番外編
第24話 坂道でもいいの
「どーしたんですか?佳織さん」
やたらイライラしている先輩社員を振り返って友世は言った。
足音からしてかなり攻撃的。
本人無意識らいしけど・・
カツカツとヒールを鳴らしていた佳織はそこでようやく我に返った。
「・・・え、なに?」
「何か・・・ありました?」
「ううん。まったくいつも通りよ?」
にっこり微笑み返されて、友世は眉根を寄せる。
隠すのが上手なのは百も承知だ。
それでも、今日のこの態度は異様すぎる。
こんなに余裕のない彼女も珍しい。
「・・・雰囲気が・・なんかピリピリしてる」
「え・・・そ・・・そう?」
「こないだの同期の飲み会でなんか・・」
そう呟いた友世の口を慌てて押えて、佳織がずいっと距離を縮めた。
その表情は困惑に満ちている。
「も・・・もしかしてもう噂になってんの!?」
「・・へ?」
ぽかんと言い返す友世の言葉を綺麗に無視して、佳織は後輩の腕を掴んでずんずん歩きだす。
人通りの少ないエレベーターホールまでやってくると佳織はあたりをキョロキョロ見回してそれから声をひそめて言った。
「アレは、ほんっとにただ酔っちゃってたまたま紘平のとこに泊めて貰っただけで別に何にもやましいことなんか無いんだからね!」
「・・・・・へ?」
「だから、妙な噂は気にしないで!!」
「・・・樋口さんのお家にお泊まりしたんですか?」
友世のその一言で、佳織はようやく自分がどうしようもないほど墓穴を掘ったことに気づいた。
ぎょっとなって口を押さえるもあとの祭だ。
目の前の後輩は、しばらく沈黙したのち、にっこり微笑んで言った。
「良かったですね。うまくいって」
「・・・・・っは!?」
・・・何言ってんのよ・・何ともなってないっての!
内心1人でぼやきつつ開いた口が塞がらないと言った口調で佳織が身を乗り出す。
と、タイミングよく彼女を呼ぶ声が聞こえてきた。
「友世ー」
「あ・・・」
瞬の声に振り返った友世が、佳織にチラッと視線を送った。
肩を竦めて佳織が笑う。
「私の話はあと、ってか何にもなってないから」
「え・・・でも・・」
「いーから、呼んでるわよ?行って来なさい」
手を振られてしまって、友世は仕方なく瞬の方に向かって歩き出す。
けれど
「後で詳しくお話聞かせて下さいね?」
と念を押すのは忘れなかった。
★★★★★★
足早に近づいてくる友世に手を振って、瞬が佳織に軽く会釈する。
アノ樋口紘平に“難攻不落”といわしめた唯一の女性。
やっと手に入れたんだか、そうじゃないんだか微妙だそうだが・・・
あの様子じゃあ、意外と何も無かったワケじゃないのかもしれない。
瞬と顔を合わせるなり慌ててエレベーターの中に消えた佳織の後ろ姿を見送りながらそんなことを思う。
”どうしても捕まえたい相手”・・・ね。
「お昼こっちだったの?」
彼女の質問に首を振って、華奢な手首を掴む。
指を滑らせて手を握れば、友世がにっこり笑った。
「外で食ってこっち戻ったとこ。外出よっか?時間まだ大丈夫でしょ」
「うん。後20分は大丈夫。なんか買いたいものあるの?」
階下のボタンを押して、エレベーターを待ちながら友世が小声で尋ねてきた。
昼休みの14階は社員でごったがえしている。
二人きりになるには最も不向きな場所だ。
「・・・これと言ってないけど。リクエスト伝えたくて」
「なんのリクエスト?」
「今日の夕飯」
「・・・え」
ちょっと迷うような視線でこちらを見上げてくる
友世の手を引いてエレベーターに乗り込みながら告げる。
「鍵あるから、先に帰っとけるよね?」
「・・・何が食べたいの?」
警備員室を抜けて、従業員出入り口から屋外へ出れば、昨日までの雨が嘘みたいに眩しい日差しが降り注ぐ。
目を細めて友世が問いかけた。
「ハヤシライス」
「・・良かった」
安堵したように笑った友世の表情がいつになく柔らかくて、不思議に思う。
「何がよかった?」
「・・・ローストビーフとか言われたらどうしようかと思っちゃった」
「言わないって」
「それ言う為だけに、わざわざお昼休みこっちに来たの?」
「・・・ハヤシライスはついで、かな」
悪戯を思いついた子供みたいな顔でそう言って瞬が友世の頬を掠め取った。
「っちょ・・・」
唇が触れた頬を掌で押さえて、慌ててあたりを見回す友世の焦った表情もやっぱり可愛い。
衆人環視の中ではそれなりに遠慮しているつもりなのだが、不意打ちで触れたくなる時があるのだから仕方ない。
好きなものは好き。
嫌いなものは嫌い。
好きだから触れたい、実に単純明快な答えだ。
気を取り直すように小さく息を吐いて友世が問い返す。
「じゃあ本題は?」
待っていましたとばかりに、瞬が微笑んだ。
既に完全友世仕様となっている甘ったるい王子様然とした笑顔にはとんでもない威力がある。
絡めたままの指先に熱が籠って、それがだんだん体中を巡って行く。
染まっていく頬を眺めながら、思っていた事を口にした。
「ふたりきりになりたくて」
街路樹の影で、瞬が絡めていた指先をそっと解く。
まだ温もりの残る指先で、友世の頬に零れてきた長い髪を掬い上げた。
伏し目がちになった友世が、小さく息を飲む。
「・・・・」
僅かに屈んで、耳たぶに唇を寄せれば、友世が勢いよく目を閉じた。
まぶたにキスを落とせば、友世が上ずった声を上げた。
「じ・・・時間・・」
「まだ十分間に合うよ?」
「で・・・でも」
しどろもどろの言い訳をする友世の頬を、指の背で撫でて瞬が笑う。
身動ぎした友世が、咄嗟に瞬の腕に縋りついて来た。
どこまでなら調子に乗って許されるかな、と慎重に探りを入れる。
「目ェ閉じといて何言ってんの?」
「・・・!」
啄ばむだけの優しいキスを何度か繰り返して、瞬が友世の背中を撫でた。
柔らかい唇の感触に溺れそうになって、もう少し早いタイミングで離れれば良かったと後悔しながらキスを解いた。
「樋口さんに誘われても、今日は絶対まっすぐ帰るから」
「・・・飲み会の予定なの?」
「分かんないけど、辻さんと何かあったらしいから。部屋に帰りたくないんじゃないかと・・・」
「そう・・」
「あ、でも、絶対断るから。駅前のスーパーで買い物する?」
「どうせ冷蔵庫空っぽでしょ?」
彼女の質問に頷いて瞬が、指を絡めた後で再び歩きだす。
「重たいもの買わなくていいよ。マンションまで坂道だし、しんどいでしょ」
「・・・坂道でも平気よ?」
彼の顔を覗き込むみたいに友世が笑う。
その答えに、瞬は自信たっぷりで笑い返した。
「土日の食材は、週末一緒に買いに行こうよ」
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