たとえ夏が終わっても

式 神楽

たとえ夏が終わっても

 七月三十一日、電話が鳴った。昼過ぎの暑さは激しさを増すばかり、太陽の光を隠すものはない。

 

 「りっちゃん、今から公園ね。」

 短く切られた電話を置いて靴を履く。少し大人びた私は紐靴を丁寧に結び、つま先で地面をたたく。コンクリートからの熱気が背中に汗を増やし、玄関を出たばかりだというのに汗だくの額を拭う。

 

 「あつ…」

 誰に言うでもない独り言。日焼けするのは好ましくない、けれど日焼け止めクリームを塗るなんてお断りだ。べたべたと張り付くのも汗で流れ落ちるのも不快だから。

 百合花に会うまで、私は一人ぼっちの道を行く。はやる気持ちを抑えつつ何気ない、つまらないことを考えながら公園に足を運ぶのが日課となった夏休み。


 「あ、りっちゃん遅いよ!」

 「ごめん、熱かったでしょ。」

 日陰で涼んで待っていればいいのに、先に来た百合花はブランコで立ち漕ぎをしていた。公園に入った私を見つけ飛び上がった彼女は、綺麗な着地を見せる。それと同時に浮き上がった短いスカート。今日は白、いつも健全だ。



 何でもない、はたから聞けばつまらない会話を今日もする。読んだ漫画のこと、面白かったテレビのこと、そして好きな人のこととか。

 「でね、昨日の帰り坂田にあったの!超偶然!」

 坂田、彼女の好きな人。誰にでも笑顔で少し顔が良いからってモテる奴、私は嫌い。


 「良かったね、何か話したの?」

 言葉にも態度にも決して出さない、だって百合花の想い人だから。貴方は鈍いから、私の不格好な作り笑顔にも気づかない。

 「…いざとなると恥ずかしくて、えへへ。」

 長い髪で赤くなった顔を隠す、いやいやと顔を横に振る仕草も朱に染まった頬も今だけは私のもの。


 「でも、時間も無いでしょう?それに、うじうじしてたら誰かにとられちゃうかもよ?」

 自分が嫌になる、よくもまあ心にもないことがすらすらと口から出るものだ。

 「それは嫌!」

 瞳を濡らし両の拳を力強く握った彼女は、何かを想像したのか悔しそうな、悲しそうな表情で歯を食いしばっていた。


 

 「またね!」

 「またね。」

 いつもの別れ。あの後もくだらないことをずいぶんと話し、気が付けば過ぎていた時間が今日の逢瀬を終わらせる。公園近くに住む彼女は見えなくなるまで私を見送り、私も見えなくなるまで何度も振り返る。今日が終わる、まだ空は茜色だけれど私にとっての今日は終わったのだ。


 引っ越すことが決まってから私たちはほとんど毎日遊ぶようになっていた。いつもは百合花から、たまに私から電話をかける。



 八月一日。今日は私から電話しようか、なんて思い立ち電話を取った。でも彼女は留守だった。今日は昼前に出かけていったと、代わりに出た百合花ママに聞かされた。しかも珍しく可愛いワンピースを着て…と。私と遊ぶときはいつも半袖半ズボンなのに。


 別に一日二日合わない日もある。丁度いい、今日はいつもより暑くなるらしいからクーラーのかかった部屋でのんびりと。

 何もやることが無い、私の今日は始まってもいないのだ。まだ昨日の終わりが続いている、百合花に会わないと何かがおかしい。それほどまでに依存している。


 チャイムの音で目が覚める、いつの間にか眠っていた身体を起こすと冷風に冷やされた手足に鳥肌が立った。


 玄関ドアを開けると凄い熱気が入れ込んだ。目の前に立つのは一人の少女、水色のワンピースに麦藁帽を被った愛らしい女の子が微笑んでいた。


 「すずしいーっ!」

 大きく股を開いて座る彼女を軽く注意する。誤魔化すように笑った彼女からは心なしかいい匂いがする。首元の汗をタオルで拭いてあげると元気な笑顔を見せた。

 出した麦茶を一気に飲み干した彼女は、急にもじもじとし始める。黙って待つ、どうせ私の聞きたい話じゃないのに催促するのは勘弁だ。


 「坂田と出かけてきちゃった…」

 ついに口を開いた彼女から出て来たのは案の定坂田の名前、ほらやっぱりと身構えていたのに少し落胆する。


 「それで?」

 「それでって、もっと驚いてよ!」

 あっさりと返されたことが意外だったのだろう、しかし私は予感していたのだから仕方ない。どうでもいい、と強がっても何をしたのかはやっぱり気になってしまう。


 彼女の話によれば、二人で恋愛映画を観て昼食を済ませて帰って来たらしい。本当にそれだけか、と問い詰めたが手さえ繋いでいないと言う。ひとまずの安堵が身体を包む。良かった、彼女はまだだ。


 「でもね、また出かける予定も立てたんだよ!」

 せっかく安心に浸っていたというところに、突然の爆弾。それはつまり私と会う時間を削って奴に会うということだ、それは困る。とても可愛い百合花のことだ、数を重ねればおそらく恋仲になるのは避けようがない。


 「ふーん。」

 嫉妬からつい素っ気ない態度をとってしまう。当然だ、応援したくないという気持ちをいつまでも隠しておけるはずがない。

 「…喜んでくれないの?あ、もしかしてりっちゃんも坂田のこと…」

 「そんなわけないよ、私は…っ!」

 思わず声を荒げてしまう。なんで私の想いには鈍いのに、こういう時だけ。

 百合花、私は貴方が好き。どうしようもなく愛してる。だから貴方の想い人に嫉妬もするし憎みもする。


 気まずい空気が流れた、別に喧嘩した訳じゃないのに重い空気が二人にのしかかる。

 「私そろそろ帰るね、」

 俯いた彼女はそう言うと立ち上がる、今は見送る気力もない。玄関先、じゃあねの一言だけがいつまでも耳に残っていた。


 それから一週間が過ぎても、私たちが会うことは無かった。


 八月二十一日。あれから二十日経ったというのに、私の一日が始まらない。退屈も熱中も無い、ただ虚無の時間が過ぎていく。

 そんな暑い日に、久しぶりになった電話の音。駆け出して攫った受話器からは聞き惚れた彼女の声。


 「りっちゃん、今から公園ね。」

 聞き慣れた調子の声に短く返事をして電話を切る。紐靴の隣、マジックテープの靴を履き駆け足で向かう。今はもう彼女のことしか考えられない。


 汗だくで公園に着く。ブランコに姿は無く、木陰で休む少女が一人。あの日と同じワンピースに紐靴を履いた少女は、私を見つけると軽く手を挙げた。


 「はぁはぁ、遅くなってごめんね!」

 「大丈夫だから。ほら、落ち着いて。」

 急いで駆け寄った私に彼女はハンカチを差し出した。白い花の刺繍が入ったハンカチ、こんな物使えない。大丈夫と押し返し息を整える。


 彼女は黙って待ってくれていた、吹いた風に髪を抑える彼女が美しくて見惚れてしまう。視線に気づいたのか微笑んだ顔は綺麗で、少し寂しくなる。


 「私ね、坂田と付き合う事になったの。」

 そっか、と声に出さない呟きは震えていた。分かっていた。呼び出されて何を聞かされるのか、きっと来ない方が、知らない方が幸せだったってこと。


 「昨日、ね、やっと手も繋いだんだ…それに坂田、遠距離でも良いって。」

 思い出すかのように手を見た彼女は美しく笑う。私といるのに、隣に立っているのはあいつじゃないのに、彼女の心に私はいない。


 「あの日は、ごめんね。ほら!夏休みが終わったら会えなくなっちゃうでしょ?だから絶対仲直りしなきゃって、だってりっちゃんは私の親友で大切な人だから…」

 私の手を握る。やめて、離して、この本音を言ったらきっと彼女とは一生会えない。振り絞った小さな声で相槌を打つ。


 「良かったぁ…りっちゃん怒ってるかもって不安で。」

 ほら、気づかない。貴方の頭はでいっぱいなんでしょう?たったひと夏の薄っぺらい思い出で私の居場所なんて消し去ってしまったんでしょう?


 私を見て、私の心を想いを感じて、私を想って、私をわたしをわたしを!!ただ、私を愛して欲しかった…


 「りっちゃん?ぼーっとしてるけど大丈夫?」

 彼女の言葉にハッとする。暑さを言い訳に大丈夫だと返すと、それ以上心配してこない彼女は歩き始めた。

 心の中、灰色の感情が渦巻く。広がっていくのは得体の知れないようでいて、どこかいつも傍にいたような不思議な感覚。


 「裏山、覚えてるでしょ?タイムカプセル。」

 忘れるはずがない、小学二年生やんちゃだった私たちは誰も足を踏み入れない裏山にタイムカプセルを埋めたのだ。二十歳になったら掘り起こそうって約束を鮮明に覚えている。



 「うわぁ服が汚れちゃう…」

 彼女が小さく呟いた。寂しさだけが募っていく。裏山に入ってしばらく歩いたある場所、何十年も使われていない小さな小屋のすぐ近く。特徴的な形をした木の下にカプセルは埋まっている。


 「私が掘り起こすよ。」

 小屋にあったスコップで土を掘る。昔は二人じゃないと持つことが出来なかったのに。

 少し進んだところでスコップが何かに触れた。手で土を払い取り出した小さな箱は紛れもなく二人が埋めた物。


 「懐かしいね…」

 数年しか経っていないのにやけに昔に感じる。中身はとてもくだらない、おもちゃのアクセサリーに色あせたぬいぐるみ、それと二枚の手紙。


 「手紙は二十歳になったらまた掘り起こして、その時見ようよ!」

 確かに、今見てはつまらない。それにおぼろげながら内容も記憶にある。昔に感じるとは言っても僅か数年、そんなものだ。


 「私ねこれを入れに来たの…」

 そう言った彼女が取り出したのは、赤い髪留めだ。それは私が去年の誕生日にあげたもの。

 「これは大切なものだから、入れておくの。」

 彼女は髪留めを入れて箱を閉じる。大切なものはしまっておく、当たり前のことだ。


 「またお願いしてもいい?」

 「もちろん。」

 彼女の手から箱を受け取り、スコップで穴を掘る。今までのではダメだ、すぐに見つかってしまうから。もっと深く、大きく私たち以外には決して見つからないように。


 「大分深く掘ったねえ…」

 感嘆する彼女を横目に穴の中心に箱を置く、後は土を被せて埋めるだけ。でもまだ、私にはやり残したことがある。


 ゴンッと重く鈍い音が響いた。

 落ちないようにそっと抱き留める。顔にかかる長い髪を手でどける。あどけない、無垢な君。


 汚れてしまうのも許してね。優しく寝かせた君に口づけをする。会えなかった日を、始まらなかった日々を取り戻すように。何度も何度も、愛する人の熱を逃がさないように。

 

 「これと、これはいらないね。」

 私以外を握った手、私以外と歩いた足。汚れてしまった、汚されてしまった部分は必要ない。でも安心して、ちゃんと一緒にしてあげるから。

 

 だって、大切なものはしまっておくんでしょう?


 暑い夏の日、私は燃えている。日差しのせいじゃあない、ただあなたの熱を感じているだけ。

 それに、たとえ夏が終わっても。貴方を愛し続けるのだから。

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たとえ夏が終わっても 式 神楽 @Shiki_kagura

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