第5話 意思と牽制
意外な位傷ついて、それから俄然やる気になった。
思えば学生時代から、点差を付けられれば付けられるだけ燃える性格だったのだ。
当時の友英学園バスケ部の試合成績を振り返っても、後半からの追い上げでの逆転勝利が目立つのは、エースだった瞬と啓一郎が、揃ってスロースターターだったせいだ。
卒業後は仮監督のような立場で、後輩の指導に当たっていた一つ年上の柊介や多恵からは、頼むからもうちょっと早めにエンジン掛けろと嘆かれていたが。
ぴしゃりと跳ね付けられた迷惑の一言は、瞬の心に突き刺さって、見事に点火してみせた。
彼女が必死に言葉を紡いだ後に見せた表情は、言いようのない後悔と罪悪感に満ちていた。
根が優しい性格なのだろう。
だから、どんな理由であれ誰かを傷つける事を避けたがる。
ちょっとお人好し過ぎやしないかと心配にもなるが、彼女の性格は、いまの瞬にとっては物凄く好都合だ。
「辻さん、川上さんは?」
「最近よく来るわねぇ急ぎのパンフ届けに本店行ってるけど?なに、まだ落とせてないの?」
「今は嫌われないように立ち回ってます」
「なるほど。さすがうちの高嶺の花。大事に守って来た甲斐があるわあ。言っとくけど、適当な優男にはやんないわよ。必死こいて駆けずり回んなさいよ、若いんだから」
手酷い叱咤激励を食らった瞬は、友世の最強の守り人に向かって人好きのする笑みを向けた。
「ちょっとは応援してくださいよ。川上さんの彼氏、俺が一番適任でしょ?」
恐らく、お互いにとってもそれが最適解なのだ。
あの大久保瞬を射止めた女性が、高嶺の花の川上友世ならば、社内の女子社員からクレームは上がらない。
同じように、友世を捕まえたのが社内一の人気を誇るイケメン営業である瞬ならば、男性社員は揃って口を噤むだろう。
「まあ・・・適任ではある、でも、適当に付き合ってポイされるのは困るのよ。あの子はあんたがこれまで付き合ってきた訳知り彼女達とは違うの。誰とも付き合ったことの無い女の子に、綺麗な夢を見せてくれるのは有難いけど、あの性格だから終わった後で泣くわ、絶対ね。ずるずる引き摺らせるような事したくないのよ」
悲しいかな人気者の恋愛遍歴は社内では筒抜けだ。
これまで付き合ってきた女の子たちは皆揃って可愛くて、彼女としては申し分無かった。
瞬に好かれようと精一杯努力して、瞬の彼女であることを名刺代わりに生き生きと恋愛期間を楽しんでいた。
そして、楽しい思い出だけを残して離れていった。
次は、自分を愛してくれる相手と恋をするわ、と言われた時、自分が上手く取り繕って向けて来た愛情の量が、彼女達のそれを上回る事は最後まで無かったのだと思い知った。
請われて始めた恋なのだから、そんなもんだろうと割り切って来たけれど。
「俺が最後まで責任持つって言ったら?」
「イケメンの啖呵はかっこいいけど、出来ない事は言わないように」
あんたまだ25でしょ、と佳織が肩を竦めて見せる。
「辻さん、俺意外と逆境に強いんですよ」
好意にまみれた世界ですいすい泳いできたように受け取られるのは楽だ。
実際泥臭いのは苦手だし、女の子を誰かと取り合った事も無ければ、恋焦がれて眠れなかった試しがない。
だけど、そういう自分を知りたいと思った。
思ってしまったのだ。
「・・・無理強いすんな、泣かせんな」
「分かりました。あ、あと、辻さん」
「なによ」
「福岡の樋口さんから連絡が来て・・」
「っは!?え、なんで!?」
福岡支社の営業、樋口は数年前まで本社の営業部を牽引する絶対的なエースだった。
このまま順調にキャリアを重ねていくかと思われていた彼は、どうしてか二年前に福岡支社に異動になったのだ。
同期だった彼らは、仲が良かったので話題が出てもおかしなことでは無い筈なのに、さっきまでの落ち着きが嘘のように狼狽える佳織を見ていると、まことしやかに噂されていた、交際説に真実味が増して来る。
「辻さん元気かって言ってましたよ。メールの返信がたまにしか来ないって。樋口さん、意外と寂しがりやですよね、連絡してあげてくださいね」
「余計な事言わなくていいから!」
とっとと営業部へ戻れと追い払われた瞬は、大人しくフロアには戻らず、従業員入り口へ向かいながら、こっそりほくそ笑んだ。
予想通り、友世が恋愛を知らないなら、尚更こちらに利がある。
食堂で見せた彼女の態度も、今なら納得ができた。
誰にも踏み込ませた事が無いから、怖いのだ。
誰にも踏み込んだ事が無いから、それ以上近づかれたくなくて終始一貫してあの態度になる。
早々に踏み込んでもらいたいところだが、それは当分無理だろうから、となるとこちらから踏み込むよりほかにない。
警戒させないために、いい後輩のポジションまで下がろうかと思ったが、やっぱりやめる事にする。
付けられた点差を埋める為には、攻めに出るしかないのだ。
★★★★★★
「おかえりなさい」
「っひえっ!」
従業員入り口のドアの前で、ビル管の警備員と立ち話をする事数分、待ちかねていた友世がビルに戻って来た。
「会いたくて待ってました」
なんで、どうして、と言われる前に先手を打っておく。
彼女は向けられる好意を跳ね返せない。
「よ、用事は?」
「顔が見たくて」
大抵この顔を向ければ、女の子はぽかんと見惚れるか、照れて俯くかのどちらかだ。
「っ!!!」
真っ赤になって狼狽える彼女が走って逃げる可能性も僅かに考えて、すぐに甘ったるい視線はしまいこんだ。
何事もやり過ぎは良くない。
「パンフって何の?」
すぐに話題を変えれば、友世の警戒が僅かに解ける。
口説かれると身構えるのはもう条件反射のようなものだろう。
防衛本能が正常に働いているのは喜ばしい限りだが、美人が怯えるというシチュエーションそのものがかなり美味しい展開なので、一度も友世から視線を逸らせない。
彼女が履いているヒールを合わせても、身長差が10センチほどあるので、緩んだこちらの頬が見られていないのは良かった。
「夏の・・新作の」
「ああ、あれかなり人気でしたよ。マーケと広報がかなり拘って市場調査してニーズ引っ張ったって」
「そうなの。うちの倉庫のパンフ在庫いまあれでいっぱいよ。おかげで整理が大変」
「力仕事があったら、呼んでくださいね」
「そんなことしたら、営業部からクレームが来るでしょ」
「来ませんよ。むしろみんな喜んで見送ってくれます」
「・・・え?」
「俺の事応援してくれてるんですよ。なんせ人生初の片思いなんで」
「ちょ、ちょっと!!」
ぎょっとなって友世あたりを伺う。
「ちゃんと緘口令敷いてますから。付き合うまでは噂にはなりませんよ。うちの営業口堅いの
で」
「・・・い、一時の気の迷いでしょ!?そうよね!?」
「俺これでも誠実なお付き合いをして来ましたし、川上さんにもそれを望んでるんですけど」
だから引きません、と微笑みかければ。
「~~っ」
息を飲んだ友世がきゅっと眉根を寄せて視線を逸らした。
眉間の皺を撫でようと指を伸ばした途端。
「大久保ー、待たせて悪かったな・・・っと・・・川上さん?」
今日同行予定だったマーケティング部の夏目がこちらに向かってやって来た。
「あ、夏目さんお疲れ様です!」
弾かれるように友世が顔を上げて、夏目のほうへ駆け出していく。
空っぽのままの手を見下ろして、瞬は小さく溜息を吐いた。
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