第20話 逃亡者

「まどかー!こっちや」


改札を出たところで立ち止まった彼女に向かって手を振る。


きょろきょろと視線を巡らせて、俺を見つけた彼女の表情は・・・


嬉しくて微笑むどころか、一気に曇った。


「・・・・なんでこんなとこまで来ちゃったんだろ・・」


どうやら俺の顔を見て現実感が湧いてきたらしい。


「こらこら・・・えらいご挨拶やないか」


肩を竦めて見せた俺と視線を合わせて彼女が苦笑する。


「振り回してごめん」


「自覚があるならまだええわ・・・いきなり音信不通になられた方が困る」


溜め込んだ不安や鬱憤を爆発させるタイプは始末に負えない。


だから、こうして逃げて来てくれて本当に良かった。


「・・・他に・・・頼る人いなくて」


珍しく弱気な態度の彼女は、見るからにくたびれていた。


項垂れたまどかの頭をぽんぽんと撫でる。


「大好きなしーちゃんはどないした?」


幼馴染のしーちゃんの存在は、菫哉とまどかの両方から耳にタコが出来る位聞かされてきた。


ピアノもバイオリンも弾けないしーちゃんの心を射止める為に、菫哉が必死になっていた事も知っている。


「お兄ちゃんに取られた」


「あー・・・さよか・・」


燻ぶっていた幼馴染への気持ちが叶った今菫哉に怖いものはないらしい。


昔から一極集中タイプの男やったけど・・・こら彼女は大変やなぁ・・・


片時も離して貰えないに違いない。


もともと、菫哉がピアノを始めたきっかけだって”しーちゃんが上手だねって言ったから”なくらいやし・・・


今彼女にばらしたら、殺されるやろうなぁ・・・


そのうちコレをネタにしてなんかの時は使う事にしよう。


兄貴の方は一先ず置いておくことにして・・・まずはこっちやな。


慣れない駅の雰囲気に、しきりに視線を彷徨わせるまどか。


”今から行くから”


そんなメールが届いてから1時間半。


俺の地元の駅に降り立った彼女。


ここに来るまではアレコレ尋ねたいことがあったのに。


顔を見たらそんな気持ちはどこかに吹っ飛んでしまった。


表情見たら一発や。


たぶん・・・・本格的に失恋が確定したんやろう。


勢い任せに新幹線に飛び乗って来たまどかの気持ちを少しでも楽にしてやることが、俺に課された使命だ。




★★★★★★





「へー・・・今年も打ち上げ花火するのー」


「なんか、何年か前の先輩が、花火初めてそれが年々大きくなって今じゃもう秋の名物みたいなものだって、先生が言ってた」


「いいじゃない。夏の花火もいいけど、私は涼しい頃の花火の方が好きよー。海外なんて、年越しのたびに派手な打ち上げしたりするもの!」


リビングで楽しそうに話を弾ませる母さんと詩音。


ハッキリ言って、母さんは邪魔者以外の何者で無い。


まどかがレッスンなので、今日くらいふたりでのんびりできるかと思ったのに。


生徒さんが急に風邪で休みになったとかでキッチンでウキウキしながらアップルパイ焼いて僕達の帰りを待っていたのだ。


すぐに地下に籠ろうとしたのに、すかさず


「お茶にしましょう。しーちゃん!!」


と呼び止められるし。


詩音がこの家に昔みたいに来るようになって一番喜んだのは母さんだ。


昔から、まどかと詩音を姉妹みたいにして可愛がってきたし。


もともと人見知りの激しいまどかが、仲良かったのは当時から側にいた詩音だけだったので、余計にそばに置きたがった。


でも・・・いまは違う。


まどかは、聖琳に入って友達も出来たし、十分詩音なしでもやっていける。


むしろ、詩音無しで困るのは俺のほうだ。


クラスが違うからろくに顔を合わすことなく1日の授業を終えてようやく一緒に帰れたと思ったら出鼻を挫かれる・・・


ソファに腰掛けてから1時間ちょっと。


親孝行はこれ位で良いだろう。


立ち上がるタイミングを計っていると、家の電話が鳴った。


「あら・・・電話だわ」


立ち上がる母さんの背中を見ながら、僕も詩音の手を掴んで席を立つ。


「行こう」


「え・・・まだお茶・・」


「どうせ、長電話になるんだから。それに・・・十分付き合ったと思うけど?」


ちらっと母さんに視線を向けた詩音が


「おばさーん、御馳走様でーす」


と声をかける。


防音室のドアを閉める。


ここに鍵がついていないのが問題だ。


・・・鍵がついてないことで、抑止してる部分もあるけど・・・


いつもの指定席に向かおうとする詩音の腕を掴んで引き戻す。


ピアノと僕の間で身動きが取れなくなった彼女の顎を捕らえた。


詩音が何かを口にする前に、唇を塞いでしまう。


どのみにクレームめいたことだろうから、後でも先でも構わない。


母さんは電話中。


父さんは夜まで戻らない。


まどかは週3回のレッスン。


つまり、邪魔しにくる人間はいないってことだ。


学校の音楽室でしたキスとは違う。


廊下を歩く音が聞こえるたびに唇を離そうとする詩音を宥めるのは楽じゃないのだ。


”誰も来ない”


正確には


”誰も入ってこない”


だけど。


詩音にとっては、人が通る廊下がすぐそばにあるのにキスなんて出来ないというわけだ。


だけど、ここなら安心だ。


まどかが来ない限り、邪魔される心配はない。


いくら母さんでも、いきなりドアを開けるような無粋な真似はしないから。


「しー・・・」


「・・・ん?」


キスに慣れない彼女が、落ちつくまで触れるだけのキスを繰り返す。


「やっと緊張しなくなったな」


「へ?」


きょとんとこちらを見上げてきた濡れたように映る目。


瞼の際にキスをしたら、詩音が幸せそうに微笑む。


「こないだまで、カチコチだったのに・・・慣れた?」


触れるのも躊躇う位、緊張で固まっていた詩音を思い出す。


「ち・・・ちょっとだけね」


「ちょっとかよ」


笑って、彼女の頬を撫でる。


と、防音室のドアがノックも無に勢いよく叩かれた。


「ちょっと!お兄ちゃん!!大変よ!!!」





★★★★★★




「はーい・・・もしもーし・・・どちらさん?」


見慣れない着信番号に、なんとなく見当がついて通話ボタンを押す。


そのうち、連絡はくると思ってましたよ。


っつーか偉い早いなぁ・・・


斜め前で絶品ひつまぶしを頬張っていたまどかが怪訝な顔でこっちを見てきた。


そんな彼女の頭を安心させるみたいに撫でる。


たぶん、まどかはこういう年下扱い嫌がるやろうけど。


「まどかそっちにいるだろ?」


「・・・・・・情報早いなぁー」


「いるかいないかだけ答えろ」


「・・・なんでそない機嫌悪いん?」


「お前に教える筋合いはない。まどか、いるんだろ?」


「おるよ。一緒にいてる」


「・・・そっか」


その一言に潜んでいた深い安堵の色。


どうやら彼女は誰にも何も言わずに新幹線に飛び乗ったらしい。


直情型なんは兄弟揃ってかいな・・・


「今から迎えに行くから」


菫哉の言葉に俺はチラッとまどかの顔を盗み見た。


このまま帰してもええもんか・・・・迷ったのはほんの数秒。


「最終の新幹線乗せるわ。それまで預からせて」


「・・・・お前にも予定あるだろ?」


「新幹線乗ってまで会いに来てくれた女の子を2時間やそこらでよう帰さんわ」


「弓削」


「無茶はさせへんから心配すんなて。大丈夫や、ちゃんと返すから」


「・・・・分かった・・・悪いけど頼む。駅まで迎えに行くから」


「了解」


「・・・あ、そうだ。ついでにまどかに伝言頼んでいいか?」


「はいはい、承りましょう」


「馬鹿って言っとけ」


「・・・・・あのなぁ・・・」


思わず言い返そうとしたら、どうやら筒抜けだったらしいまどかが大声で叫んだ。


「幸せ絶好調のお兄ちゃんなんかにあたしの気持ち分かんないわよ!!」


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