第21話 お邪魔しますとおかえりなさい
少し躊躇ったあと、彼女がそっと指を握り返した瞬間。
窺うような視線でこちらを見上げられた瞬間。
抱きしめたいと思うのは、自然なことなんだと思うんだけれど。
・・・社内恋愛というのは難しい。
いつでも彼女に会える分、いつも俺は抱きしめるのを我慢する。
だから、ふたりになると見境がなくなるのかもしれない。
一時も離したくなくて。
「友世?」
呼びかると、携帯の向こうから小さな返事が返ってくる。
「瞬君、どうしたの?」
当り前のことなのに、それだけで嬉しくなる。
「今コンビニなんだけど・・ちょっと声聞きたくなって」
ここ最近展示会準備云々で忙しくて、会えてないから。
先週はあんなに一緒にいたのに。
枕元で穏やかに寝息を立てる彼女の寝顔を、明け方までずっと見ていたこと。
寝不足とか、仕事のこととか、綺麗に忘れて。
ただ目の前の彼女のことしか見えなかった。
何度も帰ると言った友世を、そのたびに引きとめた。
そう思ってみれば
「明日早いから帰って?」
と言ったことはあっても、
「帰らないで」
と引き止めたのは初めてだったな。
友世が携帯片手に慌てる様子が目に浮かぶ。
廊下に出たのか声がわずかに響いた。
「あ・・あやうく携帯落とすとこだったじゃない・・」
「ごめん・・・忙しい?」
「ん・・・ねえ・・・・・・あのね・・・」
そう言って友世が言葉に詰まる。
俺はしばらく待ってから口を挟むことにした。
「友世?」
「・・・っ・・今日会えない?」
もっと別に訊きたい言葉があって。
「・・・・とーもよ?」
小さい、でも、ちゃんとこっちにまで届く彼女の声。
「会いたいの」
「うん。会おっか」
★★★★★★
「お疲れ様です、川上さんいますか?・・・藤田課長から書類預かって来たんですけど」
カウンターで声がして、友世は思わず振り返りそうになる。
こっここで振り返ったらだめ!!!
ぐっと掌を握り込むと、やっと名前を呼ばれた。
「川上さーん!!営業の人来てるけどー」
「あ。はーい」
ごくごく自然に・・・と何度も言い聞かせてゆっくりと席を立つ。
カウンターに行くとこれまたいつも通りのやり取り。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です。これ、課長からの書類なんで確認してもらえますか?」
そう言って瞬が社印の入った封筒を差し出した。
「お預かりしますねー」
受け取ると同時に金属音がして友世はぎょっと中を覗く。
瞬がいつも持っている家の鍵が入っていた。
「・・・っ・・・・こ・・」
慌てる友世の顔を見て、小さく笑った瞬が人差し指を立てる。
「お願いしますね」
「・・・は・・・はいっ・・・」
ぎゅっと握りしめた封筒。
これって・・これって・・・家で待っててってこと。
だよね?
勘違いじゃなくって・・・
★★★
立ってていいのか、座ってていいのか分からない。
パスタは後、茹でるだけだし。
サラダも冷蔵庫に入っている。
もう手持無沙汰で仕方無い。
テレビを見ても、携帯が気になってしまう。
今日は20時過ぎには帰れるっていってたけど・・・電話、してみようかな?
忙しいかな?邪魔しちゃ悪いし・・・でも・・・
あれこれ考えるていると、携帯が鳴った。
「今から帰るよ。もう家着いた?」
「う・・うん!き・・・気を付けてね!」
早く、早く、と願うのは。
会いたいから?
この緊張から解放されたいから?
★★★★★★
「おかえりなさい」
ドアが開くなり、そう言って彼女が笑う。
じっとしていられなかったんだろうなー・・・
瞬はちょっと考えて、背中でドアが閉まると同時に腕を広げてみる。
「え・・・?」
「抱きしめたいなぁと思って」
言葉にすると、友世がやっぱり真っ赤になった。
こういう反応が可愛いから、年上だと思えないんだよなぁ・・・
悩むように視線を彷徨わせる友世にダメ出しの一言。
「はーやく、誰も見てないから」
瞬の腕に手を乗せた友世をこらえきれずに抱き寄せる。
「ただいま」
友世の耳元で囁くと、くすぐったそうな笑みと共に返事が返ってくる。
「おかえりー」
「・・・・家に誰かいるのっていいなぁー」
「こ・・ここで和まないで!・・ご飯出来てるから」
呟く瞬に慌てて友世が言った。
彼女がこちらを見上げたのをいいことに唇を重ねる。
昼間会社で会った時には下ろしていた髪が結んである。
耳元で揺れるおくれ毛をなぞって淡水真珠のピアスが光る耳たぶに触れた。
なんでだろ・・・無意識にピアス開けない人だと思ってたな・・・
「・・・ご・・ご飯出来てるって・・・」
唇を離して友世が言った。
耳たぶから首筋を辿る指先を掴まれてしまう。
「うん・・・でも仕方無いでしょ?」
さも当然とばかりに言い返すと、友世が眉根を寄せた。
「・・なにが?」
友世の手を逆に握りこんで、指先に口づける。
引き戻された友世が体を引こうとしたけれど許さない。
「まだ足りないんだから」
前髪が触れる距離まで近づいて、間接照明の赤みの強いライトで照らされる瞳を覗き込む。
「・・・瞬」
「・・・目ェ閉じて?」
促すと彼女がそっと瞼を下ろした。
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