第5話 ドレミのド

「詩音・・・・それ、音違うから・・・1音飛んでる」


詩音が鼻歌で歌った曲のメロディを軽くなぞる。


「えー・・?そお・・?」


彼女が作曲した部分は訂正して、適当にメロディを加える。


「ほらね」


CMでしか聴いたことがないので、その続きは想像するよりほかにない。


「・・もっと弾いて?」


嬉しそうに詩音が身を乗り出す。


さっきは僕の隣に張り付いて鍵盤を見ていたのに、いつの間にか彼女専用となっているひとりがけのソファに移動してるし。


まあ、弾き始めたら他が御留守になる僕も悪いけど。


まどかが差し入れをしたらしい、大きな丸いクッションを抱え込んで幸せそうに詩音が笑う。


僕は“面倒くさいよ”を飲み込んで、彼女が好きな映画の曲を弾き始める。


ずっと昔、父さんの書斎で見つけた古い古い映画の音楽。


詩音が以前のように我が家に、(というか半地下の防音室に)来るようになって2週間。


彼女がいなかったことが信じられない位、詩音はこの部屋に馴染んでいた。


当たり前と言えば、そうなのかもしれない。


つい1年前までは、受験勉強の合間にいつも気晴らしでピアノを弾いて聴かせていたのだ。


ソファで丸くなって、参考書が彼女の手から滑り落ちるのを何度も見たっけ。


一応僕は”他人”の部類に入るハズなのに、こうも無防備に寝顔を晒されると本当に困る。


詩音は昔からそうだ。


誰とでも打ち解けるし、すぐに仲良くなる。


自分から決して壁を作ったりしないし、誰かを嫌ったりもしない。


だから、人にいつも好かれる。


彼女が大勢の”善意”に守られるのはもちろん嬉しい。


けれど、その反面その中に潜む”好意”を思うと僕はどうしようもなくイライラする。


詩音が楽しむ場所から、彼女を引っ張り出すこともできずに結局、遠くから見ているしかない自分に。



僕が望む”ふたり”のかたちと彼女が望む”ふたり”のかたちは、あまりに違いすぎるのだ。



そしてそれを突き詰めることも出来ずに結局僕は彼女のために、ピアノを弾くしかないわけで。


「ねー・・・これってなんだっけ?」


ソファで膝を抱えたまま(彼女的には、一番この体勢が楽らしい)楽譜やらCDやらを見ていた詩音が、僕に向かって一枚の楽譜を差し出してきた。


酷く見慣れた音の羅列。


鍵盤から指を離して、僕はそれを受け取る。


「・・・詩音もよく知ってる曲だよ」


「ほんとに?」


「うん。音、よく見てみな」


「・・・音ー・・・?」


怪訝な顔で返したスコアを手に、五線譜の音符を読み取る詩音。


ドレミ・・・一音ずつ音を確認する、しぐさは昔と少しも変わっていない。


一緒に指が空中の鍵盤を叩く。


僕は笑いを堪えて、スコアの最初の何音かを鳴らして見せた。


途端、詩音の顔が明るくなる。


「知ってる!!!」


「だろ?」


両親が一番好きな曲でもあり、詩音が一番好きな曲でもある。


「カノンね!」


満面の笑みで告げられた曲名に頷いて、僕は鍵盤を鳴らし始める。


「正解」


防音室に広がった音の波に揺られるみたいに、詩音がゆったり微笑む。


彼女がこの1年、この部屋にいない間ずっと。


僕は家ではピアノに触れること無く過ごしてきた。


あのソファにも近づかなかったし、カノンを聴くことも避けてきた。


でも・・・たぶん。


僕は自分で思うよりもずっと、この部屋に彼女の姿を求めてきた。


当たり前みたいに、あのソファで眠る詩音のことをいつも、いつも思って来た。


僕の気持ちを彼女が知っていなくても、彼女が僕に対して抱いている気持ちが、ただの”幼馴染としての友情”なんだとしても。


そんなの関係ない位。


とにかく、詩音に側にいてほしかった。


僕のピアノを聴かせたかった。


他の誰にも認められなくたって、彼女が”好きだ”と言ってくれたらそれで満足だと思えた。


初めて僕が彼女にピアノを弾いた日。


キーボードを前に弾ける笑顔で手をたたいて喜んだ大事な幼馴染の、嬉しそうな顔が見たくて。


僕は、もう一度その顔を見るためだけに、ピアノを弾きたいと思ったんだ。


最後の一音を丁寧に鳴らして、ゆっくり指を離す。


ちらっと詩音の方を見たら、満面の笑みで手を叩いた。


「・・やっぱり最高!!菫哉のピアノが一番ね」


屈託なくそんな風に言う彼女。


詩音は僕の百倍は素直だ。


感情がすぐに顔に出る。


嬉しい時には全力で笑うし、悲しい時にはすぐに泣く。


難しいことを言ったらすぐに眉根を寄せて黙り込むし怒らせたら手の着けようがない位、暴れる。


その時の感情のままにふるまう。


だから、彼女のこの素直な反応は本気で嬉しかった。


でも、僕が本当に欲しい答えには1歩足りない。


「・・・一番?」


僕は立ちあがって、ソファで膝を抱える詩音のそばに行く。


「うん。もちろん」


頷いた彼女の手から、スコアを抜き取る。


古びたカノンのスコアだ。


きっと父さんのものだろう。


ルームランプの置かれたサイドテーブルにそれを載せて彼女の掌を握る。


何か言おうとして詩音の唇が僅かに動く。


ソファの手すりに腰かけて、彼女の目を覗きこんだ。


「・・・それって・・・ピアノだけなの?」


「・・・・・え」


疑問形なのか、ただの呟きなのか決め難い小さな呟きが聞こえた。


「・・・なに・・・が・・」


逸らしかけた瞳を留めるべく身を乗り出す。


「詩音にとって一番なのは、僕のピアノだけなの?」


「・・・ピアノ・・?」


「ピアノ弾ける幼馴染じゃないとこも、好きになってよ」


「・・・・え・・・?」


目を丸くした詩音が今度こそ問い返して来る。


「嫌?」


「・・・・・菫哉・・」


詩音が僕の名前を呼ぶ。


「うん?」


なるたけ優しく問い返す。


と、次の瞬間割り込んだのは無粋なまどかの声。


「詩音ちゃーん!さくらんぼ持って帰るー?」


狙ったとしか思えないタイミング。


「っ・・・・・・あー!うん!!まどかちゃん!持って帰る―!!」


弾かれるみたいに、僕の脇をすり抜けていく詩音。


僕は空っぽの指定席を見下ろして呟く。


「・・・ヤラレタ」

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