第23話 バレンタイン・ハピネス

「大久保ー、俺一服してから戻っから」


上司の一言に、瞬は手を上げて応えた。


外回りから戻るなり煙草を取り出した樋口は、すでに1本取り出して咥えている。


いまにも火をつけそうな勢いだ。


「了解ッス」


そのまま、喫煙室に向かう樋口と別れて部署に戻ろうとした瞬の背中に声が掛かった。


「そーいやお前って吸わねーんだっけ?もしくは流行りに乗っかって禁煙中とか?」


「吸いませんよー。元々スポーツ馬鹿だったし・・・彼女、煙草の匂い嫌うんで」


そうなのだ。


友世は、どんな種類の煙草でも匂い事体受け付けない。


だから、必然的にこれから先も吸うことはないと思う。


その昔、まだ学生のころ、煙草をやめた勝に押しつけられたことはあったけれど。


アレ以来吸っていないし、興味も無い。


「彼女って・・あー・・・佳織のとこの」


「粉かけないで下さいよ?」


ありえないと知っていながらもつい軽口を叩いてしまう。


彼が、友世の先輩である辻佳織にずいぶんとご執心なのは知っていたので。


とあるスジからの情報によると、福岡に行く前からの付き合いで、いまだに片思いだとかそうじゃないとか?


カラッとしていて、まさに営業の鏡のような性格。


仕事も恋愛も要領よく、そつなくこなすタイプ。


仕事と女とを比べたら間違いなく仕事に重きを置くだろう。


”昔から結構モテてたし、女泣かせって有名だったってきいたことあるけど・・・”


この間、彼女が泊まりに来た時に言っていたセリフを思い出す。


”分家の中でも、かなり有力な幹部候補生だって。お父様は子会社の専務か何かだったんじゃないかな。息子が親会社勤務ってのがかなりの自慢だってどっかで聞いたことあったわ・・”


自分の勤める会社が、同族企業だということは知っている。


志堂を中心に、五家の分家の重鎮が役員欄にずらりと名を連ねているのだ。


第一企業の宝飾品メーカーから始まり、不動産、小売専門の子会社、アウトレット専門会社まで。


志堂一族で、本家の次に力を持っているのが、創業時からの側近である浅海家、創業主との婚姻によって経営参加権を得た、東雲家と、陵(みささぎ)家がそうである。


同じく分家の、聊爾(りょうじ)家、相良家、、樋口家、深見家はそれぞれ独自で企業を興し、志堂グループの一旦を担っているのだ。


その、樋口家の人間が、本社勤務でしかも、あの浅海昴に目をかけられているとなると、黙っていられないのが残りの聊爾、深見の二家だ。


浅海家と取ってかわることは無理だとしても、何とかして陵家と対等な立場にのし上がりたい、三分家の水面下での争いは、社内でも有名だった。


そんな親同士の画策などどこ吹く風といった様子で、飄々と仕事をこなす樋口。


志堂一族に名を連ねるものでありながら、まったく尊大な態度を取らない彼のことを瞬は気に入っていたので。


「辻さんって煙草やめたそうじゃないですか?」


なんて突っ込んでみたりもする。


樋口は、部下の台詞に片眉を上げて咥え煙草のままで言った。


「知ってるよ」


「俺なんて、あの人が煙草吸ってたこと、ついこないだまで知りませんでしたけど・・なんとなく、そういうの好きじゃないイメージ持ってたなぁ・・・」


瞬の作り上げたイメージは、まさに外向けの佳織そのものだったので、樋口は思わず笑ってしまう。


そんな樋口を怪訝な顔で見返す部下に向けて口を開いた。


「まぁ・・昔のあいつはそんなだったよ・・・最初に煙草教えたのも俺だし」


「え・・・」


「気晴らしに吸ってみれば?つってススメたの」


「あー・・・」


もっと色っぽい何かがあったのかと思ったけれど、返ってきたあまりにも簡潔な答えに、瞬は曖昧に頷いた。


「潔癖っつか、融通利かねえとこあっからなぁ・・ホントは管理職には向いてねぇんだよ」


「・・・・・」


思わず黙り込む瞬をじろりと見返して、樋口が続ける。


「それを言うなら俺もだろーとか思ったろ?」


「え・・・いや・・・」


「俺も上に立ってアレコレやんのは好きじゃねーけど、いーんだよ。のし上がってくって決めてんだ」


「・・出世するってことですか?」


「ん?ああ・・・まあ・・そだな・・・とりあえず、追っついて、追い越さねえと」


「・・・分家のライバルたちを?」


瞬の問いかけに、樋口は曖昧に笑って見せた。


それ以上の答えは、どう足掻いても貰えそうになかった。


喫煙室に向かう樋口と別れて、今度こそ部署に戻るべくエレベーターホールに向かう。


と、タイミングよく無人のそれが待っていた。


この時間なら、メールしても大丈夫かもしれない。


休憩時間で彼女も携帯をチェックしやすいだろうし。


そんなことを思いながら、エレベーターに乗り込む。


瞬の後ろから二人連れの女子社員がコンビニ袋片手に乗り込んできた。


こちらにちらりと視線を送りながらも小声で話し始める。


「・・で?チョコどーすんの?」


「うん・・・やっぱり、逆チョコ貰ったからってホワイトデーまで何もしないわけいかないし・・・一応、コレお返ししておこうと思って・・・」


「あーうん・・そうよねぇ・・・心証良くしとくに越したことないもんねー。相手はあの課長だしさぁ・・・」


逆チョコ??


疑問が浮かんだ途端、エレベーターが目的の階へ到着した。


訊きなれない言葉に眉根を寄せるも、軽く会釈して彼女達はあっという間にフロアに消えて行く。


そう思ってみれば・・・なんかテレビでやってたような・・・


ブームに続けとばかりに、小売店舗では、逆チョコとセットになったアクセサリーが店頭に並んだと、社報でも言ってたような・・・


卸先ばかりを回っていたので、全く縁のない話だったけれど。


でも、すでに今年のバレンタインの予定は決まっているのだ。


土曜の朝から友世とデートの約束をしている。


彼女が見たいと言っていた映画を見に行って、街をぶらついて、早めに帰宅、あとは二人きりでまったりする予定だ。





”トースターで作れるチョコレートケーキのレシピを見つけたから、材料買い物して帰ろうね”


楽しそうに告げた彼女の顔を思い出す。


”それって、夕飯の後で食べるんだよね?”


問いかけたら、肯定の返事が返ってきた。


”泊まってくってことだよね?”


念のために確認すると、あっという間に真っ赤になって顔を伏せたので、わざと問いかけることにする。


”・・・ち・・・”


”違わないでしょ?”


過剰反応が可笑しくて抱きしめたら、恨めしげな台詞が返ってきた。


”分量間違えて美味しくないの出来ても知らないからね”


”・・・友世さぁ・・捨て台詞がそれじゃあ、ぜんぜん迫力ないよ?”


思い出すだけで幸せに浸れる甘ったるいやり取りだ。


待ち合わせ場所は決めてある。


会社から一番近い最寄駅の、南出口。


北出口は、それこそ社員御用達の待ち合わせスポットなので敢えて、遠回りしなきゃいけない場所にした。


瞬は全く気にしないけど、友世が嫌がるのだ。


社内一の人気を誇る大久保瞬と、高嶺の花である川上友世の交際の噂は、瞬く間に社内を駆け回った。


友世はしきりに後ろから刺されるだの、無視されるだのと怯えていたが、蓋を開けてみれば、社員たちは皆揃って祝福してくれた。


この上なくお似合いのカップルだと太鼓判を押されて、友世は拍子抜けしたようにぽかんとしていたけれど、元よりそうなる事を踏んで口説いていた瞬としては、当然の結果だった。


”道行く社員の女の子たちの、羨望の眼差しに気づいてないの?”


なんて友世は言ってたけれど。


そんなのイチイチ気にしてらんないでしょう。


脇目もふらずに追っかけてんのは、友世だけなのに。


”気にするもなにも、見えてないから”


”・・・その妙に女慣れしてるとこが腹立つのよ”


不貞腐れて言った彼女の腕を掴んで引き寄せる。


”人聞き悪いこと言わないでよ・・・・でも・・・確かに友世は男慣れしてないよねぇ”


たったこれだけのことで、ほらこの通り、耳まで真っ赤になってるわけだし。


”どーせ恋愛経験値の足りない女ですよ”


”うん”


”・・・うんって・・あのね・・・”


”いいじゃない。別に。経験値なら、俺と一緒に上げて行こうよ?友世が知らないことも、なんでも教えてあげるよ”


”・・あんまり頷きたくならないのはなんでなの?”


眉間に皺を寄せて問い返す彼女に唇を重ねながら思う。


・・・バレてるし・・・最近妙なトコで鋭い・・・


けれど、しれっと言ってみる。


”警戒しすぎなんじゃないの?”


”キスの後で言われても、説得力にかけるわよ”


”じゃあいつならいいの?”


”・・・・わかんないわ”


首を振った彼女の背中を抱き寄せて、頬を寄せる。


”なら、一番簡単なことから解決しよっか?”


”・・・なに?”


”友世が、ヤキモキしなくていいように。待ち合わせ場所は、南出口にしよう”


名案だろ?と問い返せば、安心したように彼女が頷いて見せた。


こんな理由から、待ち合わせ場所は南口に決定したのだ。



★★★★★★




「今日は残業ナシにしよーねー」


朝のミーティングで佳織が言った。


カレンダーにはなぜか課長の字で定時退社と書き込まれてある。


・・・あ・・・そっか・・・夫婦でバレンタイン。


結婚二年目の新米パパである課長は、早く帰りたくてしょうがないといった様子で、しきりに机の上の家族写真を眺めている。


佳織はチラリと後ろを振り返ってから小声で言った。


「あの通りだし・・・みんなも、今日は予定あるでしょ?」


ずらりと揃った女子社員を回し見て、最後に友世に意味深な笑みを向けられる。


チョコレートケーキのレシピをプリントアウトしたところを見られたのだ。


”あっつあつのバレンタインだぁー”


なんて囃し立てられたけど、それだけで終わらないのが佳織らしい。


”駅前のファンシーショップで、バレンタイングッズのセールやってたよ?”


なんてお得情報までくれちゃうから、さすがだと思う。


心地よい距離感を保ちながらも、フォローは忘れないところが、佳織ならでは。


「ってことで、午後イチの会議の資料は11時までに頑張って揃えてー・・昼からの発注は急ぎのモノのみにしよう。どうしても夕方発注必要なものは、私に回してくれたらいいからね。新店の備品発注は終わってるから急ぎって無いと思うけど・・・どーかな?」


頼もしい先輩の提案に女子社員が一斉に頷いた。


もちろん異議なしだ。


満足そうに頷いて、佳織が手を叩く。


「はいっ。じゃーミーティング終わり!ちゃっちゃか仕事終わらせて、花金に向けて準備することー。あ、浮かれ過ぎてミスしないようにねー」


笑い交じりで言われて、みんな顔を見合せて返事する。


「「「「はーい」」」」


綺麗に重なったそれに佳織が声を上げて笑った。


今週頭からみんなちょっと長めに残業して、今日に備えてきたのだ。


課長なんて、昨日は23時まで仕事していたらしい。


みんな、それぞれのバレンタインに向けて大忙し。


こういう独特の雰囲気は、嫌いじゃない。


楽しいことが、待っているから。


今回は、舞の家に泊まりに行くことにしてしまった。


もちろん、アリバイ工作済み。


万が一にも両親が確認したりするとは思えないけど。


「よりによってバレンタインの前日から新婚さんの家に泊まりに行くなんて」


呆れ顔で母親に言われたけれど。


「舞たちは結婚三年目よ?新婚さんって雰囲気じゃないわよ・・・」


実際は、まだまだ新婚気分なんだけれど。


何があってもバレンタインにお邪魔したりできるはず無い・・・


「・・・あんたも寂しいわねー・・」


「余計なお世話よ」


ホントは、金曜の夜から泊まりに行くんです!


声を大にして言いたいけれど・・・・


土曜日から行くつもりだったんだけれど、結局仕事帰りに待ち合わせすることにしてしまった。


”い・・入り浸ってるって思われない?”


困惑気味に言った友世に、彼はあっさり。


”入り浸って欲しいから言ってるんだけど”


なんて言って。


”そ・・・そういうのは・・”


半同棲みたいなことは、出来ない。


アタマ固いって言われても、ありえないのだ。


友世の育った環境じゃとても考えられない。


舞に言ったら、二つ返事で頷かれた。


”あたしもそうだよ?ちゃんとしてたいって思ってたから。そんなにしょっちゅう彼の家には行けなかったなぁ”


似た者同士の親友ならではの一言。


同じことを佳織に言ったら、笑われてしまった。


”むかーしの、私に似てる。でも、そのうち変わるよ?きっと。ワケ分かんなくなって、この人いなきゃ生きていけないとか思う日がくる”


ありえるんだろうか?


そんな極論に至る日が・・・


友世の返事に、彼は笑って頷いた。


”うん、分かってるから。でもたまにはいーでしょ”


と言うことで、金曜日からお泊まり決定。


流されてない!と言いきれない自分が怖い。


感情だけで、動いてしまえる自分に、頭が付いて行ってないのが現状だ。


会社も多くて、人の行き来の多い北出口とは違って、南出口のそばには、小さいコンビニがあるのみ。


殆どの人は北出口を利用するので、どちらかといえば廃れた雰囲気がある。


街灯の明かりだけじゃ心もとないから、いつもコンビニで彼を待つようにしている。


立ち読み雑誌を数ページめくったところで、ポケットに入れていた携帯が震えた。


「いま会社出たとこだよ。コンビニ?」


「うん。もう外出てるね」


返事をして、ファッション誌を棚に戻しかけて、やっぱり持ったままレジに向かう。


瞬の部屋は、退屈しのぎになるものが何もない。


彼は雑誌は読まないし、あるのは映画のDVD(それだって友世の趣味じゃないアクションものばかりだ)


申し訳程度にある本棚のマンガも、ちょっと手を出しにくいスポーツものばかり。


ひとりの時に時間を潰すアイテムが何もないのだ。


ちょうど、春物も欲しかったし、来月に入ったら舞と買い物に行くつもりだから、事前チェックにはもってこいのタイミングだった。


軽いスプリングコートも欲しいし、可愛いバレーシューズも履きたいなぁ・・


電柱に背中を預けてそんな風に思っていると、後ろから声が聞こえた。


「友世ー」


「お疲れ様ー。やっぱりちょっと残業?」


時計を見ると18時過ぎだ。


いつもに比べると1時間近く早い退社である。


「帰りがけに、卸先からの問い合わせが入って捕まってたんだ・・ごめん」


「ううん。おかげで気に入ってた雑誌見付けたし」


友世のセリフに頷いて、瞬が思い出したように手に持っていた紙袋を差し出した。


「はい。今年は逆チョコ」


「え・・・?」


「流行りにのっかってみました」


中を覗けば、リボンのかかった箱が見えた。


「うそ・・いつ用意してくれたの?」


「ついさっき」


ちょっと思い立ってね。と呟く彼に急かされて箱を取りだして、リボンを解く。


てっきりトリュフか何かが出てくると思ったのに、チョコより先に出てきたスペアキーに友世は言葉を無くした。


こういうのをサプライズって言うのよね・・?


「一応言っとくけど。いつでも来ていいよ・・ってことだよ?」


そんなセリフと共に、呆然とした友世の唇に優しいキスが降ってきた。

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