第3話 急展開と急接近
物事には、絶妙のタイミング、最悪のタイミングが必ず存在する。
商談然り、恋愛然り。
定時をとっくに過ぎた食堂の片隅で、微妙な距離で向かい合う男女を見かけた時、瞬はこれはどちらなのだろう、と一瞬だけ思った。
「それで、ずっと話してみたいと思ってて・・・」
「はぃ・・・」
明らかに興奮気味の男の声と、正反対の困惑気味の女の声。
自販機の影からちらりと窓際を覗けば、畳みかけるような男の演説が聞こえて来た。
「部署の飲み会に誘っても全然来てくれないし、総務部には、ほら、辻さんがいるから、俺もうかつに近づけないっていうか」
女の子を口説く方法を明らかに間違えている。
情熱的大いに結構、もうちょっと場所を選んで、雰囲気を読め。
色々と指摘してやりたい気持ちで、こりゃ振られるなご愁傷様、と胸の中で手を合わせた矢先、こちらに背を向けている女子社員の姿に既視感を覚えた。
「・・・・はい」
俯いたままで端的な返事の中に、空気を読んでというメッセージを必死に織り交ぜている彼女は、間違いなく友世だった。
スーツ姿の男はどこかの店舗の販売員だろう。
恐らく社内研修かなにかで本社にやって来て、噂の高嶺の花と遭遇して勢い任せに告白したらしい。
どこからどう見てもその気のない、むしろ困り果てた様子の友世を前に、男はこれを逃せば後が無いとばかりに迫っている。
「だから、ほんとに軽い気持ちでいいんだ。今彼氏いないなら、俺と付き合って欲しい」
入社当時から川上友世に振られた男性社員の話は耳にしていたし、振られても彼女を慕い続ける男が後を絶たない事も知っていた。
美人だとは思うし、透明感のある独特の雰囲気は神秘的でちょっと近寄りがたいけれどそれが良いというのも理解出来る。
一体彼女の何が、そこまで数多の男性社員を惹きつけるのだろう、と自分を棚上げして瞬はそんなことを思った。
彼女がどんな言葉でこの男を追い払うのか見物客の気分で事の成り行きを見守る事にする。
と、友世が丁寧に頭を下げた。
「・・すみません、ごめんなさい」
心底申し訳なさそうな、丁重な謝罪だった。
技巧も何もあったもんじゃない。
見ているこちらが啞然とする位の低姿勢。
「いや、ほんとにお試しでいいんだって。どこかに出掛けたり、食事に行ったりそういうのを・・」
なるほど、彼は友世が好き、というよりは、友世と一時でも交際して自分に箔を付けたいだけの類のようだ。
女性をアクセサリー感覚で扱う男は確かに存在する。
かくいう瞬は、自分がアクセサリー感覚で扱われる方なので、尚更この手の男が嫌いだった。
見た目も中身もふわふわの可愛い女の子ならいいが、どう足掻いても中の下のこの男に、誠実に頭を下げる彼女をこのまま見ていたくはなかった。
わざとらしく足音を立てて、彼らの背後に近づくと、瞬は意図的に自分の表情を緩めた。
歴代の彼女達が、こぞってうっとりと自分を見上げる王子様然とした笑みを浮かべて、友世の肩をそっと抱き寄せる。
「一人にした途端またナンパされたの?ほんとに目を離せないなぁ」
「・・・お、大久保・・」
蕩けるような笑顔を浮かべた瞬を指さして男が愕然とした顔になる。
名前と顔を知られているのはこういう時物凄く便利だ。
「・・・・!?」
驚きのあまり声も出ない友世が、震える唇で小さく、どうして?と呟いた。
★★★★★★
なんでこんなことになってるんだろう・・・
さっきから注目を集めている、目の前の瞬の顔をぼんやり眺めながら友世は残りのカクテルを一気に飲み干した。
「どうかしました?」
頬杖をついて、逆に覗き込まれて友世は慌てて我に返る。
「え・・・ああ・・さっきから女の子たちの視線が痛いなあと思って・・」
「女の子だけかな?」
否定もせずに、そんなことを言われて友世は答えに詰まる。
さっきの一件があるだけに、不用意な事は言い返せない。
それでも、彼は明らかに友世よりも社内で人気があるし、友世よりもずっと有名人だ。
そんな相手から、男性店員や男性客の視線について指摘されるのは何となく居心地が悪い。
「あの・・・さっきの・・」
さも友世と待ち合わせをしていた風を装った瞬のおかげであの場を上手く切り抜けられた友世は、すぐに荷物を取って会社を出た。
一刻も早く一人になってこの状況を整理したかったのだ。
けれど、そんな友世の心境を先読みしたかのように、従業員入り口の前で瞬が待ち伏せしていた。
嘘を本当にする為に、そのままなし崩しに食事に行く事になってしまったのだ。
瞬が友世を連れて来たのは、乗換駅の近くにある雰囲気の良いカジュアルレストランだった。
女の子受けが抜群に良さそうな内装と、お洒落で見た目も鮮やかな料理の数々。
戸惑う友世に悩ませる暇もなくメニューを決めた瞬のあざやかなエスコートぶりは、まさに王子様そのもの。
無意識のうちに向けられるキラキラの笑顔は、さすがに素面では捌けそうにないと踏んで、カクテルを飲むことにして正解だった。
こんなに注目を集めながらの食事は初めてだ。
お酒が無かったら、絶対に料理を味わえなかった。
酔いも回った頃に、食堂での一件を切り出せば、瞬が二杯目のビールグラスをテーブルに戻して軽く身を乗り出して来た。
「あの手の男には、最初にきっぱりと断りを入れるべきでしたね」
内緒話でもするような距離感は、口説かれている時なら効果覿面だっただろう。
けれど、聞こえて来たのは手痛い指摘だった。
「い、いつから見てたの!?」
「ほぼ最初から」
「・・・悪趣味」
油断した口からぽろりと本音が零れてしまう。
「でも、助かったでしょ?」
確信を持って笑顔で告げられた一言に、何も言い返せない自分が悔しい。
「・・・・」
彼の言う通りだ。
今日は予告なしの告白だったので、周りに誰もいなかった。
あのまま上手く断れなかったら、食事の約束を取り付けられていたかもしれない。
「一度食事に行ったら最後、ああいう男はもうすでに付き合ってるって言いふらしますよ。確実に」
「・・・・た・・助かりました」
不承不承だが、それでもそこは認めざるを得ない。
絞り出した一言に気を良くしたのか、瞬が目元を綻ばせた。
悔しいけれど、魅力的だ。
自分の見せ方を自由自在に変える事が出来る人間は、確かに存在するのだ。
学生モデルの経験がある、と暮羽から聞いたことがあったので、そのあたりの経験が役に立っているのかもしれない。
友世に突撃してくる男性陣は、友世が視線を合わせれば慌てて瞳を逸らして赤くなったり、分かりやすくたじろぐ者が多かった。
ところが彼はどうだろう。
挑むように視線を合わせても、綺麗に視線を投げ返して来る。
少しも怯むことが無い。
「いつもああやって返事を?」
「え?」
「ああやって謝られたら、そりゃあ相手は悪い気しないし、川上さん信者が増えるのも納得できるなって」
「申し訳ないけど、大久保君ほど経験がないから、他にどんな返事の仕方があるのか分からないわ」
「・・・計算じゃないんだ」
やっぱり、と納得した顔で言って、彼が残りの薄焼きピザを頬張る。
友世なりに精一杯、誠意を持って対応してきたつもりだ。
本当に申し訳ないが、言わずに秘めておいてくれたらどれだけ楽かと思わない日はないのに。
「そんなことする余裕があったら、とっくに誰かを選んでお付き合いしてると思う」
誠実には誠実を返したいと思うのは普通の事だ。
それを返せる自信が無いから、ごめんなさいを続けているのに。
不貞腐れたように言い返して、良く知りもしない彼にどうしてこんなことを言っているのかと恥ずかしくなって視線を逸らす。
と、こちらを見ていた男性店員と目が合った。
そのまま空いた皿を取りに来た男性店員が、分かりやすくこちらに笑みを向けて来る。
ああ、あたしも例外じゃなかった。
現在この店で一番注目を集めているのは、彼と自分だ。
「美人は大変ですね」
派手な謙遜はわざとらしいし、社内での自分の立ち位置も残念ながら理解している。
好きに受け取って貰おうと瞬の目を覗き込めば、初めて彼が急いで視線を逸らした。
「カクテル、好きなんですか?」
こんな風に動揺した彼は初めて見た。
「え?ああ・・・飲めるお酒を探してたら、結局甘いのだけになったのよ」
二杯目に選んだピーチフィズを一口飲む。
幼馴染の一人が酒屋の息子なので、成人するなりあれこれ飲み比べをした際に、唯一美味しいと感じたのがカクテルだった。
「ビールは苦手?」
「んー・・そうね。幼馴染がもうね、ビールを水みたいに飲むの。それを見てたら気持ち悪くなっちゃって・・」
「何となく、川上さんのイメージ通りですね、カクテルって」
「・・・それ、よく言われるわ」
「イメージを裏切りたいと思った事は?」
「別に。受け流すことにしてるのよ。期待も落胆も」
「・・・なんとなく、それは分かります」
「あたしより、大久保君のほうがずっとそうよね」
「まあ、もう慣れましたけどね」
「・・・それも、分かるわ」
認めたくないけれど、自分と大久保瞬は、似ている。
彼のほうがずっと多くの期待や羨望を背負っているのだけれど、根本的なところで他人に期待を抱かないところが、物凄く被って見えた。
あんなに遠いと思っていた社内のイケメンアイドルが、急に身近な男の子に思えて来る。
暮羽は、彼のそういう所に惹かれたのかもしれない。
長居するつもりは無かったのに、結局創作料理居酒屋で二時間半も過ごしてしまった。
手洗いに立った隙に先に会計を終わらせていた瞬に、財布を取り出すも取り合って貰えなかった。
「ダメよ、絶対ダメ、受けとって頂戴」
年下の後輩に奢って貰うのは良くないし、暮羽の事を思うとこのまま財布をしまうことも出来ない。
ほろ酔いの頭で彼の後ろを追いかけると、財布を持ったままの手を掴まれた。
「誘ったのは俺だから、奢りますって」
「でも・・・さっきの事もあるし・・」
「いいからそれしまって。じゃないと、このままタクシーに乗せて連れて帰りますけど?」
「え!?」
斜め上の提案が飛んできて、友世は大人しく財布をカバンにしまった。
それを確かめた瞬が、タクシー乗り場を素通りして駅へと向かう。
いつもこんな風にしているのだろうか、と疑問が浮かぶと同時に、振り向いた瞬が言った。
「今度、部室に行ったらちゃんと抹茶飲ませて下さい。それでチャラにしましょう」
その折衷案は、友世にとって今の所尤も受け入れやすい案だった。
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