第14話 思考×迷路

彼に向かう心の矢印を自覚した途端、気持ちは一気に加速した。


とはいえ、素直にそれを口に出来る筈もない。


追いかけられる事しかしてこなかった友世である。


自分から、好きな相手に歩み寄る方法なんて、さっぱり分からない。


それに、歩み寄るとなれば、やっぱり暮羽の事がどうしても引っかかってしまう。


待ちます、と言った彼の真意も分からない。


二人で過ごす時間はこの上なく楽しくて、まさに夢見心地なだけに、こうして平日に戻るとその落差に愕然としてしまう。


重たい溜息を吐いた友世の肩を軽く叩いて、同じフロアの舞が話しかけて来た。


「ねえ・・・今日のお昼・・・って・・・どうしたのそのクマ・・・」


「え?・・・ちょっと・・寝不足で・・・」


「なに?・・・年下君に追いかけられて大変なの?」


声をひそめて(どこに信望者がいるか分からないので)呟いた舞の腕をがっと掴んで友世はこれでもかと首を振る。


早々に瞬からのアプローチに気づいていた舞がしたり顔を向けて来た。


「ちょ・・・声がおっきい!」


美人の親友が自慢だと豪語する彼女は、誰よりも瞬の恋を応援している。


が、友世の気持ちが彼に向かっている事はまだ伝えていなかった。


「みんな外に出てるから大丈夫よ。とりあえず、あたしたちも行かない?お腹すいちゃたた」


財布を掲げて言われて、やっと正午回ったことに気づいた友世は。慌てて立ちあがった。


お昼休みってことは・・・・


大久保君に会っちゃうかもしれないじゃない!


「行こう!今日はこないだのパスタね!」


足早にフロアを出る友世の背中を追いかけながら舞が首を傾げる。


「今日はって・・昨日もあの店行ったじゃない・・なんで最近食堂行きたがらないの?」


週の半分は外食、残り半分は社食というパターンをずっと守っていたのに。


ここにきて急に外食オンリーに切り替えた友世の不可解な行動がどうにも解せない。


「・・・そ・・・外のがいいのよっ」


ヒールを鳴らしてエレベーターに乗り込む友世の顔を覗き込んで、舞は大きく溜息を吐いた。


「・・・嘘付けない性格なんだから・・・下手な言い訳やめちゃいなさい、何があったの?」


そわそわと落ち着かない様子で点滅していく階を眼で追う友世。


敢えて無言を通そうとして、けれどすぐに無理と悟る。


顔に出てるって言われるに決まってる・・・


昔から早苗達に言われてきた。


友世は口では怒ってないって言っても、顔見たらすぐに怒ってるのが分かる。


頑張って直そうとしてきたけれど・・・・こればっかりはどうしようもない。


1階に着くと同時に、ほっと肩の力を抜いた友世は隣に並ぶ舞に視線を送った。


それから、途方に暮れた声で告げる。


「・・・・聞いてくれる?」


10分程待って席に着く事が出来たイタリアンで、日替わりパスタを注文した後で、友世は自分の心境の変化を舞に伝えた。


正直に彼に惹かれている事を打ち明けるなり、舞は急に色めき立って身を乗り出して来た。


「世紀のビックカップルね!」


「・・・面白がらないで・・・あたしがこのまま黙り続けてる可能性だってあるんだから」


「意気地なし」


「だって恐怖よ。考えても見て。あの大久保瞬と・・つ、付き合ったら・・・」


友世の平穏な毎日はきっとあっという間に一変してしまうだろう。


できれば穏やかに、ゆっくりと、初めての優しい恋がしたいのに・・・・よりによってあんな人好きになるんだもん・・・


間違いなく社内で一番人気の大久保瞬である。


彼と付き合うことになれば、間違いなくこの会社の瞬のファンを自負する女子社員と真っ向から戦うことになるのだ。


・・・・早苗や華南じゃなきゃ無理よ・・・


やっかみにも妬みにも慣れて来たし、女子のグループから無視される度に胃が痛んだのはもう遠い過去だ。


けれど、今回ばかりは勝手が違う。


噂になればまず間違いなく、暫くの間食堂でランチは食べられないだろう。


針の筵になることは目に見ているからだ。


「仕事続けられるかどうかすら微妙よ」


「でも、大久保君ってあんまり彼女と長続きしないタイプなんでしょ?友世がグズグズしてる間に、他に好きな子作っちゃうかもよ」


舞からずばりそれを指摘されて、友世はますます眉根を寄せる事になった。


彼が友世を追いかけているのは、友世これまでの大久保瞬信者とは毛色が違うから。


元より来るものを拒まずで恋愛を全力で楽しんで来た彼には、執着と言うものがまるでない。


三か月前の恋は完全に過去と割り切って次の恋人に甘ったるい視線を向ける事が出来る。


ほんのひと時の戯れみたいな恋のつもりだったらどうしよう。


「猶更告白なんて出来ないわよ・・・やっぱりこのまま胸に秘めておく」


「隠し通せるかしらね?だって自分から好きになるの初めてでしょ?気持ちコントロールできる?」


「・・・・自信ないわ」


アップダウンの激しい感情に完全に振り回されて、舞い上がってはしゃぎすぎて体調を崩したのはつい先日の事だ。


「まあ、いいじゃない。他の誰かの気持ちなんて汲み取る余裕なくなるのが恋だから。あたしは応援してる」


トマトソースパスタをくるくるとフォークに巻き付けながら、舞がにっこりと笑った。




★★★★★★





「あ、早かったんですねー・・お疲れ様です」


ひょっこり部室に顔を覗かせた暮羽の姿に、友世は反射的に硬直してしまった。


今日は彼女は来ないと踏んで、気分転換しに来たのだが、読みが外れてしまったらしい。


まったく心の準備もなにも出来てないのよー!


申し訳なさ70、気まずさ60・・・ってもう100越えてるし・・計算も出来ない位。


とにかくもういっぱいいっぱいなんです!


「お・・・おつかれさまぁ」


か細い声で返事をした友世の顔をまじまじと見つめて暮羽が眉根を寄せた。


思わず友世は息を飲む。


「友世さん・・・なんか疲れてます?」


「へ!?・・・っあ・・・-へーそうなのかな・・・」


しどろもどろの返答に暮羽はますます不安そうな表情を浮かべた。


会話すらままならない友世はこれまで見たことが無い。


「おやつの残りなんですけど、チョコレートのシュークリーム食べましょ!友世さん好きでしょ?」


お茶入れますね。といつものように笑顔で簡易キッチンに向かう後輩の姿を見送りながら友世は胸を押さえた。


こんなに優しくていい子なのに・・・・ほんとにごめんね・・・


今の自分に出来ることといえば、暮羽に自分の気持ちを悟られないようにする事位だ。


暮羽の気持ちも、自分の気持ちもここでは気づかない振りをする。


友世は視線を畳の上に戻して、置かれたままの個包装を見た。


駅前の人気パティスリーのものだ。


「駅前まで行ったの?」


友世の質問に、くるりと振り向いた暮羽がなぜか顔を赤くして答えた。


「え!あー・・・相良さんの差し入れなんです・・」


「へー・・・まめなのね・・」


「しょっちゅう色んなお菓子持ってきてくれるんです。あ、でも、その分急ぎの伝票処理とかも頼まれるんですけど・・」


「相良さんって、優しいのね」


「あ、はい!それは勿論!!すごく優しいですよ」


「国際部ってうちの花形部署だから、エリートの集まりでしょ?気後れしちゃいそうだけど、そんな事ないのね」


「相良さん、うちの北村さんの部下だった時期があるんで、あんまり国際部の人って感じがしないんです」


「そうなんだ」


「だから、うちの部署に来てるときに掛かって来た携帯に英語で返事してる所とか見るとちょっとドキッとします。あ、国際部の人だったって・・」


「へえ・・・」


相良からの好意に気づいているのかいないのか、暮羽の笑顔だけではどうにも判別しようがない。


身勝手に暮羽と相良の恋を応援することも出来ない。


瞬は時間の問題だと言っていたけれど、本当にそうなのだろうか。


いつまでも暮羽が瞬への気持ちを抱き続けたらと思うと、ますます気が滅入ってしまう。


普段通りの暮羽に、必死に笑顔を向けながら、友世は何度目か分からない溜息をどうにか飲み込んだ。


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