第2話 放課後の魔法
美術室の後ろの壁に凭れて、ずるずると蹲る。
体ってほんっとに正直だ。
気持ちが重いと、立ってるのもしんどいんだもん。
授業のなかでも1、2を争う位好きな授業なのに・・・
画用紙放り出して、授業放棄状態のあたし。
・・・おがっち先生ごめーん・・・
デッサン、とか、写生、とか、いかにも美術らしい授業を、緒方先生は一度だってしたことがない。
いきなり絵の具入れた水風船を山盛り持ってきて”いきなり的当て芸術大会”やったり。
かと思ったら”見返り美人”のコピーをみんなに配って”イマドキ見返り美人ぬりえ”やらせたり。
型にはまらない独特の授業が、大のお気に入りなのに。
ちなみに、今日の絵のテーマは”空”
見えた空でも、理想の空でも、サイケデリックな空でもなんでも良し。
自分の中の”最高の空”を描く。
普段のあたしなら全力でキャンパスを塗りつぶせるはずなのに。
「かーじーもーとー。どしたぁ?」
ざわめく教室内をぐるっと回ったおがっち先生があたしの元までやってきた。
トレードマークの黒ブチメガネ(奥様からのプレゼントらしい)の奥で、心なしか目を細める。
しゃがみこんだ先生を見上げて呟く。
「・・・だって最低の空なんか描きたくないもん」
気持ちまで暗くなるみたいな絵なら、描かない方がいいよ。
・・・教師に対する口の聞き方じゃあないけど。
唇とがらせて、視線を足もとに戻したら頭上から小さな笑い声が聞こえてきた。
なんで笑うの・・・?
意味が分からずに、下ろしたばかりの視線をもう一度先生に戻す。
と、おがっち先生が慌てて手を振った。
「いや・・・似てるなぁと思って」
「誰に?」
「うん?・・・俺の幼馴染」
ふっと目を細めて楽しそうに笑う先生。
その顔を見たら、その相手とどういう関係かなんて一発でわかっちゃう。
「・・・奥さんって幼馴染なんですか?」
困ったり、答えに詰まったりするかと思ったのにがっち先生は意外にもあっさりと頷いた。
「ああ。そうだよ。んでもって、ちょうど友英の学生だった頃付き合ってたこともある」
「うそ!!」
「ほんとだよ」
噂で、おがっちセンセの奥さんは、美容師だってきいたことあったけど・・・
まさか、友英学園卒業で、しかも幼馴染だったなんて!!!
”幼馴染”の一言で頭に浮かんだ菫哉の顔はバツで消す。
知るもんか、あんなヤツ。
「梶本のそういう、自分の気持ち口にするのを躊躇わないトコ。ウチの奥さんに似てるよ。お前もあれだろ?言ってから、アレコレ気にして眠れなくなるタイプだろ」
ドンズバ当てられて、あたしは言葉に詰まる。
まさしくその通り・・・
思ったことポンポン言って、夜寝る前に胃が痛くなるタイプ。
馬鹿正直なのも大概にしなさいって、よく家族にも言われる・・・
悪うございましたね!!!
開き直ったあたしは、上履きのつま先でゴムの床を蹴りながら
先生に向かって言った。
「・・・どーせあたしは気にしいですよー」
「いつでも素直なのは、梶本のイイトコだと思うぞー」
「奥さんにもそー言ってんでしょー」
まだ結婚2年目とかのはずだし・・・
「いや。エリカには何も言わないかな。言うと余計に逆上するから」
「・・・奥さん”エリカ”って言うんだ?」
「あ・・・しまった。言いふらすなよ?」
「はーい」
行儀よく手を上げて返事をしたあたしを、笑顔で見降ろしておがっち先生が笑う。
「気が向いたら”ちょっとでも気分が浮上する空”描いてみな。それが、今の梶本の”最高の空”だと思うぞ」
引っ張り上げるでも、励ますでもなく。
”この状態”を肯定する言葉。
・・・不思議・・・ちょっと楽になった。
「・・・・おがっちセンセ・・・まるで先生みたいだよ」
照れ隠しで言ったら
「こら、教師に向かって生意気な」
なんて棒読みのセリフが返ってきた。
ちっとも先生らしくないのに、ちゃんと先生だから。
・・・だから、あたし美術部入ったんだよね・・・
万年美術3なのに。
頷いて、教室の前方に視線を送ったら気遣わしげにこちらを見やる乃亜の顔が見えた。
あたしを見つけて手招きしてる。
”ダイジョーブ?”
口パクの問いかけに頷いて、あたしは勢いよく立ちあがった。
なーんで、今日に限って掃除場所”音楽室”かなぁ・・・?
せーっかく浮上したのにさ。
☆★☆★
残り30分で描き上げた、あたしのブルーグレーの淡い空を見て、おがっちセンセは優しく笑ってくれた。
多少、面白がってもいたけど。
「・・・・今の梶本らしい色」
「・・・晴れ間を待ってるんです」
「お、前向きだな。風が吹くこと祈ってるぞー。雲間から光が射すかもしれないからな」
「じゃあ、センセが北風になってよ」
そしたら、あたしのモヤモヤ吹き飛んで・・・・それから・・・それから・・・?
あたしは、いったいどうしたいんだろう。
菫哉に会って、ちゃんと話して・・・でも、話したけど、ダメだった。
結局、掴んだと思ったらするっと逃げられた。
あたしは菫哉のかけらだって掴めてない。
ふたりの時間は15歳の春で止まったままだ。
本当は・・・ピアノから完全に離れちゃわなかったこと、嬉しかったのに。
・・・あんな言い方しなきゃよかった。
そしたら、もっと優しい言葉を聞けたかもしれないのに・・・
画用紙を提出用の箱に入れて、先生はあたしの方を振り向いた。
まるで、この世界の何もかも見透かしたみたいな
不思議な目でこちらを見てくる。
「俺が神様になるわけいかないだろ?大人は、子供の世界に軽々しく首突っ込まないもんなんだよ。子供の世界には、お前らなりのルールや、タブーがある。俺がそれを捻じ曲げるのは簡単だけど、まずはギリギリまで、自分の足で踏ん張ることだ。”限界”なんて言わずに、走ってみなさい」
家族に言われたら、絶対頷けないこと。
不思議と、おがっち先生が言うと、納得できる。
この人は、教師である前に、1人の人間としてあたしの味方してくれるって。
”確信”が持てるから。
誰に聞かなくても分かる。
学校で勉強する前から知ってる。
たぶん、あたしが子供だから、持ってるもの。
“安全な場所”を見極めるための、あたしだけのアンテナ。
あたし、まだ、菫哉に何にも言ってない。
だから、まだ、限界なんか見えてない。
☆★☆★
「しーちゃーん?手ェ止まってるけど・・・?」
乃亜の言葉に、慌てて我に返る。
チリトリ持ってしゃがんだままの彼女。
「あああ!ごめん!!」
ひとりで回想してたら、掃除の手が止まっていたらしい。
「音楽室が嫌なのは分かったから、とりあえず掃除終わらせよ?」
苦笑交じりで乃亜が言う。
ううう・・・すいません・・・
でもね。
・・・むしろ昔は大好きだったのに・・・音楽室
「はーい・・・・・あ」
頷いて箒を動かすと同時に、廊下に見知った顔を見つけた。
隣のクラスの委員長、片桐航くんだ。
「乃亜、片桐くん」
ちなみに、我が親友の彼氏でもある。
あたしの呼びかけに顔を上げた彼女が、廊下をちらっと見やって微笑む。
その笑顔を受け取って、彼が口を開いた。
「乃亜、今日定例会って覚えてた?」
「・・・え?・・・・あー忘れてたっ」
意外とヌケてる我が親友が、慌ててチリトリを床に置く。
「だと思った。昨日のメールで会議のこと何も言ってなかったから、もしかして・・と思って。迎えに来てよかったよ。藤たち、もう揃ってるから」
「えー!!うそ!遅刻かなぁ?」
「50分集合だから、大丈夫。ちなみに、乃亜のクラスの委員長はもう来てたけど」
乃亜の行動を予測して、フォローに回れるデキル男。
しかも、それがちっともイヤミでない。
惚れぼれするエスコートぶりに見とれていたら、乃亜があたしの方を振り返って手を合わせた。
「ごめんね!執行部の会議だったの忘れてた」
「いいよー。あとやっとくし、行ってきて?」
「夜、電話するね。話聞くから」
「うん。ありがと。会議頑張って」
笑って頷くと、片桐くんが心配そうにこちらを見てきた。
「梶本、ごめんな。ひとりで掃除大丈夫?」
ホントは4人ひと組での掃除なんだけど、試合前の運動部の男の子たちは授業終わると同時にダッシュして行っちゃったし・・
「うん。大丈夫」
開き直ってあたしは笑うしかない。
★★★★★★
「今日は何弾くのー?」
中学時代は、菫哉が音楽室に行く時はたいてい一緒について行ったっけ。
ピアノに座る彼の隣に回り込んで、あたしは何度もそう尋ねた。
そのたびに、菫哉は困ったみたいに笑って
「何聴きたいの?」
って逆に尋ねてくるのだ。
「こないだの曲ー」
流行りのドラマで、ピアニストの男の人が弾いた曲を聞いたあたしが強請ったら、さらっと弾きこなした菫哉。
「またあの曲?飽きない?」
そう言いながらも鍵盤をなぞる指は、リクエストのメロディを奏で始める。
テレビで聴くよりずっといい。
ちゃんと心まで届く、綺麗な、透明な音色。
「あたし、これなら鼻歌でも歌えるかも」
「そんな好きなの?」
「一番好きー」
頷いたら、菫哉が照れたみたいに笑った。
掃除の時間は、いつの間にかコンサートになってて、クラスメイトのみんなも
「詩音と菫哉がセットだと、掃除になんないよ」
なんて言って、結局みんなして箒ほっぽりだしてグランドピアノ囲んでたっけ。
違う場所に居ても、ピアノの音が聴こえたらあたしはすかさず耳を澄ませた。
ちゃんと聞けば、すぐに分かる。
菫哉の音か、そうじゃないのか。
空気に溶けるみたいな、まん丸の粒子の音の粒。
ふわふわ揺れて、絶対に景色を濁らせない。
透明な、優しい音楽。
心地よくて、もっと聞きたくなる。
あたしは”中毒”って言葉をホントの意味では知らない。
でも、きっと、これはそう。
あたしは・・・菫哉の音楽に溺れているのだ。
まるで”麻薬”みたいに。
心地よい音色の檻に、自分の足で飛び込んだ。
閉じ込めてほしくて。
懐かしくて、グランドピアノの鍵盤をなぞったら嘘みたいに絶妙のタイミングで、菫哉の声が聞こえてきた。
しかも、リアルに。
「・・・・泣いてるの?」
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