第6話 弾いて

「お兄ちゃん・・・」


「なに?」


防音ルームのドアを開けたままで、ピアノから手を離そうとしない僕の方を見て、まどかがジト眼で呼びかけてくる。


「しーちゃんに言ったの?」


「・・・・」


どの口がそれを言うか?


思いっきり邪魔してくれたのは何処の誰だ?


思いっきり視線で訴えたら、腕組みしたままでまどかが右眉をはね上げた。


「・・・なによ?」


「お前は余計な心配しなくていいよ」


というか、むしろ何もしてくれるな。


「・・・あのねぇ!!お兄ちゃんがボケーっとしてたら、しーちゃんあっという間に居なくなっちゃうって言ってるでしょ!!そうしたらあたしの計画がっ!!!」


そこまで言って、まどかが慌てて口を紡ぐ。


僕は鍵盤を叩く手を止めて、彼女の方に向き直った。


これはきちんと確認しておかないと・・・


「計画って・・・?」


「・・そ・・・それは・・・その・・」


「まーどかー」


僕が念を押すように呼びかけると、しぶしぶ彼女が部屋の中に足を踏み入れた。


ゆっくりと重たい扉が閉まる。


「・・・まどかが、バイオリニストになったら・・・・しーちゃんにマネージャーやってほしいのよ」


「・・・えらく先の話だね」


「だって、あたしが遠慮なく甘えられる相手って、お兄ちゃんとしーちゃん位のものでしょう?しーちゃんとは気が合うし、楽しいから・・・・マネージャーしてくれたら、しーちゃんに近づく男はあたしが追い払ってあげられるし・・そしたら、お兄ちゃんだって安心でしょう?それで、いつかしーちゃんとお兄ちゃんが結婚してくれたらお義姉さん(おねえさん)になるわけじゃない?あたし達3人でずーっと一緒にいられるから・・・だから・・・」


なるほど。


実に興味深いし、惹かれる話ではある。


正直。かなり。


でも・・・・


ピアノに頬杖ついてこちらを見てくるまどかの髪を撫でる。


僕は静かに言った。


「まどかが心配しなくても大丈夫だから」


「・・・でも・・」


「ちゃんと捕まえてみせるよ」


もちろん、僕自身のために。


「・・・ホントに?」


「この1年で嫌ってほど分かったからね」


「なにが・・?」


「僕の中で、ピアノ以上に大事なものがあったってこと」


「・・・それ・・」


顔を上げた妹に向かって頷いてみせる。


「だから、ちゃんと考えてるよ。それに、こーゆうのは、タイミングなの」


「・・・うん・・」


「とにかく、まどかは僕の心配なんかより、自分の練習をちゃんとすること。コンクールまで2か月切ったんだろ?」


「・・・はーい・・お兄ちゃん、絶対だからね?あたし、しーちゃん以外の人がお義姉さんなんて認めないから!どんな罠しかけても、既成事実作っても構わないから!!絶対しーちゃんをモノにして!」


15歳の聖琳女子高校の女子生徒の口から出たセリフだと死んでも認めたくない単語の数々に、僕はがっくり肩を落として、妹に向かって呟く。


「・・・まど・・・頼むから黙ってて?」


まどかのバイオリンはいつも鮮やかだ。


雨雲を吹き飛ばす強い青い風みたいに、人の心を掴む。


”気の強さが、音に出る”


と言われることもあるけれど、彼女の物怖じしない性格を僕はとても愛している。


ただ・・・この奔放さが玉にキズだと思う時もある。


間違いなく美少女で、どこに出しても恥ずかしくない技術を持っている。


バイオリニストとしての才能も豊かだ。


・・・一枚めくればこうだけど・・・


いつか、彼女が本当の恋をする相手が心の広い穏やかな青年であることを祈る。


僕の言葉に”はーい”と返事してまどかが笑った。


「でも心配だなー・・・お兄ちゃん、押し弱いから!!!」


「・・・それは悪かったね」




★★★★★★




「やっぱりこっちに居たー!!」


音楽室のドアを開けるなり大声で言ったのは詩音だ。


後ろに見えるのは親友の・・・・・


僕はついこの間の一件を思い出す。


カマかけられたけど・・・この状況を考えたら綺麗に水に流すべきだろうな。


「あ、西門君いたの?詩音」


「うん!乃亜、ごめんね?付き合わせちゃって・・・」


「いいのいいの。じゃ、あたしは部活行くから」


「ありがとー愛してるー!!」


詩音の口から飛び出た単語に思わずピアノを弾く手が止まる。


・・・それって・・・どうなんだ?


”好き”(しかもピアノ)とは言われたけど・・・”愛してる”なんて、この10数年、一回だって言われたこと無い。


・・・いつか聴けるんだろうか?


そんなことを思って、廊下の方に視線をやったら詩音の肩越しに、梶本さんと眼があった。


含み笑いを浮かべて会釈される。


・・・・なんだかなぁ・・・


「はいはい、あたしもよ。じゃあ明日ねー」


「うん!ばいばーい」


無邪気に手を振ってるし・・・・・


僕はため息を飲み込んで、この前カズと一緒に行ったジャズバーで聴いた女性ボーカルの曲を聞きかじりで弾いてみる。


結構好きな曲調だったんだよなぁ・・・


「教室行ったらいないんだもん」


親友を見送ってから音楽室に入ってきた詩音が不貞腐れた顔で言ってこちらに近づいてくる。


「用事だった?」


「ううん。一緒に帰ろうと思って」


「探した?」


「うん。でも、教室にカバンあったから、たぶんこっちだろうと思って・・・なにーそのオットナーな曲・・」


「この間、従兄とジャズバーに行った時聴いたヤツ」


「えー!!!なんでこっそり行ってるのよー!」


「だって夜だよ?」


「だから何?」


怪訝な顔で問い返されて、僕は言葉に困る。


「危ないでしょう・・色々と」


「・・・なにそれ・・・・腹立つから、ちゃんと弾いて?」


不貞腐れた顔で呟いた詩音が、思い出したように続ける。


「あたしのためにね?」


「・・・いっつもそうだよ」


そう言ったら彼女が幸せそうに笑った。

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