第9話 タクシーと爆弾
そもそもあのメンバーで恋愛相談も何もあったもんじゃない。
友世は深夜まで続いたお茶会を思い出して、複雑な気分になった。
二十歳で幼馴染と結婚した華南と、数年前まで15歳で死別した初恋の相手を引きずっていた早苗には、友世の相談に乗れるだけの恋愛経験が無い。
結局友世が零した愚痴を、早苗と華南が笑い飛ばして終わったが、逆にそれが良かった。
幼馴染たちが言うように、瞬はもしかすると自分に好意を寄せているかもしれないが、たらればで不安になったって仕方ない。
暮羽と大久保瞬を天秤にかければ、間違いなく暮羽の比重が重いのだから、これを最後に彼と二人で食事に行くのはやっぱりやめにしよう。
奇跡的に大久保瞬が暮羽に絆される可能性だって無きにしも非ずなわけだし。
そうだそうだ、と思い至って、相良の事を思い出す。
恐らく、暮羽の恋が実っても、彼女がずっと追いかける形で恋愛が続くだろう。
一人の女の子と半年続いたら珍しいレベルで、彼の興味は移り気だというし、同じパターンになる可能性もある。
先輩としては、誠実で堅実な恋愛をお勧めしたいので、やっぱり相良を推したいが、暮羽の気持ちを考えると、それも出来ない。
結局は、早苗の言ったとおりなのだ。
人の恋路に首突っ込むな。
好きなら好き、嫌いなら嫌い。
じゃあ・・・分からないときは・・・?
また飛び出してきた疑問を振り切るように、倉庫の備品チェックを始めた友世の耳に、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「川上さん」
キャビネットの前にしゃがみ込んでいる友世の隣にやってきて、同じようにしゃがみ込みながら、瞬がにこりと微笑みかける。
「お・・・大久保君!」
思わず声を上げた友世は慌てて自分の口を塞いだ。
手に持っていたファイルが床に落ちる。
「そんなに驚かないでくださいって・・」
苦笑交じりで瞬が床からファイルを拾い上げた。
今まさに思い浮かべていた人物の登場で動機が収まらない。
まるで友世の頭の中を盗み見たようなタイミングで現れた彼に、愕然とした視線を向ける。
総務部なので、いつでも色んな部署の人間が行き来うのだが、パニックの友世はそんなこと頭から抜け落ちている。
友世の隣に並んだ瞬との距離を、改めて確かめた。
この距離は近い気がする。
しかも、なんで一緒にしゃがみ込んでるの・・
距離を取ろうとするも、段ボールが積んである備品庫なのでうまく離れられない。
友世は、ドアの外をチラリと見て急いで立ち上がった。
こんな場所で二人きりでいたら、妙な噂を立てられかねない。
大久保瞬が行く先々には、必ず彼にお熱な女子社員が待ち構えているのだから。
「ありがとう・・集中してたから・・ちょっと驚いちゃって・・ごめんなさい」
「集中っていうよりは、心ここにあらずって感じだったけど・・・?」
鋭い突っ込みに、思わず笑ってしまう。
つくづくよく他人を見ている男だ。
スマートなエスコートが出来るのは、この観察眼のおかげなのだろう。
「ひっどい・・・実は、ちょっとボーっとしてたの。昨日遅くまで出かけてたもんだから眠たくって・・」
受け取ったファイルを抱えて、瞬を見上げる。
友世は女子にしては背が高い方だ。
しかも、今日は7センチヒール。(いつもはフラットシューズなのだが)それでも、まだ彼の方がずっと背が高い。
こうやってヒールでまともに男の人見上げたの久しぶりかも・・・
そんな友世の視線を受けて、瞬がちょっと屈みこんで来た。
薄暗い倉庫を照らす室内灯の白い光を反射した瞳が友世を捕える。
「・・・飲みに行ってたんですか?」
別の意味を含んでいるのかと思わせる位、真剣な声。
友世は跳ねた心臓を隠すようにファイルを抱える腕に力を込めた。
「え?違うわよ。行きつけの喫茶店で女友達と夜お茶してたの」
「・・・・女友達?・・・なんだ・・そっか」
はにかんで笑った瞬が、友世の目もとをおもむろに指さした。
「クマ出来てますよ」
「うそ!!」
確かに寝付けなかったけれど、指摘される程寝不足だったとは思わなかった。
★★★★★★
男の人から、初めてクマを指摘された。
自分が必要以上に人目を引く容姿をしていると自覚をしてから、どんなにしんどい日でも化粧に手抜きをしたことは無い。
どこかで誰かに見られても良い程度に自分を整えることは、ずっと昔から当たり前の事になっていた。
化粧は女の武器だと何かで読んだことがあるが、まさに友世にとってはそうだった。
外に向けた川上友世を作り上げる間に、上手くマインドコントロールしてきた。
だから、大久保瞬からの指摘はかなり衝撃だったのだ。
いかに今の自分に余裕が無いのか、痛感させられた。
名誉挽回ではないが、いつもより念入りに化粧直しをした。
これから向かうお店は、間違いなく間接照明がメインなのだろうが、それでも油断は出来ない。
ハイライトで憎きクマが消えている事をコンパクトで丁寧に確かめて、血色を良く見せるために普段よりも明るいリップを塗り直した。
倉庫にやってきた瞬から”こないだの梅酒の店、今日行きませんか?”
そう言われたのが3時間前。
断るつもりだったのに、結局こうなってしまっているのは事情があるのだ。
最初友世は決意した通り、これからは二人では会えないときっぱりと言い返すつもりだったのだ。
「えっと・・・なんだけど・・」
暮羽の恋心を守りつつ、上手く彼を納得させる言葉を必死に考える友世の言葉を遮るように経理部の同期が倉庫に入って来たのだ。
「友世ー?キャンパスノートが欲しい・・・え・・・」
狭い倉庫で至近距離で向かい合う大久保瞬と友世を交互に眺めて、明らかに邪魔をしたような顔をする同期に慌てて手を振るも、効果ナシ。
瞬はすぐにお決まりの笑顔を向けてこう言ったのだ。
「じゃあ、19時に駅前で待ってますから」
そうして断る暇もなく彼は逃走。
興味津々の顔で近づいて来た同期からの質問攻めをどうにかやり過ごして、終業時間を迎えて・・・・そして、現在に至る。
ヘアコロンを振りながら、友世は自分のタイミングの悪さを嘆くしかなかった。
★★★★★★
「やっぱり紀州のが香りも味もまろやか・・・」
ロックで頼んだ梅酒を一口飲んで、友世はグラスの液体をうっとりと眺めた。
いつもよいハイペースに飲んでいるが、悪酔いはしていないようだ。
酔った勢いで、なんていう棚ぼたは期待出来そうにないが、それでも下心が無いかと言われればあるのは当然で。
多少酔ってくれた方が、警戒心が解けて良いかなと思いつつ、お代わりを注文する彼女を見守る事にした。
友世との約束を取り付けた後、すぐに瞬が予約した店の個室に納まった二人は、産地ごとに風味の違う梅酒を飲み比べしつつ、和やかな食事を楽しんでいた。
人気店らしく、客足は途絶えることを知らない。
前回よりも饒舌に話す友世は、相変わらず触れたくなるほど綺麗だと思う。
高嶺の花として遠巻きにしか知らなかった頃よりも、ずっと等身大の彼女を理解している自覚があるので、その内面も含めて惹かれるのを止められない。
この店に到着するまでの短い移動時間の間にも、あちこちから男女複数の興味深げな視線が突き刺さって来た。
これまでも、親友の啓一郎と街に出れば必ず誰かに呼び止められたし、雄弁に好奇心と興味を語る女子特有の熱視線に晒されることにも慣れていた。
が、不特定多数の男から、嫉妬に混じった視線を向けられるのは初めての事で、これが存外悪くない。
見た目がそれなりの男なら、やっかみの視線を向けられるのだろうが、未だにモデル事務所からスカウトが絶えない瞬を前に、そんな視線を送れる男はそういない。
友世を見て、瞬を見て、ああ、と納得したように視線を逸らしていく彼らの想像通りの未来を一刻も早く引き寄せたくて仕方ない。
その為には、彼女が自分のどこに警戒しているのかを慎重に探る必要がある。
百万が一の可能性を考えて、いつもより控え目に飲む瞬に、友世が蕩けた眼差しを向けて来た。
「飲まないの?」
小首を傾げて尋ねられて、思わず”飲みます”と即答したくなる。
彼女が持つ透明感に、どこか気だるげな色香が加われば、それはもう間違いなく男を駄目にする魅力の塊になるわけで。
「そろそろ止めないと、明日に響きますよ?」
「これ位だーいじょうぶよ。ほら、これ飲んで。飲みやすいし!」
そう言って、半分ほど残った梅酒のグラスを差し出されてしまう。
こういう状況でも、綺麗に口紅の痕を拭っているところが彼女らしい。
向こうが言い出したんだし・・・今どき間接キスもないか・・・
受け取ったグラスを一気に飲み干すと、友世が嬉しそうに笑った。
「ね?美味しかったでしょう」
「・・・・はい・・・」
正直味なんてわかったもんじゃない。
こんなに動揺するなんて思ってもみなかった。
彼女が目の前に、いるだけで。
神経が、麻痺したみたいに動かなくなる。
引き寄せられて、惹きつけられて。
馬鹿みたいに彼女の事しか見えなくなる。
焦がれているのだ、これが恋なんだと自覚した途端、一気に酔いが回った気がした。
さすがに今日は電車で帰らせるわけにはいかない。
本当は、タクシー乗り場まで見送って、一人でタクシーに乗せるつもりだった。
けれど、万が一途中で気分が悪くなると困る、と言い訳をして同情する事を選んだ。
・・・なにより、離れがたかったのだ。
「ひとりで帰れるから・・」
「ダメです。送りますから」
お決まりのセリフを言った彼女の隣に滑り込んで瞬はとりあえず聞き覚えていた彼女の最寄り駅を告げる。
と、友世が、よく知ってるわね!と目を丸くしてからコロコロと笑った。
機嫌が良いのは嬉しいが、付け込める状態では無いので距離に困る。
視点の定まらない瞳で暫く車の外を眺めていた彼女が瞬の腕を引いてきた。
他意はないことを知っていても、期待してしまう。
「大久保君」
「・・・はい?」
いつもの軽口が出てこなかった。
「ごめんね・・・もうこうやってご飯に行くのは終わりにさせてね」
そう言って、小さく欠伸を零した彼女が、こちらの肩に頭を預けて来た。
「え・・・?」
こんな接触、大したことではない筈なのに。
大袈裟な位跳ねた心臓と、耳に聞こえて来た言葉がぐるぐると頭の中で渦を巻き始める。
終わりにしてね、それは、つまり。
問いただしたい気持ちで彼女を見返すも、すっかり眠り込んでしまっている。
酔っているのだから本気にする必要はない、と必死に言い聞かせた。
乾杯から始まって次々に梅酒を口にしていたのは、このことを切り出す為だったのか。
嫌な予感が胸に押し寄せて来る。
いや、そんなわけない、絶対に違う。
右肩から聞こえる静かな寝息に、眩暈を起こしそうになる。
・・・・重症だ、絶対・・・・・
手を伸ばせば届くところに、彼女の顔があって穏やかな表情を存分に眺めることも出来たはずなのに。
まるで、初めてのデートの時のように、ただ、ヘッドライトで光る真っ黒なアスファルトを眺めることしか、出来なかった。
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