第14話 見込みなくても恋ですか?
借りてきた猫。
ってのは言い過ぎだけど・・・
こんなに”女のコ”なまどちゃん初めて・・・
恋すると女の子は・・・全身でスキって表現するんだなぁ・・・
☆★☆★
「柊」
「ん」
井上さんが名前を読んだと思ったら、大久保さんの前に7割残ったジンジャエールのグラスが置かれた。
「甘いもんは?」
「いらない」
首を振る井上さんは、菫哉が弾いている映画のテーマ曲に耳を傾けて、ゆっくりと音を楽しむ。
「・・・あー良い音・・・しあわせ」
しみじみ呟いて、それからあたしの方を見る。
「アナタのおかげかな?」
「え・・?」
「楽器って素直だから、弾き手のメンタル面がすぐに音に出るんだけどねー・・・前に一回聴いた時よりずっと・・・優しくなってる」
「・・・はぁ・・・」
「多恵、勝らも来るってさ。矢野がリクエストしたい曲あるって言ってるらしいけど?」
「んー・・時間あるなら歌うって言っといて」
「了解。まどかちゃんは?ドリンクもういいの?」
井上さんの残りのジンジャエールを口に運びながら大久保さんが問いかける。
井上さんと大久保さんとを交互に眺めてドギマギしていたまどちゃんが大慌てで顔を上げた。
「あ、ハイ!大丈夫です!」
いつもより数段高い声と震える語尾はまさに恋する乙女そのものだ。
「まどかちゃん、お前のファンらしいよ?」
にやっと笑った大久保さん。
「え・・・もうファンっていうか・・好きです!」
まどちゃんのセリフに井上さんが笑う。
あ・・・いま、一枚彼女を包むフィルター捲れた気がした。
「アリガトー・・あたしもまどかちゃんの音好きだよ」
「嬉しいです!」
あたしは目の前で繰り広げられる微妙な三角関係に気づいて思わず眉根を寄せてしまう。
大久保さんが井上さんを好きなのは一目瞭然。
そして、まどちゃんが大久保さんを好きなのも一目瞭然。
そして、きっと井上さんも大久保さんを好きだ。
でもってまどちゃんも井上さんを好きだ。
・・・・どーなってんの?
分かんないこと有耶無耶に出来ない性格なのであたしは思い切って大久保さんに言ってみる。
「あの・・・おふたりは大学のお友達なんですか?」
仲はすごくいいみたいだけど、関係性が見えない。
あたしの質問に大久保さんが笑って首を振った。
「友だちってか、もう家族みたいなもんだよ。同じ団地で育ったんだ」
「あ・・・幼馴染ですかぁ・・」
ようやく納得がいった。
井上さんをちっとも構えてないワケも分かる。
過ごした時間の長さからくる信頼感ってやつね。
あたしも経験あります。
「詩音ちゃんは・・・まどちゃんの先輩?」
「あたしとしーちゃんも幼馴染です。しーちゃんはお兄ちゃんの同級生で、お家も隣で・・」
まどちゃんがにこにこ嬉しそうに話す。
「へえー俺らと同じだなぁ」
大久保さんの呟きに、井上さんがつっこむ。
「うちらのボロ団地と一緒にしないの」
「・・・あの団地好きなくせに」
すかさず切り返した大久保さんの言葉に、井上さんが照れたみたいに頷いた。
「煩いよ・・・あ・・・曲変わった・・」
聴こえて来たよく知っているメロディに、あたしは思わずピアノを弾く菫哉の方を向き直る。
みんながよく知るその曲は・・・
”星に願いを”
聴くたび幸せな気持ちになれる優しい歌だ。
あたしが、彼に弾いてとリクエストした曲でもある。
一瞬だけ目が合った菫哉が、ふわっと穏やかな顔で笑った。
咄嗟に胸を押さえたのはあたし。
・・・ドキっとした・・・
★★★★★★
大久保さんが好きか?
と訊かれたら迷わず頷きます。
あの人に、あたしのバイオリン聴かせたいって思う。
でも、井上さんが好きか?
と訊かれても迷わず頷きます。
だって・・・ほんとに彼女はあたしの憧れで・・・
・・・あたしは井上さんを殊更大事にしようとする大久保さんに恋をしたんだ。
叶わないこと承知のうえで。
☆★☆★
マイクを握る彼女の横で、バイオリンを弾く。
音合わせもばっちり。
隣には憧れの歌姫。
あたしは史上最高に幸せな気分で演奏する。
落とされた照明。
淡いスポットライトがテラスステージから、客席を眺める。
大久保さんの視線は、まっすぐに井上さんに注がれていた。
あたしなんて眼中にないはず。
あたしも・・こんな風に大事にされたいなぁ・・・
勝手に湧き上がって来る期待と憧れはいつまでも鳴りやまない。
彼の隣には、同じ友英の同級生だという男女数人のグループが腰かけていた。
彼女たちと話し込む井上さんは、まるで普通の女の子で、そのくだけた表情を見るたびに、胸がチクンと痛む。
その表情をずっと隣で見ていた人。
あたしの入り込む余地すらない位、井上多恵だけを見守っていた人。
告白・・しないのかな・・?
お互い気持ちは分かってるから言わないだけ・・?
きっと・・付き合うのなんて時間の問題だろうなぁ・・・
でも、それすら素敵だと思うあたしがいる・・・
”好き”なんだけどなぁ・・・
じわっと広がる苦みを打ち消すみたいに、弓を鳴らす。
この気持ちすら、音楽にしてしまえば綺麗に空気に溶けていくのだ。
嫉妬も、焦りもみんな。
あたしの恋は叶わないかもしれない。
でも、好きな気持ちに変わりはないのだ。
彼の目に映る姿は・・・いつだって笑顔のあたしでいたい。
恋したら、誰だってそうでしょう?
背伸びだってなんだって、構わない。
”一番”のあたしでいたい。
★★★★★★’
ざわめくフロアを抜けて、カウンターの前を通り過ぎる。
最後の曲も終わって、残っているのはスタッフと関係者のみ。
まどちゃんは相変わらず、大久保さんたちのグループと話し込んでいてあたしと菫哉がお店を出たことにすら気付いてない。
こういうお店にも慣れないし、なんとなくゆったり曲を聴くって気持ちになれなくて、ずっと椅子の上で固まっていた。
菫哉の音に飲み込まれて我を忘れないように必死だった。
このまま溺れたらどうしようって思った。
ピアノの音が消えて、やっとカウンターに飲み物を取りに行ったらすかさずやってきた菫哉に腕を掴まれたのだ。
「ちょっと付き合って」
そんな言葉とともに連れてこられたのはグレイスの路地裏。
窓から漏れるお店の明かりが暗いアスファルトを照らしている。
ざわめきも届かない深夜の街は驚くほど静かだった。
握っていた手を解いて、菫哉が綺麗な満月を背に振り返る。
「・・・感想は?」
「すごかった・・」
だってそれ以外言いようがないんだもん。
きっとここで音楽評論家とかなら、音のことや技巧のこと褒めるんだろうけど。
呟いたあたしの顔を覗き込んで、菫哉が続ける。
「何点?」
「点数付けるの!?」
「うん。何点?」
「・・・・・100点満点」
あたしの言葉に、菫哉が嬉しそうに笑う。
子供みたいな素直な笑顔はホントに久しぶりで、あたしも一緒に微笑んでしまう。
「じゃあ、ご褒美貰わないとね」
そんな言葉とともに、唇が重なった。
ほんの一瞬。
目を閉じると同時に離れていった彼の気配。
あたしはゆっくり瞬きして彼を見返す。
「・・・・え・・・」
「2回目は詩音からして」
「・・・は・・・」
何も言い返せなくて呟いたら、呆れたみたいに菫哉が笑ってあたしのことを優しく抱き寄せる。
額に、頬に、いつかみたいに触れる唇の感触にどぎまぎしていたらいつの間にか月は雲に隠れてしまっていた。
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