第17話 デートなのかキスなのか

自分から飛び込んだ。


全く未知の世界に。


片道切符を承知で。


ある程度覚悟はしていたけれど、始まった新たな日々は、友世の予想のはるか上を行っていた。


避ける理由が無くなって、仕事帰りの食事デートも再開した。


手を変え品を変え趣向の違う店に案内する瞬の仕事は、もはや営業では無くてリサーチャーなのではないだろうかと思ってしまう。


友世が美味しいと反応を示した料理は必ず覚えていて、同じような料理を出す店を探すのも巧い。


だから、今日のスペインバルも文句なしに美味しかった。


あっという間に無くなった海老のアヒージョと、具沢山のパエリヤで膨れたお腹にレモンサワーで蓋をしてほっとひと息つけば。


「美味しかったって顔に書いてある」


嬉しそうに頬を突いた瞬が、軽く首を傾げてみせた。


蕩けるような眼差しを真正面から受け止めて、息が詰まる。


友世の気持ちを確認してからの瞬は、暇さえあればアイドルばりの笑顔を振りまいて友世の反応を確かめて来る。


顔を赤くすれば嬉しそうに微笑み、逃げるように視線を逸らせば頬にキスが落ちた。


逃げ場がない事を自覚して、どうにか視線を合わせれば、目を細めて唇を奪われる。


翻弄されるとはまさにこのことだ。


さっきから追加注文を取りに来るアルバイト店員が三回も変わっている事に友世は気づいていた。


何度もテーブルと厨房を行き来しては、必死に瞬と視線を合わせようと頑張る彼女達には申し訳ないが、オーダーを通す時ですら瞬の視線は友世に真っすぐ向かっていた。


友世がたじろいで視線を逸らせば頬杖をついて顔を近づけて来るし、俯けばついでのように額にキスが落ちる。


驚いて顔を上げた拍子に唇を掠め取られることが三度続いて、友世は完全に白旗を上げる羽目になった。


圧倒的に経験値の差が出ている。


友世の好きそうなドリンクを選んで、届けられた料理は進んで取り分けてくれる。


挙句の果てに、友世の隙をついて会計を済ませてしまった彼に、今度こそと財布を取り出せば。


「彼女にご飯奢って貰うわけにいかないでしょ?」


「え・・・あ・・・う・・・」


と、綺麗に丸め込まれて、もうぐうの音も出ない。


黙り込んだ隙に、上唇を吸われて、いくら個室だからってやり過ぎではと真っ赤になって訴えれば、頬の高い場所にもキスが落ちて来た。


黙っても、喋っても、結局は彼の掌の上だ。


差し出された手を握る事を覚えてしまった自分が照れくさくて、嬉しい。


友世の力の倍の強さで握り返されると、それだけで胸がいっぱいになる。


綺麗に友世の隣に並ぶ彼の歩幅は、いつもの半分以下。


伺うような視線で見上げれば、待ってましたとつむじにもキスが落ちた。


唖然としてしゃがみ込みそうになった友世も手を引っ張って引き寄せた瞬が、幸せそうに笑う。


「困ってるって顔に書いてる」


図星を疲れた友世の頬に零れてきた髪を掬い上げて瞬が意地悪な笑みを浮かべた。


「どうやって逃げ出そうか考えてる?」


「・・・・えっ・・」


この状況に対する正しい反応が全く分からない。


世の中のカップルはこうもスキンシップをするものなのだろうか。


身近な幼馴染夫婦を思い浮かべてみても、もうすでに家族として成立してしまっているせいか、子供を介してのスキンシップはあれど、こんな風にべたべたしている所なんて見たこともない。


自宅で二人きりになればまた違うのだろうが、その先の事を想像するのは、友世にはちょっとレベルが高すぎる。


明らかに偏差値不足だ。


「・・・絶対逃がしませんから。考えるだけ、無駄ですよ?」


そんなに顔に出てたかしら?


思わず反対の頬に手を当てる。


と、彼の指先が離れた直後に耳元に唇の感触がした。


ご丁寧にちゅっとリップ音付きで熱を灯されて、悲鳴を飲み込んだことを褒めて貰いたい位だ。


降って来る砂糖まみれの視線に気づいてますます顔が赤くなる。


油断も隙も無いとはまさにこのことだ。


「別れる心配なんて考えつかない位幸せにするからね」


「・・・さ、三ヶ月後にも同じこと言える?」


「一年後でも言えるよ」


「・・・」


「信用出来ない?」


「・・・何も言ってない」


「顔に書いてある。いいよ。じゃあ、期待してて。来年も一緒に居るから」


睦言のように告げられる未来絵図にあっさり頷いてしまえるほど楽観的にはなれなくて。


考えるように黙り込んだ友世の耳たぶにキスをして、瞬が軽く手を引いて脇道に入る。


路地裏の道は人も少なく喧噪もずっと遠く聞こえる。


僅かなネオンの光と、街灯。


心細くなったわけではないのに、なぜだか瞬の手をしっかり握り返してしまう。


そんな友世に彼が小さく笑った。


「怖いのは俺?それとも夜?」


「・・・っ大久保君は怖くないわ」


「それは良かった」


嬉しそうに囁いた彼が、横髪にキスを落とした。


「だ、だからそういうの外では・・・!」


「そんな事言われたら、これから密室コースのデートプランしか提案出来ないけど?」


「・・・っ」


「嫌われるようなことはしないから、大丈夫」


彼女になりたい女の子が列をなす彼ならばきっとそうだろう。


不安なのはむしろ友世のほうだ。


向けられる好意にごめんなさいをして来た場数だけは踏んできたが、まともな恋愛経験が皆無なのだ。


友世の容姿にだけ惹かれて近づいて来る害虫を、頼もしい幼馴染たちが駆除してきた結果がこれである。


今更何も持っていない真っ新な自分を思い知らされる。


「・・・あたしのほうが嫌われると思うけど・・」


「どうして?」


「だって・・・こういうの・・・分からないもの」


繋がれたままの指先を軽く揺らして伝えれば、瞬が首を傾げて見せた。


「知らないなら、これから知って行けばいいよ。俺が教えてあげるから大丈夫」


最初から分かっていた事だけれど、完全にこの関係の主導権を握られている事を、今更のように思い知らされた。

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