第12話 貧血とヤキモチ
瞬は、友世の願いを聞き入れてくれた。
あれ以来、会社での分かりやすいアプローチは鳴りを潜めている。
急にイケメンの来訪が途絶えた事で、焦ったのは他部署の女子社員たちだった。
目の保養が来なくなったとこれ見よがしに愚痴を零している。
佳織は、相変わらず知らぬ存ぜぬを通してくれており、時折友世に視線を投げては来るものの、見守るスタンスを取り続けていた。
瞬の代わりに営業部からの申請書を届けに来るようになった営業からは、物凄く神妙な顔で、どうかうちの大久保をよろしく、と頼まれる始末。
営業部では、瞬が友世に振られたということになっているのかもしれない。
が、実際の所は違うし、それを敢えて彼に尋ねる勇気もない。
まるで自分が瞬の事を気にかけているように思われるからだ。
会社で顔を合わせる時間が減った分、送られてくるメールの回数は増えて、休日に待ち合わせをするようになった。
基本休みの日は地元から出ない友世を外に連れ出す楽しみを覚えた瞬は、手を変え品を変えデートに誘ってくるのだ。
彼がきちんと友世との約束を守ってくれている以上、要望には応える必要がある。
相手の人となりを知ってから、答えを出すべきだというのは確かに尤もだと思うし。
休日に会う大久保瞬は、会社で会うよりもずっとカジュアルで、ずっと友世との距離が近い。
当たり前のように手を繋ぐ彼の大胆過ぎる行動に愕然としたのは最初だけ。
なんで!?と真っ赤になった友世を柔らかい笑顔一つでねじ伏せた兵は、二回目以降もあっさりと友世の指先を捕まえてきた。
感覚が違い過ぎて、反論する余裕すらない。
けれど、経験値の高さを表すように、彼が連れて行く場所はどこもハズレが無い。
話題の映画、新設のプラネタリウム、赤ちゃんラッコが人気の水族館、アトラクションが増設されたテーマパーク。
所謂王道のデートスポットは綺麗に一巡りした。
これで絆されるなという方が無理だと思う。
暮羽の事を抜きにして考えれば、純粋に魅力的な人だな、という感想があっさり浮かぶくらいには、友世の心は綺麗に塗り替えられていた。
けれど、これまでの地元でのんびりゆったりな休日から一転、急にアクティブに動き回ることになった友世の体力の限界がやって来る。
週明けの月曜日。
先週から持ち越していた請求書のチェックをどうにか終わらせて、一息入れようと席を立った瞬間、ふわりと意識が遠ざかった。
「ちょ、友世!?」
慌てた佳織の声をどこか遠くに聞きながら、沈み込むように目を閉じる。
次に目を開けた時には、会社の医務室だった。
側に付いていてくれた佳織が、目を覚ました友世に気づいて静かに声を掛けて来る。
「気分どう?起き上がれそう?」
「・・・すみません・・・佳織さん」
「いいのいいの。課長が居る時で良かったわ。我先にあんたを医務室に運ぼうとする輩を蹴散らしてくれたから、お礼言ってね。美人背負えて役得だって今頃自席で誇らしげにしてるわよ」
「ご迷惑をおかけして・・」
「今日先生居る日で良かったわね。貧血だって言ってたけど」
「ちょっと・・・はしゃぎすぎちゃったみたいです・・・」
「あら、土日はお家でゆっくり派の友世が珍しいわね」
決まって休日は朝寝坊して、マスターの顔見がてらモーニングを食べに行って、そうしているうちに顔なじみが次々と集まって来て、天気が良ければ海辺に出て釣りする幼馴染たちに付き合ったり、子供たちと遊んだりして、一日が終わっていく、それの繰り返しだったのに。
「なんか・・・色々・・・変化があり過ぎて・・・」
「身体も心もびっくりしちゃったか・・・今日はもう帰りなさいね。誰かに連絡する?」
「いえ・・・大丈夫です・・・今日、幼馴染がこっちに出て来てるので一緒に帰れるか確認してみます」
地元の友人である山尾が講演会でこちらに来ている筈だった。
この体調だと一人でタクシーも不安なので、出来れば一緒に帰って貰えると有難い。
メールを送ると、ちょうど講演会が終わった所らしく、会社までタクシーで向かうと返信が来た。
持つべきものは幼馴染である。
「佳織さん、後は一人で大丈夫です。早退させて貰ってすみません」
「分かった。じゃあ、荷物はここね。課長には無事帰りましたって言っておくからね」
「はい。ありがとうございます」
「明日も無理しない事。急ぎの仕事は無いんだから、体調優先しなさいよ」
「そうします」
お大事に、と医務室を出ていく佳織に頭を下げて、のろのろと帰り支度をする。
誰かとちゃんと向き合うのは、想像以上に体力も気力も消耗する。
幼馴染のいる地元というぬるま湯の中でのんびりし過ぎていた自覚があるだけに、辛い。
瞬と一緒の休日は、何もかもが新鮮で楽しかった。
そう、楽しかったのだ。
山尾がタクシーで来るのなら、従業員入り口ではなく、来客用のエントランスで待っていなくてはいけない。
エレベーターを降りて、久しぶりに正面玄関のエントランスを歩いていると、後ろから大きな足音が聞こえて来た。
「川上さん!」
声が聞こえると同時に、目の前に長身が回り込んで来る。
「あ・・・大久保君」
「倒れたって聞いて・・・具合は?」
「うん。ちょっと貧血。年甲斐もなくはしゃぎすぎたのかな・・・今日は帰って休むね」
「・・・俺が、無理に誘ったから・・・?」
伺うような視線を向けられて、友世は無意識のうちに大きな声を出していた。
「違うの!楽しかったから!・・・・あの・・・こんな楽しいの、初めてだったから・・・えっと・・」
楽しいから、の次に出て来る言葉に思い至って、友世は口を閉ざした。
ここであなたに惹かれている、なんて言える訳もない。
「・・・・・あの・・」
珍しくたじろいだ様子で瞬が視線を彷徨わせている。
二人を包み込む何とも言えない微妙な空気は初めてで、瞬も友世も次の言葉を紡げない。
と、前の通りに一台のタクシーがやって来た。
間もなく後部座席から、珍しくパリッとしたスーツに身を包んだ山尾が降りて来る。
「友世ー」
「山尾君!」
「歩けるの?」
「歩けるよ!っていうか呼び出してごめんね」
「いいよ。どうせ帰り道一緒だろ。荷物は?」
友世が手にしているカバンと上着に視線を向けた山尾が、次に隣にいる瞬を見上げる。
「これだけ・・・あ、えっと・・・」
見送りにやって来てくれた同僚と思っているだろう彼に、瞬を紹介しようと口を開く。
「営業部の・・・後輩の・・大久保君・・心配して来てくれたの」
「わざわざすみません。後はこちらで面倒見ますから」
「いえ・・・」
「彼が最近よく一緒に出掛けてる相手?」
医師である父親そっくりの温厚な眼差しで、まるで診察をする時のように患者である友世に問いかけて来る。
山尾は常に穏やかで、幼馴染の中で一番大人しいけれど、彼はとにかく鋭い。
嘘を吐けばすぐに見抜いてしまう。
「あ・・うん」
頷いた友世から視線を瞬へ向けると、山尾はいつもの診察時のように穏やかに口を開いた。
「・・初めまして。彼女の地元で医師をしている山尾です。友世とは幼馴染になります。休みの日は地元から一歩も出ようとしなかった友世が、急にアクティブになったからちょっと気になってたんだ。この通り、友世は体力も運動神経も無いから、主治医としてはデートプランはちょっと配慮して貰えると有難いかな」
「ちょ!!山尾くん!!」
そんな助言はまったく頼んでいないし、運動神経が無いは完全に余計な情報だ。
目を剥いた友世を横目に、瞬は神妙な面持ちで頷いた。
「肝に銘じておきます」
「友世はいい子だから、これからもどうぞよろしく。さ、帰ろう」
軽く背中を押して、友世をタクシーへと向かわせる。
貧血の身体に立ちっぱなしは厳しいので、瞬にありがとう、と伝えてすぐに後部座席へ収まった。
山尾が乗り込む直前に、瞬に向かって何かを言っていたが、友世には聞こえなかった。
「待たせてすみませんでした。出してください」
山尾と二人でタクシーに乗るのは初めての事だ。
いつも具合が悪くなって向かった診療所で、父親の補助をしながら友世に声を掛けてくれる彼と向き合う事の方が多かった。
「久しぶりにイケメン見たよ。彼、相当人気なんじゃない?」
「うちの会社で一番のモテ男よ・・」
「だろうねぇ・・・そうかー・・」
「なんであんな余計な事言ったのよ!振られたらどうしてくれるの!?」
「それは無いよ。彼すごく心配そうな顔してたからね。安心していいよ」
帰ったら点滴入れておこうか、と友世の顔色を確かめる山尾の隣で、数秒前の自分の発言を思い出して、友世は真っ赤になった。
振られたら困る、そう思っている自分が居た。
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