第18話 甘い駆け引き

「お疲れ様」


社員入口を抜けるなり、彼の声がして思わず飛び上がりそうになった。


友世はバクバクいう心臓を押さえつつ声の方を振り返る。


「・・・えっ・・・な・・・きょ・・・・?」


(え?なんでいるの?今日約束してた?)


驚きのあまりまともに言を継ぐことのできない彼女の方歩み寄ると、瞬はさして気にした様子も無くするりと彼女の髪に指を絡める。


ぎょっとした友世が慌てて身を引こうとするが、瞬がそれを許さない。


「そんなにびっくりしたんだ」


至極楽しそうに友世を見下ろして、隙あらばキスのひとつでも・・・といった様子の瞬。


「・・・待ってるなら連絡くれればいいのにっ」


気恥ずかしさで視線を合わせられない友世は、瞬の肩越しの景色を睨みつつ言い返す。


こういうときは、待っててくれてありがとう。


なんだろうか?やっぱり・・・


誰かに答えてほしい!と思うものの、脳裏に浮かんでくる幼馴染の面々はとても恋愛相談相手にはなりえない。


勢いと直感で結婚した早苗。


長い長い付き合いの果てに出来ちゃった婚で結ばれた華南。


どちらも社内恋愛の経験なんてありはしない。


ついでにいうなら、世間一般的な恋愛経験も。


友世のセリフにちょっと黙りこんだ瞬。


そんな彼に不安を覚えて、恐る恐る視線を合わせる。


次の瞬間死ぬほど後悔した。


目の前の彼が、満面の笑みでこちらを見下ろしていたからだ。


「・・・拗ねるとそうやって怒るんだ」


降ってきた言葉に友世は思わず声を張り上げる。


「拗ねてないでしょ!!」


けれど、瞬は笑うばかりで友世の手を引いて歩き出してしまう。


「ちょっと・・きいて・・」


反論を始めた友世をチラリと振り返って瞬が尋ねる。


「聞いてるけど・・なら、ここでキスしてもいい?」


友世は反射的に怒鳴り返していた。


「ダメにきまってるでしょ!!!」




振り回されるってこういうこと?


もう自分がどうしてここにいるのかも分からない。


アタマは考えるのを放棄してるし。


妙に気持ちだけ焦ってる。


・・・って何に?焦るの?


★★★


友世を待ち伏せするために、瞬が前日深夜まで残業していたことなど微塵も知らない友世は、タクシーから降りるなり不満を漏らした。


酔ってないと言ったらウソになる。


でも、この間みたいに本当に酔ってはいない。


いうなればほろ酔い加減?


一番心地よい状態・・・のはずなのに・・・


そんなまったりモードを打ち消すような現実が待っていた。


腕を引かれて下りた先にあるワンルームマンションを見上げて足が、止まる。


「なんで・・・?」


問いかける相手は目の前の彼ただひとり。


だってそんな話してたっけ?


意識もうろうとするほど飲んでもいないし・・・


彼はいったい、いつ”ウチ来る?”なんて言った?


友世の声に瞬が振り返ると同時に無情にもタクシーは走り去る。


客を下ろしたのだから当然と言えば当然なのだが。


いまの友世にとっては最後の頼みの綱が消えた瞬間だった。


「寄り道しよっか、って言ったでしょ?」


食事を始めてすぐに、彼が言ったのだ。


”ちょっと寄り道したいんだけど”


てっきりコンビニや本屋を想像していたのに。


友世は半ばパニック状態で瞬を見上げる。


「よ・・・寄り道って・・・これは寄り道じゃなくてお泊まりでしょ!?」


その言葉に、瞬が目を丸くして満面の笑みで友世の手を引いた。


「うん。じゃあ泊まってってよ」


「っは・・??」


「友世がそういうなら泊めてあげるよ」


そうじゃないのに!!!


もう泣きたい。


「も・・・ねえっ・・・ちょっと!」


友世が懇願するように呼び掛けるも、繋いだ手が離されることは無かった。


「帰るから」


「・・・何言ってんの」


「ほんっとに帰るし・・・ね?また今度」


「今度は無いよ。今夜」


キッパリ言い返されて、友世は次の言葉を考える。


「だけどっ・・・」


次の言葉が出てこない。


・・・国語もっと頑張れば良かった!!!


今さら後悔してももう遅い。


瞬は僅かさえも力を緩めずに友世を連れて歩く。


静まり返った廊下を歩いて4つ目のドアの前で立ち止まると鍵を取り出した。


赤茶色の鉄のドアがやけに大きく感じられる。


ガチャリ、と音がしてドアが開けられた。


思わず目を閉じてしまう友世。


そんな彼女を振り返って、瞬が苦笑交じりで繋いでいた手を解いた。


・・・・え・・・・?


驚いた表情で見上げると、彼が一歩部屋に足を踏み入れた。


「・・・いい加減、覚悟決めません?」


ふっと肩の力を抜いた友世の背中を抱き寄せて中に入る。


ドアの閉まる音と同時に真っ暗闇になった。


息を飲む友世の唇を指で辿って、

瞬がさっきの行動とは正反対の、こちらの気持ちを窺うような控え目なキスをする。


声を出すことさえ憚られるような、張りつめた空気。


「しゅ・・・瞬くん・・・・あのね・・」


泣きそうになりながら、友世が震える声で言った。


こんなに緊張したこと無いよ・・・


瞼に口づけた後、もう一度キスをして瞬が腕の中の彼女を見下ろした。


「うん・・・なに?」


「か・・・帰らないから・・・腕・・緩めて?」


その言葉に瞬がやっと少し抱きしめる力を緩めた。


友世の肩に絡みつく髪を愛おしそうに撫でた後、耳元で懇願するように囁く。


「・・・会いたいのは俺だけなの?」


「・・そんなことないよ」


「・・・・・なりふり構ってらんない位・・俺のこと欲しがって」


瞬の声が耳元で解けて、友世は真っ赤になって彼に抱きついた。


「・・・そうやって先に言っちゃうから、何にも言えなくなるんでしょ・・・?」


その数秒後、友世の言葉に答えるような、甘いキスが降ってきた。

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