第3話 甘い嘘

「まどかー!」


校門を出てすぐに呼びとめられた。


母方の従兄である綾小路一臣(ものすごい名前だがまぎれもなく本名)がにこにこ笑いながら手を振って来る。


「カズ兄・・・大学はどうしたの?」


医大生の彼は、常日頃から忙しくしているはずなのに・・・


「今日は午後無かったんだよ。なーつかしいなぁ・・・その制服」


「・・・絢ちゃんのこと思い出したでしょ?」


聖琳女子の卒業生である彼女を持つ従兄を睨みつけてあたしは言う。


彼女の話になると、いっつもカズ兄の話は長くなるのだ。


「思い出すっていうか・・・いっつも思ってるからね」


「・・・御馳走様でした」


ほんとに年がら年中コレだから困る。


我が兄、菫哉はちょっと愛情表現が屈折しすぎてると思うけど・・


(だから、肝心の相手との距離が一行に縮まらない。詩音ちゃんは、ああいう性格なんだから、まっすぐに好きって言うほうが伝わるに決まってるのに・・)


カズ兄を置いてすたすたと歩道を歩き始める。


と、ようやく我に返ったカズ兄があたしを追いかけてきた。


「まーどか、待ってって」


「惚気を聞いてあげるほど、あたしは優しくありません」


「そうじゃなくって・・・・約束してた、ジャズバー!今日連れて行ってやろうと思って迎えに来たんだよ」


その言葉にあたしはピタッと立ち止まる。


ジャズバー!??


カズ兄の行きつけのお店のがあること、そこで歌う女の子の声がそりゃあもう絶品だっていうこと。


話に聞いた時から、いつか行きたいと思っていたのだ。


「ほんとに!?」


「もちろん。井上たちも・・・ああ、その歌唄う子も今日なら夕方から店に来てくれるらしいんだ。ちょーっと人見知りする子だけど、まどかのこと話したら会ってみたいって言ってくれたんだよ。バイオリンで歌ってみたいってさ」


あたしはカズ兄の言葉に思わず飛び上がった。


「セッションしてくれるの!?」


「口説くの大変だったんだぞー?」


「ありがとー!カズ兄!!バイオリン持って来てて良かったあー!!!!」




★★★★★★




「なあ・・・梶本って何か悩んでるの?」


詩音と別れて、足早に会議室に向かいながら、航(わたる)が問いかけてくる。


「んー・・・幼馴染との微妙な関係が原因みたい」


「・・・幼馴染って?」


「西門くん」


「え・・・?あいつら幼馴染なの?」


「うん。そうなの」


「一緒にいるの見たことないけどな」


「・・・高校入った途端、仲悪くなっちゃったんだって」


「ふーん・・・・それって彼氏彼女が出来たからとかじゃなくって?」


まあ、確かに一般的に考えたら


16歳くらいになると、幼馴染よりも彼や彼女と過ごす方が楽しくなるに決まっているから、自然と距離は出来てくるかもしれない。


子供の時間はもう終わり。


でも・・・・


「詩音、まだ誰とも付き合ったこと無いの」


「へー・・そうなんだ。でも、不思議だよなぁ・・・西門も結構モテるのに、告白されてオッケーしたって話一回も聞かないけどなぁ・・・去年の文化祭も、小指に赤いリボン結んだ女の子たちに囲まれてたけど・・・綺麗に追っ払ってたよ?」


「・・・・それって・・・」


あたしの視線を受けて、航が頷く。


たぶん、彼も同じこと考えてた。


西門くんが、モテるにも拘わらず、彼女を作らない理由・・・それは・・・恐らく・・・


「乃亜・・・あれ・・・」


黙り込んだあたしの手を引いて、彼が前方を促す。


顔を上げた視線の先には、西門菫哉が立っていた。


・・・たぶん・・間違ってない・・・


この答えが・・・正しいのだとしたら・・・?


「西門くん」


素通りしようとした彼を呼びとめる。


端正な顔に?を浮かべて彼が振り返った。


「・・・詩音のこと・・・」


「なに?」


「音楽室で、ひとり泣かせる位なら、もう拘わらないであげて」


隣の航がぎょっとするのも構わずあたしは続けた。


「振り回さないであげてほしいの」


彼は、その言葉に眉を顰めると、無言のままで踵を返した。


その背中に、あたしは呟く。


「心配になる位なら、意地悪しなきゃいいのよ・・・」



★★★★★★



音楽室にやってくるなり、菫哉はあたしに向かって、泣いてるの?と訊いた。


「・・・・え?・・・泣いてないよ・・」


なんでそんなこと思ったんだろう・・?


意味が分からずに小首を傾げると、あたしの顔を見た菫哉がなぜだか焦ったように視線を逸らした。


「・・・ハメられた・・・」


「誰に・・?」


「誰でもいいだろ・・泣いてないならいいんだ。帰る」


そう言って踵を返す菫哉。


あたしは慌てて彼の名前を呼んだ。


「ちょ・・・菫哉!!帰ったら泣くよ!」


「・・・は?」


「帰んないで!話聞いてよ!じゃなきゃ泣く!知ってるでしょ!?あたし、すぐに泣くんだからねっ」


自慢じゃないけど、涙腺の弱さには自信がある。


・・・自信持っていいのか分かんないけど・・・


「あのね・・・詩音・・・」


彼の言葉を遮るように、あたしは畳みかける。


「なんで?なんでピアノ弾かないの・・?」


「・・・弾きたくないから」


「嫌いに・・・なっちゃったの?・・ピアノ」


肯定されたらどうしようと思った。


尋ねておきながら耳をふさぎたくなる。


なんでだろう・・・?


菫哉がピアノを嫌うなんて、絶対に認めたくない・・


重くて痛い沈黙の後、静かな声が聞こえた。


「・・・・・嫌いじゃないよ」


その言葉に、あたしは思わず床にへたり込む。


「・・・よ・・・良かったぁ・・・」


「・・なんで詩音がそんなホッとするの?」


意味が分からないと言った顔で、菫哉があたしのそばにしゃがみ込む。


・・・こんなにまじかで話するの・・久しぶりだ・・


「あたしが、菫哉のピアノを一番好きだから」


「・・・・っ」


言葉に詰まった菫哉が、迷うみたいに視線を彷徨わせる。


絞りだすみたいに、彼が言った。


「適当に弾いたら怒るくせに・・」


「当たり前でしょ!空っぽの音なんか聴いたって、ちっとも幸せになんないよ!」


言ったら、気持ちまで溢れて来てやっぱりあたしは泣くことになった。


「・・な・・・なんで・・・せっかく・・・ちゃんと喋れたのに・・・こんなこと・・言わせんのよぉ・・・あたしは喧嘩・・したいわけじゃないのに!」


あたしが泣いたら、菫哉はいっつも困る。


困って、大急ぎであたしを慰めにかかる。


「泣かないで?」


そう言って、あたしの大好きなピアノを・・・


だけど、現実の菫哉の行動は違った。


まるでピアノに触れる時みたいに、慎重で優しい手つきであたしの髪をそっと撫でた。


「・・・僕の精一杯なんて、全然大したこと無いよ?詩音は、僕の音しか聴いたことがないからそれがすごいって思うだけで、ホントはもっと凄い音楽も、凄いピアニストも世の中にはたくさんある」


淡々とした口調で、静かな声で、彼が言う。


とにかくあたしを慰めようと必死だった、小さい男の子は


いつの間にかいなくなっていた。


「・・・他の誰が凄いとか、この曲が有名だとか・・・そんなのあたしは知らないよ、あたしにとって・・・菫哉が聴かせてくれるピアノと、まどちゃんのバイオリンが絶対間違いなく世界で一番だから!他の誰が凄い曲弾いたって、ちっとも嬉しくなんか無い!一番ピアノ好きなくせにっ・・・なんで嘘吐くの!?”やめたい”なんて・・・冗談でも言わないでよ!」


入学式の後、菫哉はあたしに言った。


”ピアノはやめる。詩音の前では二度と弾かない”


あの日から1年。


ただの一度も、菫哉はあたしの前でピアノに触れようとしなかった。


「・・・だからって・・・なんで詩音が泣くの・・?」


滲んだ視界の向こうで、菫哉があたしを困った顔で見返してる。


久しぶりに見た・・・本気でお手上げ状態の彼。


「菫哉のピアノが好きだからだよ!」


言ってしまってから、驚く。


今まで一度だって言葉にしたことはなかったけれど・・・


そうなのだ。


あたしは・・・菫哉のピアノが大好きなのだ。


「・・・す・・・すきなものを好きって言ってなにか悪い!?」


泣きじゃくりながら言い返すと呆れたような、柔らかい微笑みが返ってきた。


「悪いとか言ってないよ」


「詩音・・・結構すごいこと言ったけど・・・?」


涙も徐々に納まって来て、冷静になった頭に、相も変わらず静かな菫哉の声が響く。


って心なしか嬉しそうなのはなんで?


しゃがみ込んだままで、視線を合わせて菫哉が言った。


「・・・僕のピアノ好き?」


「そう言ってるでしょっ」


「じゃなくて、好きか、嫌いで答えて」


「・・・?・・・・好き」


呟いたら、満足したらしい彼があたしの髪から手を離して


立ち上がった。


「・・・ならいいよ」


「・・なにが・・?」


「ピアノ、弾くよ。詩音のためにね」


聴こえて来た言葉の意味が分からず、あたしは泣きはらした


目を手で擦って、クリアになった視界の先にいる


幼馴染にむかって問いかける。


「・・・・・・ほんとに?」


「弾かなきゃ、詩音泣きやまないだろ?」


そう言って、鍵盤に指を滑らせる。


あたしがさっき叩いたときより、ずっと、ずっと柔らかい音。


歌うみたいな綺麗な音色がこぼれ出す。


胸にじわじわ沁み込んで来る音の波を必死にとらえながらあたしはピアノのそばに行く。


かすかな振動と、繊細な音が音楽室に響き渡る。


「何がいい?」


1年ぶりにリクエストを聞かれて、あたしは答えに悩んだ。


聴きたい曲はいっぱいある。


クラッシックの有名どころから、あたしの好きな映画音楽まで。


だけど・・・


「・・・ハッピーバースデー・・・去年弾いてくれなかったから!」


菫哉が、初めてあたしに聞かせてくれた曲でもある。


まどちゃんが居る時はバイオリンの音色も加わってさらに華やかになるのだ。


「誕生日おめでとう」


そう言って、あたしに弾いてくれた、曲。


菫哉も同じことを思い出したのか、照れたように笑った。


ほんのちょっと、近づいた気がする。


最初の一音を鳴らしながら、あたしの方を見て菫哉が呟いた。


「いいよ」


「それからもう一個!・・・今日は一緒に帰って!」


慌てて付け加えたリクエストに、菫哉がもう一度苦笑いしてから頷いた。

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