第26話 今までにないほど、大事な人です。

「あ・・・これ美味しそう」


「どれ?」


雑誌をめくる手を止めた彼女が指さす写真を覗き込む。


簡単パエリヤ?


「海老が美味そう」


「でしょう?彩りも綺麗」


「・・・でもさぁ」


友世が隣にいるのをいいことに、背中に流れた髪を指に絡めたり解いたりを繰り返していた俺。


パエリヤは美味そうだけどさぁ・・・


「うん?」


「炊飯器ないよ。この部屋」


電化製品はレンジとトースターのみ。


どちらも母親が仕事場で使わなくなったものだ。


台所に視線を送った友世が、あ。という顔をする。


「ほんとだ・・・忘れてた」


実は”しまった!”って顔をした時の彼女が一番好きだったりする。


こういう顔を仕事場でいつも見られる辻さんが羨ましい。


それだけで、癒されそうなもんなのに・・・


社用で総務にやってきた他の人間も同じ気持ちだったらと思うと面白くないけど。


「・・・炊飯器買う気無い?」


「そんなにパエリヤ作りたいの?」


「っていうか・・・炊飯器位は置いとかないと。レンジでチンばっかじゃ体に良くないわよ」


年上ぶってそう言った彼女の横顔にキスをひとつ。


途端、真っ赤になって一気に幼くなる表情。


笑い出したくなる。


「・・・夕飯作りに来てくれる?」


こういう駆け引きは得意なので・・・赤くなった彼女の耳たぶを指先で撫でた後問いかけた。


友世がゆっくり瞬きして、俺の方を見返す。


「・・・今も結構来てるでしょ?」


「うん。だから、今以上にってコト」


「・・・・」


迷ってる迷ってる。


逡巡するように、視線を彷徨わせる友世の肩を抱き寄せた。


腕にかかった重みを引き寄せるみたいに閉じ込める。


今の友世の心境は手に取るように分かる。


かなりの常識人だから、色々考えこんでるに違いない。


”さすがに毎日はまずくない?”とか


”それって半同棲ってこと?”とか


後は・・・そーだなぁ・・・こないだ初対面(もしくは初対決)した俺の母親のこと。


”同じマンションだし、しょっちゅう来てるのが分かったら・・・”とかそんな考えを打ち消すべく、俺は次の手を打つ。


「最近急に残業とか多いし・・いつものコンビニで時間つぶさせたり、駅前で1人にしとくの嫌なんだよ。すぐに携帯取れるとも限らないし」


10分20分ならまだしも、駅前で1時間近く時間をつぶさせるわけにはいかない。


大通り沿いはナンパのメッカだし。


繁華街も近いから酔っ払いに絡まれないとも限らない。


っていうのは建前で、本音は別のとこにあるけど。


俺としては、彼女がこの部屋を訪れることを日常にしてしまいたいのだ。


駅前で待ち合わせ。


じゃなくて。


先に帰って待ってて。


望んでるのはまさにこっち。


もちろん、その方が安心っていうのもある。


オートロックのマンションだから、セキュリティもしっかりしてるし。


これで頷くかと思ったけど、まだ頷かない友世。


「・・・外で待ってるのは全然苦じゃないから。本屋さん見て、いつもみたいにお茶しててもいいわけだし・・」


そう来ましたか・・・なら仕方無い。


「この部屋で待ってるの嫌?」


この訊き方はずるい。


それは百も承知。


だけど、こうでもしないと彼女は納得しないから。


友世の周りの友達はみんな、啓と葵ちゃんトコみたく学生時代からの付き合いが続いて結婚したパターンが多いらしい。


つまり、恋愛も順序を追って進んで行ったわけだ。


友達→恋人→結婚という、いわゆる健全なお付き合いから始まって、付き合いが長くなったら家族を紹介して、やがてはゴールインってやつね。


あのタイミングでウチの母親と鉢合わせしたのはまずかったかな?


引っ掛かってるとしたらそこだろうな。


ホント見事にタイミング外してくれてるよあの人。


もう少し慣れてからきちんと紹介するつもりだったのに・・・


俺としては、いつどのタイミングで両親に彼女を紹介しても構わない。


でも、友世は違う。


1年も付き合わないうちに相手のマンションに母親がいると知ったら、絶対軽率な行動には出ない。


その証拠に、エレベーターホールですら手を繋がなくなった。


抱き寄せるなんて以ての外。


「・・・この時間、あの人はスタジオで仕事だって」


そう言って宥めてみても


「そういう問題じゃないの!」


とピシャリと切り返されるし。


俺の質問に友世がしかめっ面で言い返す。


「・・・そういう訊き方しないで」


「俺の体心配じゃない?」


「それは心配だけど・・」


「じゃあ、ドライブがてら電気屋さん行こっか」


そう言って、テーブルの上に置きっぱなしにしてあった車のキーを取り上げる。


美味しそうなパエリヤの写真に視線を落としてから


友世が俺の方を見て言った。


「週三回なら前向きに検討する・・」


「毎日来てくれてもいいよ?」


「それは無理!」


「子供じゃないんだから、俺がどんな恋愛しようと親は口挟んできたりしないって」


あの人自身が結構奔放な恋愛遍歴の持ち主だし。


けれど、そんなこと知る由も無い友世は目くじら立てて言い返す。


「あたしが常識ない女だと思われるでしょ!?」


「こういうのに常識、非常識ってあるの?」


すかさず切り返したら、彼女が答えに詰まった。


「ちゃ・・・ちゃんとした人だって思われたいし」


「十分ちゃんとした人だって思ってるよ」


「・・・ホントに?」


疑うような視線を送ってきた彼女にキスをひとつ。


「ホントに」



自分でも驚くくらい。


今までにないほど、大事な人です。

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