第2話 彼女の運命と、彼女の理想

暮羽が来ない部室は、舞と友世の2人きりだ。


本格的なお抹茶をお休みにして、抹茶ミルクを作ってティータイムにする。


舞が買ってきた雑誌を2人で覗きこみながらのんびりと過ごすひと時は、少し前の穏やかそのものの活動日だ。


これが正しい茶道部である。


「このワンピースとかどう?」


「えー・・丈がちょっと短くない?」


「あー・・そっか・・・そうよねぇ・・」


舞が自分の膝に手を当てて考え込む。


友世はストローで分離を始めたミルクと抹茶をかき混ぜながら言った。


「旦那さんに聞いてみたら?どうせ、向こうの実家って言ったってご両親だけでしょう?今時スカートの丈でブツブツ言わないと思うけど」


「んー・・・・徹は基本あたしの格好に何も言わないのよね・・・ミニスカート以外は・・・」


「何それ?」


「・・・・・一緒のとき以外はミニスカート禁止って・・・」


「あー・・・はいはい。御馳走様」


あの旦那さんそんなこと言うんだわ・・・ちょっと意外かも。


何度か挨拶を交わしたことのある友人の夫の顔を思い浮かべて、くすぐったい気持ちになる。


夫婦ならではのやり取りは、友世には未知数だ。


「違うってば・・」


頬を赤くして否定する舞の頬を突いて友世は笑う。


結婚してますます可愛くなった親友。


志堂から徒歩圏内にある、地元の有名企業の彼が出来たと聞いたときは驚いたけれど。


1年の交際を経て結婚した舞は、本当に幸せそうで嬉しく、同時に羨ましくもある。


あまりにも自分の現実を掛け離れすぎているからだ。


あたしは・・・次の恋をいつするんだろう?


幼馴染たちは次々に家族を作っていった。


学生時代の友達も、会社の同僚も、みんな幸せになって行く。


焦ってるわけじゃない。


今すぐ結婚したいわけじゃない。


でも、ひとりになると思う。


ずーっとこのままひとりだったら?


来年も、再来年もずーっと。


胸を締め付けるような苦しい恋も。


胸を焦がすような熱い恋も。


胸がときめくような甘い恋も。


もうずっと昔に忘れてしまった。


この前、人を好きになったのはいつだろう?


自分の感情をコントロールできなくなるくらい恋をしたのはいつだろう?


「・・・麻痺しちゃったかも・・・」


友世のつぶやきに、舞が雑誌から視線を上げる。


「何が・・?」


「恋心・・・」


「ここ数年恋して無いから?」


「うん・・・もう永遠に誰も好きにならない気がするの」


今日ね、橘さんとデートなの!!とはしゃぐ舞の姿を思い出す。


あんな風に、見ているこっちまで微笑みたくなるような、幸せな恋はきっと出来ないと思う。


異性から言い寄られる度に予防線を張って逃げてばかりの友世にとって、本気の恋なんて夢のまた夢だ。


舞がちょっと悩むように眉根を寄せて、汗を掻いたグラスを取り上げた。


「眠ってるだけじゃないの?」


そう言って、グラスを揺らして底に溜まった濃い緑を溶いて行く。


「友世の心の中で、この抹茶みたいに底の方に眠ってるのよ。ちょっときっかけを与えてあげれば・・・ほら、綺麗に溶けて広がって行くでしょう?これとおんなじ」


まるで化学者のようなもの言いで、自信たっぷりに言われて友世は目を丸くする。


「そうかな・・・・」


無意識のうちに眠らせてしまった恋心なら。


また目覚めてくれるだろうか。


いつか、人を好きになれる?


誰かに恋を出来る?


「あたしだって、徹と出会うまで眠りっぱなしだったんだからね。専門学校以来の恋で、ほんっとに緊張したし不安だったし、悩んだし・・」


「でも、おかげで今幸せなのね」


図星を突かれたらしく舞がちょっと頬を赤くする。


視線を揺らすさまは、新妻特有の色気に満ちていた。


「そうよ・・結婚できてよかったって。徹のお嫁さんになってよかったって思える。だから、恋が出来ないとか言わないのよ。それと・・・恋がしたいからって声かけてきた人に付いて行ったりしないでね?」


まるで母親のような顔で舞が人差し指を立てる。


「分かってるわよ。子供じゃないんだし・・・」


「・・・ほんとに気を付けてね?友世、お人好しな上に押しに弱いんだから・・」


「だ、大丈夫よ」


総務部の高嶺の花である川上友世は、落ち着いた雰囲気の今時珍しい位擦れてない正統派美人。


社内の友世に対する評価は大体こんな感じだ。


社内評価と彼女の見た目に惹かれて告白してくる男性陣には、丁寧に頭を下げて毎回お断りをして来た。


好意を持って勇気を出してくれた相手を無下には出来ないし、気持ちに応えられない事を申し訳なくも思う。


だから、必要以上にしおらしい態度になるのは当然で、その対応を見た人間がさらに友世への熱を上げて人気に拍車がかかった。


誰かに思いを寄せるより先に、相手から好意を向けられる事の方が多かった友世なので、自分から本気で誰かを好きになったことは一度も無い。


その為、片思いを募らせて全力で告白されると、対応に困ってしまうのだ。


そこまでの熱量を向けられることに戸惑ってしまって、ごめんなさい以外の言葉を上手く紡ぐ事が出来ない。


お試し交際でも、と何度か強引に押し切られそうになったことがあり、学生時代は友世を心配した幼馴染や、友人が、社会人になってからは、主に舞がこっそり隠れて護衛としてついてきており、いざという時には飛び出して、上手く友世を逃がしてくれていた。


相手だって人間だし、当然心があるのだから、出来るだけ傷つけずに穏便に収めたいという保守的な考え方は、やっぱりお人好しになってしまうのだろうか。


けれど、そんな告白劇ばかり続けてきたおかげで、結局友世に振られた相手はみな友世を嫌いになるどころかさらに好きになって、一部では、川上友世に告白しない事を大前提とした親衛隊もどきまで存在するらしい。


社内の女子社員からさほど煙たがられる事なく仕事ができているのは、友世と彼らの功績故だろう。


「分かりやすい護衛が居れば、安心なんだけどね。そしたら、友世に突撃してくる人も少しは減るだろうし。毎回ごめんなさい言うのも疲れるでしょ?まあ、未経験者としてはちょっと羨ましいけど」


「既婚者が何言ってるのよ」


「だって去年の社内交流会を思い出してよ」


「ちょ・・やめてってば」


「まるでアイドルの握手会並みに友世の前に列が出来てたじゃない」


名刺片手に少しでも友世とお近づきになれたら、という男性社員がこぞって押し寄せて、それらを綺麗に整列整頓して警備を買って出たのは、総務部の友世の先輩である辻佳織だった。


現社長の一人息子が専務に就任してから、同族企業特有の雰囲気を一掃しようという動きが強まっており、他部署との交流を深める意味での交流会が年に数度行われるようになった。


基本的には、普段関わりのない部署の人間と挨拶をして横の繋がりを広げる目的なのだが、販売部門や、製造部門の殆ど友世と会ったことの無い部署の男性社員は、これをチャンスと意気込んで参加をして来た。


結果、一人握手会のような状態になり、今年は佳織に泣きついて不参加を表明している。


「友世が誰か一人を選んだら、良い牽制になると思うんだけど」


「社内で誰かを探すなんてとんでもないわよ。これ以上目立ちたくないもの」


「じゃあ、仲の良い幼馴染の中の誰かは?」


「残念ながら皆結婚してるか相手が居る」


「へえ・・幼馴染の男の子たち、友世を取り合いしなかったんだ」


「・・・あたしの事を高嶺の花だなんだ言うのは、外の人間だけよ。地元じゃあたしは幼馴染の一人だもん」


だから、誰かの視線を意識する事も無く、自由にのびのびと過ごせる。


休日も友世が地元から出ようとしないのは、外に行くと気疲れするだけだからだ。


「高嶺の花じゃない友世を選んでくれる素敵な彼が出来る事を祈ってるね」


舞が柔らかく微笑んで、声援を送ってくれる。


ほんの少しだけ、友世の気分は浮上した。

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