第25話 泣かずに誓って

実家暮らし。


基本ご飯は家族と一緒。


スーパーでの買い物は、頼まれた時と、無性におやつの食べたいときくらい。


・・・なあたしが。


夕飯時真っただ中のスーパーの中を颯爽と歩いている。


もちろんメニューは決まってるんだけど。


付け合わせにサラダ位作らなきゃ・・・ね?


わざわざ定時ダッシュしたんだから!!




☆★☆★



後15分・・・


チラリと時計を見た瞬間、佳織がにやっと笑ってこっちを見てきた。


「デートー?」


ぐっと答えにつまりそうになって、それでも負けじと言い返す。


「そういう佳織さんは、樋口さんとどーなってんですか?」


「っげほっ!!」


むせ込んだ佳織が慌てて手を振った。


慌てるところがいかにも怪しいと思うのだが。


「なっ何もっ・・」


涙目になりながら胸を押さえる佳織に生温い視線を向ける。


・・・あーいっつもあたしこういう風に見えてるんだな・・


質問攻めに合う、または、意味深な視線を送られる。


彼と付き合うまでも、付き合った後も、変わらない彼女の態度。


佳織曰く、燈馬は感情がめちゃくちゃ顔に出ていて面白いらしい。


今日は珍しく形勢逆転出来た。


「何も無かったんですか?」


詰め寄ると、いつも冷静沈着な佳織が珍しく後ずさった。


「・・・たぶん」


「はい?」


素っ頓狂な声を上げた友世をキっと睨んで佳織が言った。


「定時ダッシュするんでしょ?ちゃっちゃと数字入力しないと、間に合わないよ」


「あー・・・ズルイ」


「五月蠅い。先輩の特権よ」


言うなり席に戻ろうとする佳織の腕を掴んで友世は慌てて口を開いた。


「あたし、樋口さんのことよく知らないですけど・・でも、あのひとは大丈夫だと思います!!佳織さんを傷つけたり、泣かせたりそんなこと絶対しない人だと思います。むしろ、佳織さんのことちゃんと守ってくれる人だと思う」


けれど、友世の台詞に佳織は苦笑いを返した。


「時間ないよ?」


樋口の気持ちは、傍から見ればもろばれ状態だ。


佳織のことを好きでしょうがないのだとすぐに分かる。


あんなに好かれたら、あっさりなびきそうなもんなのに・・・


だって女の子はやっぱり愛された方が幸せになれるっていうし。


自分と瞬の馴れ初めを棚に上げてそんな風に思ってしまう。


樋口なら、人としても申し分ないと思うのに、一体何がダメなんだろう?


なにが彼女を、動けなくさせているんだろう。


相変わらず探るような視線を向けて来る後輩の額を軽く指で弾いて、佳織がほら仕事!と手を打った。



☆★☆★



買い込んだ食材が、だんだん重さを増してくる。


腕に食い込むスーパーの袋は友世の努力と勇気の証だ。


つい張り切ってあれこれ買いすぎた食材が袋の中でガサガサ揺れる。


マンションまでの坂道は、想像以上に堪えた。


それでも、心折れたりなんて絶対にしないけれど。



たどり着いた7階建てのグレーの壁のワンルームマンションのエントランスはいつも無人。


夕方にやってくるのなんて、あたし位のものなのかしら?


そんなことを思いながら、重みに耐えかねてだんだん細くなる袋をなんとか肘まで引っ張り上げて、エレベーターホールへ向かう。


と、目の前の薄暗いエントランスの先に人影が見えた。


綺麗なスーツの女の人が咥え煙草で立っていた。


長い髪をかきあげて、ちらっとこちらを見る。


・・・佳織さんと似てるタイプ・・・?


パンツスーツがめちゃくちゃ似合っていて、キリッとした印象を受ける。


いくつくらいだろう?


・・・30代半ばくらい・・・?


何となく気まずくなって、会釈をしたまま通り過ぎる。


と、いきなり呼びとめられた。


「・・・ちょっと、あなた」


その視線から読み取れたのは、不思議な違和感だけ。


目の前には、ちょっと気後れするくらい綺麗な女の人。


友世は食材の重さも忘れて、思わず体を固くした。


「・・・はい・・・」


こんなところで、こんな綺麗な人に声かけられるなんて・・・


思い当たる原因はひとつしか有り得ない。


・・・・たぶん・・・モトカノ・・・


20数年生きてきたけど・・・こういう修羅場は慣れてない・・・


おずおず振り返った友世を、上から下までまじまじと見下して、彼女は綺麗に口紅の塗られた唇を持ち上げた。


「・・・瞬、元気かしら?」


やっぱり!!!


カッと頭に血が上った。


友世が彼女である事を知っていて、わざと待ち伏せするなんて、宣戦布告でもしに来たのだろうか。


ビニール袋を振りかざして、友世は声の限りに叫んだ。


「・・・あなたに教える義理はないです!」


「・・・・・・ふうん・・」


「失礼します!!」


そのままエレベーターホールを抜けて、非常階段へ向かう。


あの場所でエレベーターを待つなんて無理だった。


意地でも階段上ってやる!!


泣きそうになりながら、唇を噛み締めて必死に階段を踏みしめる。


瞬がモテるのは知っている。


これまで何人も彼女がいたことも知っている。


恋愛経験も豊富だけれど、これまで、どんなタイプの人と付き合ったとか、年上だったとか年下だったとかそんなことは何一つ訊いたことがなかった。


訊きたくも無かった。


他の誰かと比べたら、惨めになるに決まっている。


だって、あんな綺麗で大人な人・・・あたしは何一つだって敵わない。



★★★★★★



「大久保ー!」


「俺、今日は無理ですよ!!」


先手を打って樋口にバツサインを出せば、普段は物分かりの良い上司が、何だよーと不貞腐れながら立ち上がった。


友世にああ言った以上、是が非でも今日は真っ直ぐ帰る。


強制の飲み会も、今日だけは絶対欠席だ。


すでに帰る準備を始めた午後18時半。


打ち合わせも終わって、ようやく机の上を片付け始めたと思ったらこれだ。


「何も言ってねえだろーがよ」


「・・なんとなく、嫌な予感が」


「よーくわかってんじゃねーか」


にやりと笑って樋口が机の角に腰かける。


煙草を取り出した途端、課長がじろりと彼を見た。


火を付けるなら喫煙室へ行けと言うことらしい。


樋口は取り出したライターを掌でくるくると回しながら言った。


「でも残念。今日は、飲みの誘いじゃねーよ」


「・・・・なんだ」


「残念だろ?」


「・・・それなりに」


瞬が呟くと、樋口が声を上げて笑う。


「ちっとも悲しそうじゃねえし」


「俺、素直ですから」


「・・・若いっていいなぁ・・・羨ましいわ」


「その言い方が年寄りくさいです・・イッテ」


飛んできた拳骨を食らって、瞬は頭を押さえる。


「俺、今日はもう上がるから」


「え・・・デートですか?」


まさか、友世が佳織に同じ質問したとは気付かずに瞬は樋口に問いかける。


と、彼がちらっと窓の外に視線を送った。


すっかり暗くなった空。


いつも同じはずなのに、金曜というだけでなぜか気持ち明るく見えてしまう。


・・・この後の予定を思うと、浮足立つからかな?


「デートっつーか・・・」


珍しく口ごもった彼が迷うように視線を揺らした。


いつものように営業トークが冴えない。


「デートじゃないなら?」


「・・・拉致?」


それは犯罪ですって・・・


思わず突っ込みそうになったけれど、やめておいた。


他人の恋路に首を突っ込んでいる場合では無いのだ。


「穏便に収まるように祈ってます・・・お先です」





★★★★★★




「ただいまー・・友世、メール送ったのに、気付いてなかったろ?」


玄関からそう呼びかけるも返事が無い。


料理中とか?


その割には、何の音もしない。


っていうか・・・電気もついてない?


嫌な予感がして、足早に部屋に入る。


と、ソファの隅で蹲る彼女を見つけた。


膝を抱えたままの友世が蹲っている。


「友世・・?何かあった?」


具合でも悪いのだろうかと、慌ててカバンを置いて、彼女の隣に腰掛ける。


無言のままで首を振る友世の髪を撫でた。


会社で別れる時はいつも通りだったよな・・?


仕事でなんかあったとか?


この数時間の間に起こった変化が何か分からなくて、対応に困る。


「友世・・・?」


もう一度呼びかけると、ようやく彼女が小さな声で呟いた。


「・・・心当たりないの?」


「なんの?」


全く思いたる節がなさすぎる。


すると、勢いよく友世が顔を上げた。


「・・・帰る」


「え・・・?ちょ・・・ちょっと待って、何で?」


立ち上がろうとした彼女の腕を咄嗟に掴んだ。


全く状況が理解できない。


が、このまま帰らせるわけには絶対に行かない。


「何でって・・・・この部屋のコト・・・歴代の彼女はみんな知ってるのね?」


「え?」


「・・・二股なんて思わないし・・・信じたいし・・でも・・・あたしのことも知ってるなんて・・・」


「え・・・ちょっと待てって・・何の話してんの?」


「モトカノの話!」


泣きじゃくる彼女がピシャリと言い切った。


そりゃあそれなりに、恋愛してきましたよ?


可愛い子も綺麗な子も知ってますよ?


けれど、どうしてだろう。


友世の口からその言葉が出ると、急に胸が苦しくなった。


過去なんて、関係ないと思ってたのに。


この人が言うと、とてつもなく重たい戒めになるらしい。


瞬の腕を掴んで、一歩も譲らないといった姿勢の彼女がいつになく強気な視線を向けて来る。


怒りに染まった頬にすら惹かれてしまうのだから相当重症だ。


そんな友世を宥めるように抱きよせて答えた。


「この部屋に越してきたのは、去年の話。弁解するわけじゃないけど、拗れるような、後腐れ悪い別れ方はしたことないよ。友世が何を見たのかは知らないけど、今更他の女と寄り戻すわけないだろ?」


写真も、メールも綺麗に処分した。


痕跡なんてどこにも残っていないはずだ。


けれど、友世は首を振ってそんな訳ないと言い返す。


「あたしはさっき会ったのよ!」


「・・・さっき?」


「そーよ・・・30代の綺麗な女の人!瞬君のこと元気かって・・」


ここまで来て、漸くひとりの人間に思い当った。


・・・良かった・・・


瞬はホッとしつつ、この誤解を解くべくスーツのポケットから携帯を引っ張りだした。


肩に凭れた友世の髪を撫でながら、反対の手で画面を操作する。


「その相手には心当たりあるから・・・間違っても浮気相手じゃないから安心していいよ」


「・・・心当たりって・・」


「うちの母親」


「・・・そんな下手な言い訳したって・・」


反論を始めた彼女の唇に人差し指を押しあてる。


すぐに電話が繋がった。


「もしもし?今日マンション来た?」


瞬の一言に、電波越しに笑い声が返ってくる。


「可愛い彼女の顔見に行ったわよ?逃げられたけど」


「あのね・・・恐ろしい誤解生んでるんだけど」


「なーによ?どんな誤解?」


「・・・いま彼女と一緒に居るから、ちゃんと説明して」


興味津津の母親に呆れつつ、スピーカーに切り替える。


ここで、当事者がごちゃごちゃ言うよりも、母親に責任を持って説明させた方が早い。


どうせ、ろくに自己紹介もしていないに決まってるんだから。


瞬の要望に応えて、きちんと母親として挨拶をした後、怒って無いからまた遊びに来てね、と友世に言って電話は切れた。


「・・・で?納得した?」


「・・・あ・・・あんな若いお母さんって・・」


呆然と呟く彼女の腫れた瞼に唇を寄せて呟く。


「俺を生んだの21の時だから。しかも、この上の階に仕事用の部屋借りてるから友世のこともたまに見てたんだって」


瞬の母親は料理研究家なので、仕事道具やら本やらの保管庫として部屋を持っているのだ。


「・・・すごい啖呵切っちゃったし・・どーしよ」


「意外と骨のある子だって笑ってたね。怒ってないって言ってたし、気にしなくていいよ。名乗らなかった向こうが悪い」


友世は悪くないよと念を押した直後に、早速メールが飛んで来た。


『見てくれ通りのお嬢さんだったらつまんないなーって思って声かけてみたら・・・くっふっふ・・いやーすんごい剣幕で怒鳴られたわよ。愛されてるわねぇ』


『振られたらどーしてくれるよ?』


『また可愛い子探せばいいじゃない』


『変わりはいないし、要らないの。ちゃんと、これからのことも考えてる』


『あら!それは嬉しい報告だわ』


そんな短いやり取りの後、


「・・んで・・・今更だけど」


彼女と向き合った瞬は、改まって友世の両手を握り込んだ。


「・・・将来のことも考えてるから。俺は年下だし、友世は色々不安になるかもしれないけど・・いい加減な気持ちで付き合ってるわけじゃないよ?・・・今まで切り出せなかったけど」


俯いていた彼女が首を振った。


また浮かんできた涙を堪えるみたいに目を閉じる。


「・・ほんとに?」


「嘘言ってどーすんの。ホントに決まってるでしょ・・・これからのことも話せずに、形に拘るのはどーかと思ってたんだけど・・・ちゃんと言えたし、もういいよね?」


「・・・え?」


きょとんと小首を傾げる彼女の頬を伝う涙をそっと拭ってやってから、滑らかな爪の先にキスをひとつ。


「ペアリングとか買ってみてもいい?」


瞬の言葉に、何度も友世が頷いた。

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