第17話 慰めじゃないよ
まどかは昔から大人びた女の子だった。
音楽教室の発表会なんかでも、自分より大きな子が緊張して泣きじゃくるのを慰めたりしていた。
音楽一家で育ったせいか物怖じする事も無くて、いっつもちっちゃい背中をぴんと真っ直ぐ伸ばしていた。
多分これは、声楽家やった母親の影響なんだろう。
当の本人はというと、しれっと
「練習いっぱいしたから平気」
なんて言うくせに、しっかりその手は震えているというタイプで。
俺としては、なんやほっとけんコやなぁ、というのが当時の感想。
お互い習う教室が変わって、まどかはバイオリンの有名な先生のところに通うようになってからは会うこともなくなった。
兄貴の方とはコンクールでその後もちょくちょく顔を合わせていたけどそれも、中学に入るまでの話。
西門菫哉は中学入学と同時にコンクールに顔を出さなくなった。
12歳の冬のコンクールで入賞出来なかったことがそんなにショックだったのか?
唐突に尋ねたら
「目的がなくなった」
と答えられた。
目的ってのはプロのピアニストになることちゃうんか?
食ってかかった俺に向かって
「聴かせたい人がいないのに、弾いてもしょうがないよ」
とあっさり言ってのけた菫哉。
そこにいる万人に向けて最高の演奏をする。
それがプロを目指すものの心構えちゃうんか?
俺の疑問を他所にあっさり舞台から降りた菫哉は、調律の勉強の方を始めてしまった。
・・・俺には考えられへん。
恋愛とピアノのバランスぐらい自分で取れよ。
目指す場所があるなら尚更、自分をコントロールすることは必要や。
俺は、絶対間違うたりせえへん。
自分見失うような恋愛は絶対に選らばへん。
そう思ったのを今でも覚えている。
だから、一人の人間の名前が出てきた時に、てっきり同じタイプだと思っていたまどかの表情が一変して俺は唖然とした。
あのまどかが、信じられない位動揺したのだ。
☆★☆★
「あ、そうだ先生、見ましたよこの間頂いたDVD。素敵な歌姫のお嬢さんでしたねえ。絶品の深みあるジャズ」
若林先生の言葉に、まどかを連れてきた先生が満面の笑みで頷く。
「いい声だっただろう」
「ええ、とっても、先生の好みのお声でした」
「昔からの常連の子でね。なかなか人見知りで打ち解けるのに時間がかかったんだが・・ピアノ弾くと、すーぐ歌ってくれるんだよ。いっつもセットの男の子が居てね。大久保君がいるときがピカイチ良い声なんだ」
「へえ、彼氏?」
茶目っけたっぷりで尋ねた若林先生の言葉に、先生が首を傾げる。
その瞬間、それまで笑っていたまどかの顔が一瞬にして固くなった。
聞きたくない言葉を聞いたみたいに、唇を噛み締めている。
「さあ・・・まあ、そんなもんなんだろうなぁ。今日もふたりで来るって言ってたから・・・見つけたら声をかけるようにするよ。まどかちゃんは、多恵たちから何か聞いてるかい?」
急に話を振られて、まどかが慌てて顔をあげる。
それから困ったように首を振った。
「いえ・・・何も・・」
硬い声。
俺はそんな彼女の腕を掴んでこちらを振り向かせる。
「まどか、これやるわ」
そう言って、長机に並べられていた花束の中から淡いオレンジの花を一本抜き取った。
それを彼女の手に握らせる。
「・・・え・・・」
「女の子にはいるやろ?花」
「・・・・・ありがとう」
ようやく笑った彼女の顔を見てホッとする。
いつもの勝ち気が嘘みたいな、あどけない笑顔。
その表情を見たら、言わずにはいられなかった。
「・・・元気出しや」
俺の言葉を聞いて、弾かれたみたいにまどかが顔をあげる。
あ・・・しまった・・・要らん一言やった・・
と思っても後のまつり。
バツが悪そうに顔をしかめた俺を見上げてまどかが困ったみたいに微笑んで小さく呟いた。
「・・・・ありがと」
★★★★★★
もーなんで見透かされてるかなぁ・・・・
演奏前に緊張ほぐしてあげるつもりだったのに逆に励まされてどーするあたし!!
昔っから修君はそうだ。
人の気持ちに敏感な子だった。
油断・・・したなぁ・・・失敗・・・
溜め息ついたら、右手に持っていたガーベラが目に入った。
「女の子にはいるやろ?花」
彼の言葉を思い出す。
背筋・・・伸ばさなきゃ・・・
ただでさえ人込みに埋もれてしまう低身長なんだから、俯いている場合じゃない。
廊下を足早に抜けて、ホールに入る。
すでに殆どの席が埋まっていた。
さすが、コンクール優勝者は違うなぁ・・・
あたしの”頑張ってね”なんて彼にはほんとに必要ない。
だって、修君はいつだってその会場に来た人みんなのためにいまの最高の演奏をしちゃう人だから。
気持ちでブレてぐらぐらするお兄ちゃんとは違う。
そういう余計な感情一切抜きにした、会場の空気を塗り替えるみたいな別の世界に引っ張りこんじゃう。
一瞬にして捕らわれてしまう。
だから、嫌なことも忘れられる。
「ちゃんと聴いててや」
部屋を出る前に念を押すみたいに言われた台詞。
「当たり前でしょ」
その為に来たのだと笑って返したけど。
寝ちゃうとでも思われたのかしら・・まさか!!
あれこれ思考を巡らせながら座席に向かう。
すでにお兄ちゃんとしーちゃんは席に着いていた。
あーあ、ちゃっかり手ェ繋いでるし・・・って・・・あ。
右端の席に大久保さんたちを見つけた。
なんとな気まずくて、気づかない振りでそそくさと座席に座る。
「まどか、弓削とちゃんと会えた?」
「うん。会えた。グレイスのマスターに会えたから控え室までノンストップだった」
「へえ・・・そうなんだ」
「お話出来て良かったねー・・・あ・・可愛い花」
ガーベラに気づいたしーちゃんが羨ましそうにつぶやく。
「さっきね、修君に貰ったの。しーちゃんの分も貰ってきたらよかったね」
あんなにいっぱいあったのに。
とお兄ちゃんがしーちゃんに向かって微笑む。
「帰りしな花屋寄ろうか」
・・・ほら出た・・・
だから公衆の面前で甘ったるい声と余ったる目線垂れ流さないの。
しーちゃんは真っ赤になって首を振った。
「・・・いい」
★★★★★★
メジャーどころのクラシックの曲に、映画音楽を交えた初心者にも聞きやすい構成のコンサートは終盤に差し掛かった。
アンコールに応えて出てきた彼がお辞儀をひとつしてピアノのそばに置かれていたマイクを手に取る。
静まり返ったホールに向かって、彼はゆっくり口を開いた。
「今日のコンサートもいよいよ最後の曲になりました。僕のピアノのために、足を運んでくださった皆様に心からお礼を申し上げます。これからも、応援して下さる皆様に恥じること無い、素晴らしい演奏が出来る様に努力を続けていくつもりです。見守ってください。そして・・・最後に。本当は、別の曲を用意して来たんですけど・・・どうしても、聴かせたい曲があるので。久しぶりに再会した・・・友人の好きな曲を弾こうと思います。昔、そのコのバイオリンと初めて一緒にセッションした思い出の曲です」
ちらっとお兄ちゃんがあたしの方を見たけど何も言わなかった。
しーちゃんは意味が分からずに、え?という表情でこっちを見てくる。
こんなド真ん中の席で、逃げ場も無くて・・・
マイクのスイッチを切った彼が、一瞬だけあたしの方を見て微笑んだ。
唇が動く。
『なぐさめちゃうで』
その動きを読み取って、頬が熱くなった。
ちょ・・・ちょっと・・・・
焦るあたしを他所に、涼しい顔で彼が鍵盤に指を滑らせる。
聴こえて来たのは・・・きらきら星変奏曲。
やだ・・・なんでこのタイミング!?
慰められるの好きじゃないし、同情なんてもっとごめんだ。
あたしはちっとも惨めじゃない。
見込み無くても恋だもん。
精一杯好きだもん。
色んな感情が渦巻いてあたしは思わず手を握り締めそうになる。
あ・・・お花!!
オレンジのガーベラがライトを受けて眩しく光る。
意地でも泣くもんかって思ってたのに。
いつの間にか、頬を涙が伝っていた。
気付いたしーちゃんが、ハンカチを差し出してくれる。
「感動しちゃった?」
「・・・・いろいろ」
嬉しいのと、悔しいのと、いろいろ。
受け取ったハンカチをぎゅっと握って、あたしはごちゃ混ぜの気持ちを必死に飲み込んだ。
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