けた腰を菫哉の左腕が抱き寄せる。


「演奏料、前倒しで貰ってもいい?」


耳元への囁きと同時に再び唇が重なった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る