第12話 きみに

ピアノを弾いている時の菫哉はきっと回りの音聞こえてない。


話声、笑い声、雑踏、なにもかも。


集中してしまってる彼の側は、空気がシンとしていて張りつめてて。


どこか異空間みたいで。


そこにいることができるあたしは、とても幸せだと思う。


この音を、彼の一番側で聞いていたいと思う。


思ってはいても・・・口にはできないけど・・・



☆★☆★



ジャズバーでピアノに触れてから、菫哉はのめり込むみたいにピアノばかり弾いている。


学校から帰ってから寝る寸前まで。


休みの日となるとほぼ一日だ。


「あっれ・・しーちゃんまだいたの!?」


防音室でピアノに没頭する菫哉に付き合うこと3時間。


やってきたまどちゃんの声に気付いて時計を見ると23時すぎ。


げ・・・なんって時間!?


いくらお隣とはいえお邪魔しすぎな時間帯だ。


勝手知ったるお隣さんに入り浸っている事はパパもママも知っているので心配はしていないだろうけれど。


「う・・え!?も・・もう帰る!!」


ピアノの椅子の足もとに凭れていたあたしは大急ぎで立ち上がる。


と、まどちゃんがなぜだか慌てて口を開いた。


「ご・・・ごめんねてっきりお兄ちゃん一人だと思って・・・ノックもしないでドアあけちゃった!・・・・邪魔しちゃった!?」


「ななななに言ってんの!?」


っていうか、ノックされてもきっとピアノの音で聴こえなかったし。


どんな邪魔だってーのよ!!


まどちゃんってホンットに年下!?


信じられない位大人だと思うのはあたしの精神年齢が低いから!?


パニック状態のあたしの背中をトンと押して


菫哉がゆっくり立ち上がる。


「まーどーかー茶化さなくていいから。詩音、行こう送るよ」


「あ・・・う・・うん」


「ピアノばーっかりで飽きない?しーちゃん。お兄ちゃんってホンットに面白みないんだもん」


「うるさいよ」


「いくら井上さんとのセッションだからってしーちゃんそっちのけでピアノ漬けになることないのにー」


「井上さんって?」


「ああ。本番で入って貰うボーカルの人だよ」


まどちゃんの”井上多恵”好きは半端ない。


”深みと色気のある強い声”で”伴奏と溶け合うみたいに綺麗に響かせる”凄腕ボーカル‘’と珍しく菫哉がお世辞抜きで褒めた相手でもある。


まさか、その井上さんとセッションだなんて・・しかも・・・女の人だなんて・・・・・・かーなーりー!!!


面白くないんですけど!?



☆★☆★



「すっごく歌上手いんだってね?」


指鳴らしで適当に音を鳴らす彼に聞こえる様に言ってみる。


「誰のこと?」


きょとんとした表情で菫哉が言う。


「井上さん」


「ああ・・・絶品だよ」


「ふーん・・」


「詩音も聴いたらきっと好きになるよ」


「そんな凄いの?」


「上手いけど・・・なんかそれだけじゃない。あの店で歌ってる時の彼女は、ちょっと神秘的なくらいカッコイイよ」


「・・・へーえ・・井上さんって美人?」


思わず問いかけた自分の言葉にびっくりする。


大事なのは“声”でしょーが!


外見がナンボのもんよ!!


「普通に可愛い人だよ。愛想があればね」


「・・・どゆこと?」


「極度の人見知りで、初対面だと殆ど喋らないから。第一印象はあんまり良くないかも。慣れると良く喋るんだけど。基本無表情」


なんであんたがそんなことまで知ってんのよ!?


ただのボーカルとピアノでしょ?


いつからの関係!?


え、待って、関係ってなに!?


「・・・む・・昔から知ってるの?」


ってこれじゃあまるで、浮気を問い詰める妻の絵。


付き合ってもないのに・・・


ああー!!もう自己嫌悪!!


「カズ・・ああ、従兄に連れてってもらってからだからここ1年位の知り合い」


「知りあい・・?」


幼馴染>友達>知り合い


だよね?あたしのが優位。


って順位とか関係ないし・・菫哉にとっては音楽が全て。


付き合いの長さとか深さは関係ない。


自分と波長の合う音を出す人は誰でも気にいちゃう。


きっと・・井上さんも・・・


告白する勇気もないくせに、一端にヤキモチは妬けるんだ・・


つくづく。女ってムズカシイ・・


「井上さんのこと気になる?」


高音から低音をざっと指でなぞって、響く音を確かめながら菫哉が


あたしの方を見た。


定位置のひとり掛けソファで膝を抱えたままであたしは首を振る。


「あ・・ううん。まどちゃんからも話聞いたことあったし・・どんな人かなって思っただけ。う・・上手くいくといいねェ。本番」


「合わせやすい人だから、あんまり心配はしてないんだ。でも、どうせやるなら適当にはしたくないから・・」


嬉しそうに言ってスコアを開く菫哉。


井上さんやまどちゃんは、音楽で菫哉と繋がってる。


一緒に音楽を作り上げることができる。


どう頑張ったって、あたしには出来ないこと。


”同じ経験”は絶対にあり得ない。


あたしに出来ることは、菫哉の音を聞くことだけ。


・・・・外から見てることだけ。


だから、こんなに仲間外れみたいに思ったんだ・・・


「しー?」


菫哉に呼ばれた気がしたけれど、頭の中では別のことを考えていた。


井上さんと菫哉が仲良くなっちゃったらどーしよ。


音楽を通して近づいた2人なら・・きっとすぐに・・・


床を見つめていたら、いきなり菫哉に顔を覗きこまれた。


「詩音?」


まじかで声がして、あたしはやっと我に返る。


「・・・わっ・・な・・なに!?」


「急に黙り込むから。眉間にしわ寄せてどうしたの?」


「・・・・べ。。べつに」


「分かりやすい嘘吐かない」


前髪の隙間から指が滑りこんでくる。


指先がそっと額を撫でる。


「・・・なんでそんなの分かるのよっ」


「拗ねた時に黙り込むのは、しーちゃんの癖だから」


「・・・拗ねてませんけど」


「問いつめられてそうやって言い訳するのも、昔と全然変わんないね。井上さんのこと気になってるんだろ?」


ニヤっと笑った菫哉があたしの指先を掴んだ。


ソファの手すりに腰かけて視線をこちらに向けてくる。


だんだん熱くなる指先から意識をそらすべくあたしはピアノを


反対の手で指さした。


「ピ・・ピアノ弾けば!?」


「弾いてもいいけど・・・気になってるんでしょ?」


「・・・井上さんのことなんか別に・・・」


「井上さんって彼氏いるよ?」


「・・・へ・・・」


「彼氏っていうか・・・もうすでに家族みたいな人がね」


「え・・・」


「安心した?」


「べ・・・っ別にっ」


ぷいっとそっぽ向いたら、伸びてきた指に顎を捕えられた。


必然的に振り向くことになる。


「何弾こうか?」


「・・・え・・・リクエストきいてくれるの?」


咄嗟に尋ねたら、菫哉が笑って頷いた。


「詩音の機嫌が良くなるならね」


「・・・」


このまま口車に乗るのは腹が立つ。


でも・・・あたしのために弾くピアノには・・・惹かれる。


試行錯誤を繰り返すあたしの頬をなぞった後、菫哉がゆっくり顔を近づけてきた。


思わず目を閉じる。


「曲決めた?」


耳元でした優しい声。


この状況であっさりリクエスト決められるわけない!


「ちょ・・・ちょっと待って!」


必死になって言ったら、頬に唇が触れた。


「うん。だから待ってるじゃない。ゆっくりでいいよ?」


ちっとも悪びれない声でそう言って、菫哉が今度は耳たぶにキスをした。


首筋を撫でた後、ゆっくりと抱き寄せられる。


だから余計考えれないってば!!


でも、言い返せないあたしはそのまま黙り込むしかなく。


そんなパニック状態の真っ赤なあたしが解放されたのは、


それから10分後のことだった。


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