第15話 恋と咳は隠せない

「んで?その後の守備は?」


傾けられた瓶ビールをグラスに受けて、瞬は新婚の親友の顔を見返した。


啓一郎が金曜日の夜に、まっすぐ帰宅しないで寄り道しているのにはわけがある。

(ほぼ毎日大急ぎで家に帰っているのだ)


愛しの妻が、学生時代からの親友の佳苗、暮羽と仕事帰り買い物に出ているらしいのだ。


運ばれてくる料理をつまみつつ、カウンター席で、目の前の炭火で焼かれる焼き鳥をぼんやり眺めながら瞬は答えた。


「まあまあ・・・・?」


「・・・勝算は?」


「負け戦はしません」


にやりと笑った瞬の肩を叩いて、啓一郎は自分のグラスにもビールを注いだ。


「しっかし年下の次は年上かー・・どんな人?」


「終わったことは忘れる主義なんだよ。・・・なんかほっとけない・・可愛い人だよ」


「・・・甘えられそう?」


「さー・・・ってかあんまりそーゆう願望ない」


「次は面倒見られたくなったのかと思ったよ」


啓一郎の言葉に、瞬は小さく笑った。


「面倒見はいいほうだと思うけどな」


「しっかし百戦錬磨の大久保君が苦戦とはねー」


「・・・イヤミかよ・・氷室に昔の事バラすぞ」


瞬の一言に啓一郎は眉を跳ね上げてぎろりと視線を強めた後、肩を竦めて見せた。


こちとら中学時代からつるんでいるのだから、可愛い妻には言い出せないあれやこれやも共有しているのだ。


「はいはい。第三者は黙って見物してますよ」


「結婚決まった途端これだもんなー・・・貴崎さんらに背中押して貰ったくせに」


「・・・・・羨ましかったらさっさと彼女にしろよ」


痛いところを突かれて瞬は言葉に詰まる。


視線を巡らせれば、楽しげに会話を弾ませるテーブル席のカップルが目についた。


あの日の俺たちも、こんな風に見えていたんだろうか?


希望はあるって思っててもいいかな?


珍しく黙り込んだ瞬が、視線をテーブルに落とすのを見て、啓一郎は慌てて口を開いた。


「弱気んなんなよ。らしくねーなー・・・」


「励ましてんの?」


「当たり前でしょ。何年一緒にいると思ってんだよ」


ばしばし背中を叩かれて瞬は声を上げて笑った。


「10年?」


「長っ!まー振られたら慰めてやるよ」


「振られねーよ!」


思わず怒鳴り返したら、啓一郎がにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。


「その意気その意気」


プライベートが充実している親友の太鼓判を受けて、瞬は自分を鼓舞するように残りのビールを綺麗に煽った。




★★★★★★




迷っている友世に味方するように、展示会シーズンが始まった。


営業部が主催で動くことになる年に4回の一大イベントだ。


近くのホテルのホールを会場にして、夏の新作のお披露目と、書き入れ時の冬に向けた商談の根回しが行われる。


若手は率先して使いっ走りに回るのが常で、深夜残業、休日出勤が続いており、この二週間瞬とは会えていない。


このまま時間が経てば、二人の関係は以前のような先輩と後輩に戻るのだろうか。


それで、いいのだろうか。


「川上さーん!営業部発注の展示会の粗品の追加届いたから届けてくれるかな?」


課長の机から声が掛かって、友世は慌てて給湯室から飛び出した。


「はい!すぐ行ってきます」


ぼんやりしたままコップを何分も洗い続けていたせいで、指先が冷えている。


この時期は特に営業部との連携が密になるのは毎年の事で、展示会場まで荷物を届けた事も何度かあった。


あの頃は、ろくに瞬とは接点が無かったから、いつも通りで居られたけれど。


彼と顔を合わせる事を大前提にしている自分に気づいて、慌てて首を振った。


展示会会場と会社を行ったり来たりしている彼とこのタイミングで鉢合わせする可能性はかなり低い。


大抵は留守を守る事務員に荷物を渡して戻って来るのだ。


きっと今回もそうなるはず。


段ボールに詰められたボールペンを抱えてエレベータに乗り込む。


会いたいような、会わずに済むならそのほうが良いような。


結局どれだけ迷ったって答えなんて出ないのだ。


それなのに、胸の奥はざわざわして、掌に汗をかかせる。


思わず深呼吸したくなる自分に驚く。


こんなに緊張するなんて一体いつぶりの事だろうか。


「失礼しまーす・・総務部です」


入口すぐの女子社員に声をかけると、すぐに席を立ってこちらにやって来てくれた。


予想通り、営業部はがらんとしている。


残っているのは数人の事務員と上役くらいのものだ。


電話が鳴りっぱなし、コピー機フル稼働のいつもの営業部とは比べモノにならない。


粗品を手渡して、なんとなく視線を巡らせると女子社員が興味深げに口を開いた。


「営業さんもみんな出てるんですよー・・・あ、でも大久保君たちは粗品取りに一旦戻るんですけど」


ぐるっと見回した仕草をそう取られたことが恥ずかしくて、友世は慌てて首を振った。


「え・・・あの・・そんなつもりじゃ・・・いつもより静かだなーって・・・」


「あ・・・そうなんですか?てっきり大久保君に会いに来たのかと・・」


なんてことを言い出すの!!


思わず声を張り上げそうになってしまう。


「ま・・まさか・・・」


営業部は部署を上げて瞬の恋を応援しているのだと、今更ながら思い出す。


部署でもかなり可愛がられている事を、総務部にやって来る営業や事務員たちの態度からも窺い知ることが出来た。


「あれだけイケメンでも、やっぱり、川上さんのお眼鏡には敵いませんか・・?彼見た目以上に真面目ですし、女の子にも優しいですよ。私ならすぐにOKしちゃいます」


「・・・むしろあたしの方が彼には相応しくない気がするんですけど・・」


友世が瞬と付き合えば、これまでのような恋愛にはならないだろう。


数か月間の楽しい交際と割り切る事なんて友世には絶対に出来ないし、瞬が望むような可愛い彼女になれる自信もない。


ああ、やっぱりやめた方がいいな、と重たい気持ちになる。


「そんな!彼に憧れてる女の子はみんな、相手が川上さんならしょうがないなって思ってるのに。ほかに相応しい人なんていませんよ」


すっかり浸透してしまっている高嶺の花扱いに、友世は苦笑いを浮かべるしかない。


「でも、そういう謙虚さも、魅力なんでしょうねー。大久保君のこと、前向きに考えてあげてくださいね!川上さんが、忙しい展示会のスケジュール乗り切るモチベーションになってるはずですから!」


晴れやかな笑顔を浮かべる事務員に曖昧な返事を返して早々に営業部を後にする。


あたしの気持ちはどこを向いてるの?


会いたいの?会いたくないの?


どっちなの?


気持ちはいつまでだって答えを出せずにぐるぐる回り続ける。


綺麗に混ざりあわない不格好なマーブル模様。


ちっとも美味しいコーヒーにはならない。


そんなコーヒーならマスターも呆れちゃう・・・


エレベーターが到着するのを待ちながら、現在地を示すランプが徐々に上がってくるのを眺めてみる。


1、2、3、4・・・・・


素数を数えるような気持ちで回数表示を心の中で呟くと、不思議と呼吸が落ち着いて来た。


あまりにもぼんやりしすぎていたから、このエレベーターに誰かが乗っている可能性なんて、

本当にこれっぽっちも考えていなかったのだ。


だから、ゆっくりと開いたドアの向こうに瞬の姿を見つけた時、友世の心臓は文字通り飛び跳ねた。


「っえ・・・?」


呆然とする友世の前に現れたその人は、いつも通りの柔らかい笑みを浮かべてこちらを見てくる。


「あれ?うちに用事ですか?」


そう問いかける瞬の横を同僚らしき男が、友世を横目に抜けて行く。


好奇心に満ちた視線を友世に投げられても、当の本人がパニック状態なので気付いていないことは幸いだった。


「・・・え・・・あ・・・うん・・・」


あんなに考えていたのに、お決まりの”お疲れ様”すら出てこない。


なんで、こんなに心臓ばくばくいってんの?


疑問ばかりが浮かんでくる。


しどろもどろの答えをする自分の体温が急に上がるのを感じた。


「展示会で忙しくて、ちょっと時間取れないんですけど。終わったら約束通り、夕飯食べに行きましょ?それを目標に仕事頑張るし」


さっきの女子社員の台詞をそのままさらうような言葉に、ぎゅうっと胸が苦しくなった。


「会いたいなと思ってたから、嬉しいです」


何の臆面もなく告げられて、いよいよ頬の熱が抑えられなくなってきた。


ああ、そうか、やっぱり会いたかったのか。


身長差を埋めるようにこちらを覗き込んで来る瞬の顔を、真っすぐに見つめ返すことが出来ない。


「・・い・・・そがしいみたいね。展示会、頑張ってね。じゃあ」


そう言って友世は止まったままのエレベーターに乗り込んだ。


「川上さん?」


「お・・お疲れ様!!」


こんなにエレベーターのドアが早く閉まることを祈ったことって・・・無い。


ぐったりして壁に寄りかかりながら、友世は舞の言葉を思い出していた。


隠し通せなくなるのが、恋、だから。

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