第29話  ほどけたリボン

総務部と経理部は、社内のどの部署ともまんべんなく関わる唯一の部署だ。


営業部、商品部、販売部、製造部。


各部門と多岐に渡る関わり合いの中で、必然的にさまざまな噂話も耳にする。


良いもの、悪いもの、恋の噂、人事の噂。


就業前に駆け込んできた亜季が手にしていた茶封筒を差しだした。


「友世ちゃん、遅くなってごめんね、年末調整の書類」


「あ、ありがとうございます、亜季さん」


「本当は昨日持ってくる予定だったんだけど、急に特注商品の納期変更があって」


「残業だったんですか?」


「そうなのよー。おかげで予定が丸つぶれ」


「お疲れ様でした。じゃあ、ちょっと印鑑と記入漏れだけ確認させて貰いますね」


断ってから、封筒を開ける。


「どうぞー。で、アイドル彼氏とは上手く行ってる?」


カウンターに頬杖を突いて亜季が面白そうに友世の顔を窺う。


「そういう亜季さんはどうなんですか?佳織さんから、他社の男前彼氏さんのお話は聞いてますよ」


「え?」


途端赤くなった佳織の顔をちらっと見て、工程管理のメンバーの書類をざっと目を通した。


一番多い捺印漏れと、続柄の記入漏れが無い事を確かめて、再び茶封筒に書類戻す。


「亜季さん、最近楽しそうだし羨ましいです。ハイ、大丈夫です」


「ありがとー。あ、でも、瞬君の方が心配ね」


「どういう意味ですか?」


「ウチの、神埼が告白してきたんでしょ?」


「えええっ!?」


大声を上げた友世が慌てて口を押さえる。


「な、なんで知ってるんですかぁ!?」


「私を誰だと思ってるのよ?」


腰に手を当てて亜季が自慢げに笑う。


製造部を仕切る工程管理の女王様だと思ってますとは言えずに、友世は黙りこむ。


「総務ほどじゃないけど、各部門の情報位逐一チェックしてるわよ。しかも、製造部(ウチ)の事だもん、知ってて当然」


「友世ちゃんの麗しさは、うちの部署でも有名だからー」


「もう!からかわないで下さいよ。彼には言ってないんですからっ」


「え、言ってないの?」


「言う必要あります?」


揺れたわけでも、迷ったわけでもない。


お断りしたなら無かったのと同じ事。


わざわざ報告する事は無いと思っていた。


きょとんと答えた友世を見て、亜季が苦笑いする。


「友世ちゃんは告白になれてるから、そう思っちゃうのね」


告白に慣れてる訳じゃないと思う。


友世は過去の自分を振り返ってそんな感想を持った。


学生時代からなぜか告白される事は多かった。


そのたび、同じ”ごめんなさい”を繰り返してきた。


幼馴染達は皆一様に口を揃えて”見た目コレで中身アレだからなー”と笑う。


自慢じゃないが、モデル体型とよく言われる。


昔から身長が高くて大人びた容姿をしていたせいで、年上に見られる事が多かった。


早苗や華南からは”大人っぽくて羨ましい”と言われていたが、友世としてはちっとも嬉しくなかった。


”目立つ”事が何より嫌いだったのだ。


中、高の修学旅行先でも、写真を撮って欲しいと頼まれる事があったけれど、そのたび友世の性格を熟した幼馴染達が助けてくれた。


そんな友世に告白してくる相手をいつもどこか他人事のように”どこがいいんだろう?”と思っていた。


”好きだ”と言われても、ときめくどころか恐縮する。


益々自分に自信が持てなくなる。


そんな自分が、初めて前向きに好きだと思えた。


後輩の片思いの相手だと知っても譲れなかった相手。


きっとこれから先もずっと、誰に思いを告げられても、変わらないと思う。


自分の本当の気持ちをちゃんと理解してる。


だから、言わなくていいと思っていた。


亜季から受け取った書類を纏めて、提出用の封筒に詰める。


パソコン作業の続きに戻ったらすぐに佳織に呼ばれた。


「友世ー」


「はーい、あ、頼まれてたデータ入力もう上がりますよー」


てっきり昨日頼まれた仕事の話だと思ったら、カウンターを指差して佳織が言った。


「うん、後でメールで送っといて。んで、彼氏」


カウンターの向こうに瞬の姿が見えた。


今日は内勤だと言っていたから、スーツは脱いでいる。


いつもより緩めのネクタイが珍しい。


「忙しい?」


終業時間は回っていた。


「え、あー・・・」


「いいよ-行って来な・・・ってなんで見計らったようにあんたが来るの?」


総務部の入り口からこちらにやって来る夫の姿を見つけて佳織が笑う。


「ご挨拶だなぁ、一服行くからついでに寄ってやったのに」


「ついでは結構よ。戻ってさっさと仕事しなさいよ」


「そんな早く帰って来て欲しい?」


「そ、そーいう事言ってんじゃない!」


「あーはいはい。今日は早く帰ってやるよ」


夫のからかい交じりの口調に、子供のように拗ねた顔をする佳織。


樋口は目を細めて愛おしいげに佳織の頬に指を伸ばす。


結婚しても相変わらずなふたりだ。


仲良し夫婦の邪魔をしないように、足早にカウンターを抜ける。


瞬と並んでフロアを出ると、外はすっかり暗くなっていた。


「寒そうねー」


窓から見えるネオン街を眺めて呟くと、瞬が曖昧に頷く。


エレベーターはまだ到着しそうにない。


「どうかした?」


いつもと違う彼の様子に気づいて、怪訝な顔をして問い返すと、瞬が友世の右手を握りしめた。


「俺が意外とヤキモチ妬きだって知ってた?」


「え?」


「友世が、言わない方が無難だって思ってる事には、俺が知りたい事が含まれてる時だってあるよ」


「あの・・・」


「営業部は人数多いし、噂好きな人もいるから」


何を言いたいのかはすぐに分かった。


少し迷って、友世が瞬の指をぎゅっと握り返す。


思わぬところで知られていたらしい。


「瞬く・・・」


「俺には言いたくなかった?」


「違うよ・・・そうじゃなくって・・・」


「そうじゃないなら何?」


「言わなくて良いって思ったの」


「どうして?」


「だって、誰に告白されても、あたしが瞬君を好きな気持ちは少しも変わらないし。


この気持ちがブレないなら何があって大丈夫でしょ?」


挑むような気持ちで瞬を見返したら、彼が困ったように笑って前髪をかき上げた。


「友世のそういうとこ。凄い強いと思うよ。でも、俺は知ってたいよ」


「ごめんなさい」


「友世が油断しないのも、ブレないのも分かってるけど」


到着したエレベーターのドアが開く。白い箱がやたらと眩しく見えた。


手を引かれて中に入ると壁際に追い詰められる。


屈みこんだ瞬との距離が吐息が触れるほど近い。


瞬が頬にキスした後で、胸元で結ばれていた友世のニットのリボンに手を伸ばす。


「瞬・・・ん」


彼の行動が読めなくて名前を呼んだら、噛みつくようなキスをされた。


解かれたリボンの隙間から瞬の指が伸びて甘く肌をなぞる。


そして、息継ぎをする暇も無い位の深くて甘いキス。


最後に唇を舐め取られて瞬が離れた。


掻き抱くように腰を引き寄せられて友世の髪に頬を埋める。


「友世が甘い事なんか、誰にも知られたくないよ」


吐き出すような小さな台詞は友世の胸の真ん中で淡く弾けた。

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