第4話 ダンス・ダンス・ダンス

「あーら・・・・ピアノ、始めたの?」


ノックと同時にドアが開いて、我が家でNO.1に傍若無人な母親が顔を見せた。


溜息をつきたくなるのを堪えて、無言のままで指を動かす。


まるで嘘みたいに、滑らかに指が動く。


鍵盤に吸いつくみたいに踊る両手、防音の部屋に響く音楽は優しくて、穏やか、そして何より、鮮やかだ。


誰のおかげかなんてすぐに分かる。


・・・認めざるを得ないよな・・


「楽しそうに弾いちゃって・・・歌ってもいい?」


元声楽家がニコニコしながら話しかけてくるけど


「だめ」


僕はキッパリ断った。


「えええーなんでよ・・・」


まるで子供みたいな口調で言われて、僕は呆れ顔で呟く。


「父さんいないからって、こっちに構うのやめてって言ってるだろ?」


「・・・なによー1人だけ、楽しそうに弾いちゃってー・・急いで帰ったのに、まどかもいないし・・・あんたはひとりでピアノに没頭してるし・・・で?またピアノ始めるなら、言わなきゃだめなんじゃないのー?大好きな詩音ちゃんにー」


「・・・余計な御世話。詩音には言ったよ、だから弾いてる」


「・・・へーえ・・・そう・・・じゃあ、またこの部屋にあの子がやってくるわけだ」


「まあ・・・そうなるだろうね」


「で・・・?言ったの?」


興味津津の顔で尋ねられる。


僕は盛大にため息をついた。


「・・・なにを?」


「決まってるじゃないのー・・・こーくーはーくー」


「・・・母さん!」


ピシャリと言い放ったら、さすがのあの人も口を閉ざした。


「はいはい。もう黙りますよー退散しますよー・・・でもねえ。そーんな甘ったるい音流してたら、ぜったいパパもまども気付きますからね」


「・・・うるさいよ」


だって自然とこうなるんだから、仕方ないだろう?


詩音は泣き虫だ。


自分の感情が抑えきれなくて、喋りながら泣く典型的な泣き虫。


面倒だし、ややこしいし、疲れるし。


彼女が泣くたびに僕が思った3つのこと。


だって、僕がどんなに必死に慰めたって彼女の涙は止まらない。


えんえん泣き続ける詩音の側にいるしかないこっちとしては居たたまれなくなって、逃げたくなるというわけだ。


だけど。


ある日、いつものように泣きだした詩音を前に、途方に暮れた僕は彼女の泣き声を振り切るみたいに、ピアノを弾いてみた。


そうしたら。


「・・・それ・・・なんて曲なの?」


しゃくりあげながら、詩音がそう問うてきた。


「・・・・母さんが好きな”スイートメモリーズ”だよ」


いつも鼻歌交じりで歌う曲の題名を頭の隅から呼び起こして告げると、いつの間にか泣きやんだ


詩音が小さく呟く。


「・・・静かな曲だね、あたしが泣いてると聴こえないね。もう泣かないから、続き聴かせて?」


僕は彼女が泣きやむならと、大急ぎで鍵盤をたたき始めた。


そうして、それが終わった頃には・・・


詩音は幸せそうに笑っていたのだ。


「菫哉すごいねー!上手だねー」


パチパチ手を叩いて喜ぶ彼女。


僕が、ずっとピアノを弾こうと思ったのは、ただそれだけの理由。


泣き虫詩音が、僕のピアノで笑ったから。


☆★☆★


「・・・・なんでハッピーバースデーなんだい?」


静かな声がして、それで僕は、いつの間にか父が側にいた事を知った。


時計を見ると母と話してから、1時間半ほど過ぎていた。


没頭していたらしい。


「・・・え?」


「今、弾いてただろう?」


「・・・・そう?」


「えらく楽しそうに弾いてたから、驚いたよ。また、弾く気になったんだって?」


「・・・せめて、大学までは続けようと思って。もちろん、調律の仕事も覚えるから」


「うん。菫哉が一番楽しそうなのは、やっぱりピアノに触れてる時だからそれが、いいと思うよ。いまは好きなだけ、ピアノを弾きなさい。聴かせたい子がいるんだろう?将来の事であれこれ悩む前に、やるべきことは他にも沢山あるはずだよ」


やっぱり夫婦だと思う。


こういうところ、鋭くて、絶対見逃してくれない。


「・・・そうだね」


「父さんも、母さんも、それにまどかも。みんな君のピアノが好きだよ」


「コンクールで優勝出来なくても?」


「誰かと競い合わせるために、ピアノを教えたわけじゃないよ。菫哉が一番聴かせたい人が、一番喜んでくれる演奏を出来ることが大事なんじゃないかな?」


「・・・父さんは、母さんの声聞くと幸せ?」


今は、講師として指導する立場にある母は、昔は日本を代表する声楽家だったのだ。


確かに、彼女の澄み切ったソプラノはいつ聴いても羽が生えたように心が軽やかになる。


僕がまだ5歳の時に、引退を決めた彼女の最後の舞台。


生まれて初めて鳥肌が立った。


同じ“音楽”の道を進みたいと初めて思った日。


一度だって忘れたことはない。


「もちろん。歌ってる彼女も、話してる彼女も。いつだって大切だし、そして、その声のそばにいられていつも幸せだよ」


母と、母の仕事をこよなく愛する父親の偉いところは彼女の決断を無言で受け入れたことだ。


だから、母は仕事のプレッシャーにも負けず、母の顔とプロの顔を10年間も守り続けられた。


「それ、母さんにいってやりなよ。きっと大喜びするよ」


「菫には、毎日のように言ってるさ」


「・・・・あー・・そう」


今も昔も新婚気分が抜けないふたり。


仲が悪いよりはずっといいけど。


「パーパー!お茶入ったわよー!!」


廊下の向こうから上機嫌の母の声がする。


父さんが笑って返事を返した。


「ああ、すぐいくよ」




★★★★★★



「お兄ちゃん!!」


父さんが出ていくと入れ替わりに明るい声と見慣れた制服が飛び込んできた。


「・・・まどか、ただいまは?」


見事に母の気質を受け継いだ妹が、ドアを開けるなり僕の元まで大急ぎでやってくる。


「それどころじゃないのよ!!ってなんでピアノ弾いてるの!?」


本当にせわしないやヤツ・・・


「僕のピアノなんだから、いつ弾こうと自由だろう?」


「・・・詩音マジックね!!」


ポンと手を打って、まどかが笑う。


本当にうちの家族は・・・


いや、違うか、ここまで綺麗に見透かされてる気持ちなのにどうして、肝心の詩音に伝わらないんだろう・・まあ・・今に始まったことじゃないけど・・


「まどか、余計なこと言うなよ」


いつだって”詩音の味方”を公言してやまない妹に念のため釘をさしておくことにする。


まどかが絡むと、ややこしくなることこの上ない。


「余計なことってなによ?あのね報われるって確信持てなきゃ、伝えられないなんて言ってたらしーちゃんあっという間に離れて行っちゃうからね!」


「・・・それが余計なことだよ」


まどかの頭をポンと叩いて告げて、そこで初めてもうひとりの人間が廊下で忍び笑いをしていることに気づいた。


「・・・誰?」


「あ・・・カズ兄よ、なんで入ってこないのー?」


従兄の名前を告げられて、僕は慌てて廊下を覗き込む。


と、壁に凭れて端正な顔を歪める一臣の姿があった。


「いやー・・・そっかぁ・・・お前まーだあの女の子追いかけてんの?」


「そーなのよねー?」


「まどか」


ぴしゃりと名前を呼ぶと、まどかは肩を竦めてカズの後ろに隠れる。


「・・・はーい・・・」


「・・・・・で?なんでまたふたり一緒なの?」


「たまには保護者同伴で夜遊びさせてやろうと思ってなー?」


茶目っけたっぷりに笑って、カズがまどかの髪をくしゃくしゃにした。


「ねー」


にこっと楽しそうに微笑んで、まどかが頷く。


・・・・・本当にタチが悪い。

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