第10話 譲れない気持ち

あろうことか後輩の想い人に送って貰って、挙句の果てに肩まで借りてしまった。


いくらここ最近寝不足だったとはいえ、色々と思い悩むことが多かったとはいえ、一番選んではいけない選択肢を選んだ自覚がある。


せめてもの救いは、酔って絡んだりしなかったことだろうか。


そのうえ、彼に肝心の事は何一つ伝えられなかった。


素面では切り出し難くて、軽く飲んでから、とりあえずそれっぽい理由を付けてもう会えませんと伝えるつもりだったのに。


ほぼ考えなしで挑んだ結果、梅酒に酔っぱらってただのお食事会で終わってしまった。


罪悪感と果てしない後悔を抱えて。叫び出したい気持ちで出社すると、運悪く従業員入口の目の前で暮羽とばったり会ってしまった。


思わず隠れたくなった自分を叱咤しながら友世はいつも通りの笑顔で必死に言った。


「おはよー暮ちゃん」


「おはようございます!」


ううう・・・何も知らないその笑顔が胸に痛い。


彼女がどんな気持ちで今過ごしているのかと思うと、申し訳なさでいっぱいになる。


これからは絶対に暮ちゃんの気持ちを一番に考える。


そうよ、あたしは暮ちゃんの先輩なのよ。


改めて決意を新たにして、うんうん一人頷いてみる。


「いつもより遅くない?」


「そうなんです。今日は相良さんが駅前で拾ってくれたんで」


「へ?相良さん!?なんで・・」


「え・・っと・・・最近仲良くして貰ってるんです・・・ほら、よくウチの部署に来られるんでその関係で。相談とか乗って貰ったり」


それは関係ないでしょう?


むしろ、相良さんは暮ちゃんに会うためにわざわざ来てるようにも見えるけれど・・・?


思わず言ってしまいそうになるけれど、友世は出かけた言葉を必死に押し戻した。


「なにか悩んでるなら何でも言って?相談に乗るし・・・」


暮羽から、自分の気持ちを打ち明けてくれたら、その時は友世も自分の状況を伝える事が出来る。


「はい・・・ありがとうございます・・・あの、友世さん」


「うん?なあに?」


「瞬君は、いい人ですよ」


困ったように微笑んで、暮羽が言った。


「え・・・?」


真正面からそれを受け止めて良いのか、それともこちらの状況を見透かしての一言なのかさっぱり分からない。


呆然とする友世に手を振ると、暮羽が先に階段に向かって駆け出していく。


「あ、それじゃああたし、自販機寄ってから行くので、また」


「あ・・うん・・・またね・・・・」


暮羽の考えは分からない。


けれど、友世が取るべき行動は分かる。


瞬に、明確な返事を返すこと、それだけだ。




★★★★★★





「川上さんいますか?」


今日はビルの分室に半日勤務だというので、コーヒーを調達ついでに覗いてみれば、彼女の姿はナシ。


問いかけた分室勤務のおばちゃんの話だと、買出しに行っているとのこと。


タイミング外したなぁ・・・・


そんな風に思って、瞬は午後から本社の総務部に顔を出すことにした。


もちろん、次回の食事の約束を取り付けるために。


「え?また外出ですか?」


「そうなの・・・急にお客様用のコーヒーが無くなっちゃって・・・何か伝言あるなら聞いておくけど?」


興味津津の女子社員に営業スマイルをお見舞いして総務部を後にする。


・・・これはホントにタイミングだろうか?もしやこないだ、酔ったこと気にしてるとか・・?


あの日、タクシーの中で凭れかかってきた彼女の華奢な肩を思い出して、頬が緩む。


と同時に、最後に飛び出した爆弾発言が頭を過った。


あれは酔った勢いで出た一言、そう結論付けたけれど、やっぱりまだ不安は残る。


あのまま抱きしめてしまえば良かった。


多少強引にでも引き止めてしまえばよかった。


そうしたら、今頃は・・・


ありもしない現実を振り払うように、足早に階段を下りて営業部のある3階のフロアに出る。


ガラス張りの窓の下にふと目をやると、スーパーの袋を抱えた友世が戻ってくる姿が見えた。


慌てて階段に取って返して、入口まで走る。


運動神経だけは自信があるのだ。


中高大と続けてきたバスケは少しも無駄じゃない。


おかげでビル管と楽し気に話をする友世に追いつくことができた。


「川上さん!」


柄にもなく大声を上げて呼び止めると、弾かれたように友世が顔を上げた。


こちらの姿を認めるなり、ぎょっとした表情になった。


「お・・大久保君・・・お出かけ?」


「上から見えたんで、下りて来たんですよ」


「えっ!?な・・なにか御用?」


コーヒー豆とフィルターが山ほど入った袋を友世の腕から取り上げる。


見るとここから歩いて15分の場所にある大型スーパーのものだった。


「ちょっと顔が見たくなって」


あ・・・しまった。


そう思ったがもう遅い。


油断した隙に綺麗に本音が零れ落ちた。


目の前で、友世の顔が弾かれるように真っ赤になった。


いつもは即座に困った顔になるのに。


こうも分かりやすく照れる彼女を見るのは初めてだ。


透明感は綺麗に隠れて、ひたすらに狼狽える普通の可愛い女の子だ。


貴重な一面を見れて嬉しい。


「こ・・この間はホントにごめんなさい!年上のくせに情けないわ・・・」


「え、いや、そうじゃなくて・・・二日酔いとか大丈夫でした?」


「う、うん・・・お水すすめてくれたのがよかったみたい」


「ならよかった・・・今度は酒より、料理メインの店にしましょっか」


あの夜の一言は聞かなかったことにして、別の提案を口にした。


取り上げられた袋を取り返そうと友世が手を伸ばす。


けれど、瞬はそれを高く持ち上げてしまう。


頷くまでは返さないつもりだ。


友世は顔を顰めて黙り込む。


必死に指を伸ばしても、袋の端にすら引っかからない事に諦めて、漸く踵を下ろした。


また広がった身長差を埋めるように僅かに屈む。


「・・・自分で持てるから・・」


拗ねたような口調からは隠し切れない動揺と苛立ちが伝わって来る。


が、瞬の方とて簡単には譲れない。


「ついでだからお供しますよ」


「・・・・ほんっとに大丈夫だから」


ぐっと拳を握った暮羽が、意を決したように瞬を見上げた。


「あのね・・・もう」


けれど、それを遮るように瞬が口を開いた。


彼女に二の句を紡がせてしまえば、いまのこの関係が一気に終わると直感が告げていた。


「もし、酔うのが心配ならアルコール無しでもいいし。万が一酔って熟睡しちゃっても、もう家覚えたんで大丈夫ですよ。俺は確かに年下で、後輩だけど、川上さんの面倒くらいいつだって見られるし・・・今度も、こないだみたいにちゃんと送り届けますから」


一息に言いきって、異論は認めないと視線を合わせる。


これまでの数回で、彼女が押しに弱い事は何となく分かって来た。


向けられた好意を器用に捌けるタイプでは無い筈だ。


「あたし、もう二人では会えないの」


彼女の口から零れた台詞に、心臓が嫌な音を立てた。


「どうして急に?」


「急じゃない、ずっと考えてたのよ・・ずっと・・言い出せなくて・・」


「二人が気まずいなら、今度こそ暮羽ちゃんも誘います?それなら安心でしょ?あの子が気を利かせて断ってくるかもしれないけど・・」


そんな風に言って、瞬は笑って友世にスーパーの袋を差し出した。


そうして、確信犯的に極上の笑顔で告げる。


自分の見た目をこれほど意図的に有効活用した事は、一度も無かった。


それなのに、彼女は表情を険しくする。


「・・・それも困るの」


「俺の事嫌いになりました?」


「嫌いになるほどあなたのこと知らないもの」


「ですよね?じゃあ、どうしてこのタイミングで?」


「あたし達、確かに似てるところはあると思うけど、合わないって言うか・・・会えないって言うか・・とにかく・・・嫌われたくないのよ!!」


飛び出した支離滅裂な台詞に、瞬は眉を顰めた。


「嫌われたくないって、誰に?」


少なくとも自分は好意を寄せているし、それを伝えてもいる。


友世が嫌われたくないと必死に思う相手がいるとしたら、それは誰だろう。


瞬と友世が近づく事で、友世を嫌いになる人物。


ああ、そうか。


答えはすぐに思い当たった。


一つパズルのピースが当てはまると、色んな謎が一気に解けていく。


彼女は、暮羽の気持ちを知っていたのだ。


自分以外は気づいていないと思っていた暮羽の好意が、友世の頑なな態度の理由なのだと

したら、それこそ論外だ。


自分の気持ちは変わらないし、譲るつもりもさらさらなかった。


「わかりました。でも、最後にちゃんと話をさせてください。それ位良いですよね?」


有無を言わさぬ口調で言えば、ぐうっと息を詰めた友世が、こくんと一つ頷いた。

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