第4話 保身と提案
「友世ぉー聞いたわよぅ」
猛スピードで発注伝票を打ち込んでいた頼もしい先輩社員、辻佳織がひょいと椅子の背もたれに背中を預けてのけ反るように後ろに身を乗り出して来た。
「え?何がですが?・・って佳織さん、危ないですよ」
話があるなら呼びかけてくれれば良いのに、至近距離に詰めて来るという事は何か内緒話でもあるのだろうか。
不自然に後ろに傾いた佳織の背中を押しやって、椅子のまま彼女の隣へ移動する。
商品チェックの為に手にしていた蛍光ペンを持ったままだったことに気づいたが、そのまま握って佳織の隣にひっついた。
「どうしました?」
「うちのイケメンアイドル射止めたらしいじゃない」
「・・・はい?」
「大久保瞬よ。え、なに、違うの?亜季の奴ぅ・・ガセネタか!?」
だとしたら許せないわね!と眉を吊り上げる佳織の腕を、勢いよく掴んだ。
手にしていた蛍光ペンが床に転がるが気にしている余裕はない。
「ど、どういうことですか!?」
思い当たるとすれば、あの食堂の一件だが、あの場には三人しかいなかった筈だ。
瞬が言いふらすとは思えないし、だとしたら、あの日本社に来ていた販売部門の・・・
まさか振られた腹いせに、二人の事を言いふらしたのだろうか。
衝撃のあまり真っ白になった友世の前で、佳織が心配そうにひらひらと手を振って来る。
「ちょっとーどうしたのよ、大丈夫?嘘なら、ちゃんと亜季にガツンと・・」
「川上さん」
佳織の台詞を遮るように、総務部のカウンターの向こうから声が掛かった。
振り向かなくても、もう誰だか分かってしまう。
「あら!噂をすれば」
「・・・・嫌だな、もう広まってるんですか?辻さん、山下さんに言って上手い事セーブしてもらってくださいよ。彼女に迷惑かけたくないんで」
可愛い後輩の顔を覗かせて、瞬が殊勝に微笑んで見せる。
佳織は困惑顔の後輩と、営業部の若手エースを交互に見やってから、親指を立てて見せた。
「分かったわよ、しっかりやんな」
いや、待って、全く分からない。
何がどういうことなのか。
呆然とする友世に向かって、瞬が眩いばかりの笑顔で手招きして来る。
隣の経理部の女子社員の視線が一気にこちらに集まって来た。
これ以上注目されたくない一心で、勢いよく椅子から立ち上がる。
俯いたまま駆け出す勢いでフロアを飛び出した。
★★★★★★
「なんで噂になってるのよ!?」
「大体わかるでしょ?」
「腹いせってこと!?」
「自分が振られる正当な理由に、俺を使ったんでしょ。そうしたら告白した彼には非が無いから。俺が居るから無理って思われたのは狙い通りなんですけど・・・もうちょっとプライドあるかと思ったのにな」
これは予想外でした、と悪びれずに瞬が言ったのは、フロアを飛び出して向かった非常階段でのこと。
基本的に社員は移動にはエレベーターもしくは内階段を使うから、非常階段は社内恋愛中のカップルの密会場所としてよく利用されている。
が、幸い今日は誰もいなかった。
「山下さんが上手く動いてくれたら、さほど噂は広まりませんよ」
「さほどって・・それじゃあ困るのよ」
「あんな風に毎回頭下げて胃の痛い思いするより、予防線張るほうが、川上さんも楽でしょう?」
「楽とか、そういう事じゃなくて、大久保君を好きな子が傷つくでしょ!?」
真っ先に浮かんだのは後輩の暮羽の事だ。
商品部にまでこのデマが広まっていない事を祈るよりほかにないが、万一彼女の耳に入ったら、良好な先輩後輩の関係に亀裂が入る事は間違いない。
「でも、俺も助かりますよ。俺が川上さん狙いだって分かって、勇んで挑んで来る女の子そうそういないだろうし」
こんなところで高嶺の花を有効活用しないで欲しい。
「とにかく、困るの」
「好きな人いるわけじゃないんですよね?」
「そうだけど」
「じゃあ、俺とほんとに付き合いませんか?」
「・・・は?」
一番あり得ない提案が飛んできて、息が止まりそうになった。
たじろいで後ずさった友世の踵が、踊り場から僅かにはみ出る。
後ろに傾いた重心を持ち直せるほどの運動神経も筋力も、持ち合わせていない。
ぐらりと傾いだ友世は、咄嗟に目の前の瞬に向かって手を伸ばしていた。
捕まれた腕が、勢いよく引き戻される。
コンマ数秒の後で、彼の肩に額がぶつかった。
「そんなびっくりする提案したかな?」
「なななななにを」
「危ないから、とりあえずそれ以上後ろには下がらないで」
「待って、分かったから、手を・・離し・・」
助けられたとはいえ、さすがにこの距離はまずい。
慌てて目の前の胸を突っぱねようとした矢先、非常階段に続く重たい鉄のドアが勢いよく開いた。
「・・・・!?」
人事部の男性社員が、咥え煙草で飛び出して、目の前の二人を見て立ち尽くす。
瞬の腕の中にいる友世を確かめて、思い切り目を丸くした後で、そのまま後ろに下がった。
「あの、ちょ・・」
これは誤解です!と声を上げようとした友世にかぶさるように、人事の男性社員が苦笑いを浮かべる。
「いや・・邪魔してごめん。誰にも言わないから」
気遣い100%の台詞と共に、フロアへと戻って行く。
「な・・・なんで・・・」
こんな言い訳しようのないタイミングで人に見られたら、どう足掻いても否定は受け入れてもらえない。
「良かったですね。黙っててくれるって」
「信用できるわけないでしょ!」
「俺はそのほうがいいけど」
「あ、あのね・・・大久保君。あたしあなたの事好きじゃないの」
「知ってますよ」
「だったら」
「でも、多分、川上さん、俺と一緒に居る方が楽ですよ。高嶺の花扱いされなくて済むし。俺はこの通り注目されることにも慣れてるし、良い牽制になるでしょ」
「その為に誰かと付き合うと・・あり得ないから・・」
「川上さんは、俺を利用すればいいんですよ。煩わしい面倒ごとが減らせるから」
「待って。でも、大久保君、あたしのこと好きじゃないでしょ?」
「どうしてそう思うんですか?」
「・・・そうじゃないと困るからよ」
でないと穏やかな社会人生活が脆くも崩れ去ってしまう。
お互いの利益の為に、お付き合いする振りをしましょう、というのならばまだ、多少理解はできる。
それなら、何とか暮羽にも説明が出来るのだ。
それなのに。
「俺は惹かれてますけどね」
「め、迷惑です!」
こんなにはっきりと拒絶したのは、生まれて初めての事だった。
必死に言い返した友世の返事に、一瞬目を丸くして、瞬は苦笑いを浮かべた。
「初めて拒絶された」
「・・・っ」
そりゃあこれだけのイケメンだから、彼が狙って落ちなかった女の子はいないのだろう。
ざまあみろだわ、と強気に出られたら良かった。
目の前で心底傷ついた顔をされると、否応なしに良心が痛む。
怯んだ隙に、ひょいと屈みこんだ瞬の唇が友世の前髪の上を掠めた。
「じゃあ、長期戦で行きます」
百戦錬磨のイケメンは、これしきの拒絶ではへこたれもしないらしい。
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