第8話 お誘いと警戒と相談

「お疲れ様です」


茶道部の部室に顔を覗かせると、友世がにこりとこちらを見て微笑んだ。


最近見せてくれるようになった柔らかい表情に、ほっとする。


相手を知る前からごめんなさいは失礼だと正論を並べて、連絡先を無理やり交換してから、彼女は送るメールには毎回必ず返事をくれる。


当たり障りのない返信内容だが、それでも心待ちにしている瞬にとってはこの上なく嬉しいもので。


疲れたときとか、妙に会いたくなるんだよな・・・


ミーティングの後で、こっちまで足を伸ばして本当に良かった。


最初に食事に誘って以来、間を開けずに彼女を飲みに誘った。


それ以来、二回に一回は彼女を誘うことに成功している。


あの大久保瞬から誘われて断った事がある女性は、友世だけだ。


時間があるなら、と声を掛ければない時間を割いてでもデートに応じてくれていた歴代の彼女達との落差が激しい。


が、その気のない女性と距離を詰めていくのは初めての事で、その手探りな感じも新鮮に感じられる。


不承不承でも来週ならいいよ、と言われるだけで、飛び上がりたくなるなんて、売上目標を最速で更新した時以来の喜びだった。


「残業なの?」


「ええ・・・さっきミーティングが終わったとこで・・」


「こっちに用事かなにか?」


あなたに会いたくて、わざわざ隣まで足を運んだんですよ。


言いたいけれどやめておく。


二人きりの場所で言うと、疲労が溜まった今は箍が外れそうになるのだ。


人生で一度も振られたことの無い男としての矜持が、正確に二人の距離感を見極める。


今のところは、せいぜいただの後輩といったポジションだ。


せめて、異性として意識して貰ってから出ないと、強気には出れない。


「工芸に商品依頼を持って来たんです」


「この時期はどこもピリピリしてるから大変でしょう?」


「納期の話したら、即効で睨まれましたよ・・」


「やっぱり。あ、どうしても緊急なら、工程管理の中園さんに頼むといいわよ。彼女、大久保君のことすごく気に入ってたから」


他意はないと分かっていても、意中の相手から別の女性を薦められるのはかなり傷つく。


これまで自分も同じような事をして来たのだろうかと、過去を振り返りそうになる。


僅かの期待も虚しく、そこには嫉妬のかけらも見えやしない。


肩を落としそうになる自分を叱りつつ、話を変える。


「じゃあ、今度からそうします。今日は部活の日じゃないですよね?」


「うん。・・あ、暮ちゃん待ってるなら来ないわよ?」


「いや・・今日は別に約束してるわけじゃないんで」


「そうなの?今日は暮ちゃん、相良さんとお食事みたい」


「へえ・・・」


なぜか微妙な表情を浮かべた友世が、考えるように顎に指を添える。


どうして彼女がそんな浮かない顔になるのか。


「暮羽ちゃんが何か・・・?」


瞬の問いかけに慌てて首を振った友世はもういつもの様子に戻っていた。


「ううん、なんでもないの!」


「・・・・」


もう少し距離が詰まっていたら、踏み込んだかもしれない。


けれど、未だに後輩の枠から一歩も出られていない自分では、火傷をして終わりになる可能性もある。


少し迷って、大人しく引き下がる事に決めた。


「そうだ、梅酒の店いつにします?」


「梅酒?」


「自分で梅酒選んだんですよ?」


「あ!うん・・そう・・そうだった」


「俺も、ちょっと興味があって。女性に人気の店みたいだし、俺のひとりじゃ行きづらいんで、ぜひ」


本当は、彼女を誘う為だけに調べたのだ。


チャンスはフルに活用する。


普段の彼女なら、少し考えてから、予定の空いている日を伝えてくれていた。


なのに。


「・・・・暮ちゃんも、梅酒好きなのよ!せっかくだから、誘って3人で行かない?」


ここぞとばかりに、暮羽と梅酒を飲みに行った時の話を始めた友世に、適当に相槌を打ちながらこの後の攻め方を考える。


これはもしかしなくても・・・警戒されてる?


加減しながら口説いているつもりだし、強引に距離を詰めてもいない。


二人きりでする会話は趣味や嗜好、仕事で関わりのある共通の社員の話題のみで、プライベートに深く踏み込んだ事は一度も無い。


ノックした途端シャッターを下ろされると困るので、慎重に機会を伺っていた。


瞬は数瞬考えた後、笑顔で頷いた。


背に腹は代えられまい。




★★★★★★




ブレンドの心地よい香りと、静かなジャズ。


湯気の立つカップを両手で持って、友世は小さく溜息を吐いた。


本当は仰々しく思いっきり溜息をつきたい。


けれど、それは憚られた。


この場所では、特に。


幼馴染の父親が経営する小さな喫茶店の、看板娘が溜息を嫌うから。


仲間内の誰かが溜息をこぼすたび。


「溜息吐くと幸せが逃げるよ!はい、吸って!!早く!!」


と、口癖のように背中を叩かれたものだ。


思い出して小さく笑ったら、カウンターの中で背中を向けていた早苗がくるりと振り返った。


「今溜息ついたでしょー」


「・・・ちょっとよ、ちょっと」


「ちょっとでも、だめなんだってば。はい、吸う」


そう言って、一緒になって深呼吸を繰り返す。


もう何百回も繰り返された光景だ。


「友世ちゃん、また吸いすぎて過呼吸みたくなるよ・・・」


呆れた顔でマスターが笑って、二人は顔を見合せて笑った。


常連客もその様子を和やかに見守っている。


「なにー?溜息吐く前に言いなって。どしたぁ?」


珍しく早くやってきた友世の様子がおかしいことに気づきながらも、黙ってきっかけを待つのが早苗らしい。


無理やり聞き出すんじゃなく、ちゃんと相手のペースに合わせられる。


晴(はる)の良いところを受け継いでるなー・・・


いなくなってしまった優しい幼馴染を思い出して、少しだけ寂しくなる。


自分のカップに晴ブレンドを入れて、隣に腰かけてきた早苗の肩に凭れかかって、友世はここ最近の自分を取り巻く社内恋愛の事情をつらつらと零して聞かせた。


「後輩の好きな相手が、本人には全く脈なしで・・自分を口説いてくると・・?」


ポツポツと語った友世の話を要約して言葉にした早苗は眉根を寄せた。


「・・うん」


「んで?嫌なら断ればいーじゃん」


あっけらかんと言った早苗の顔を、不貞腐れた表情で見返す友世。


この幼馴染は、昔から思った事をズバズバと口にしては悩み事をぶった切ってくれる。


そのさっぱりした性格に何度も救われてきたのだが、初恋が実らなかったせいか、恋愛ごとにはとことん疎いのが玉に瑕だ。


「だから早苗にこの手の質問するの嫌なのよ・・」


「あっひどっ!人がせっかく聞いてやったのに!」


「さなちゃん・・・それ言っちゃあお終いだろ?彼の事そんな嫌いじゃないから困ってるんだよね?」


マスターの適格な表現に友世は顔を輝かせた。


「そうなの!・・・嫌いじゃないし・・でも、後輩の気持ち考えると・・・だから、3人で行こうって逃げたんだけど・・・」


「相手はなんて?」


「3人でもいいですよって・・・・・どーゆーつもりなんだろ・・・あたしは応援してあげたいんだけどな・・・」


「まだるっこしーの嫌いよー・・・そのなんたら君・・」


「大久保君」


「に、あたしあんた好きじゃないから、後輩どう?っつったら早いじゃん!」


「・・・さなちゃん・・・」


本当に恋愛面にからきし弱いことは、知っていたけれど・・


彼女の初恋を知る者としては少々せつなくなる。


”好き”それ以外の感情や関係が入り込む隙間も無いほど純粋な恋をしたからだろう。


”好き”に”?”がついたり、別の人間との関係がく加わると、途端思考がストップするらしい。


「だからー・・・穏便にこのまま後輩となんとか上手くいく方法ってないのかなぁ」


カウンターに頬をくっつけてぼやいた友世の髪を早苗がくしゃくしゃにする。


「人の恋路に首突っ込むもんじゃない」


疎いくせにこういうところは、鋭い・・・


マスターが、ちらりと早苗の方を見て目元を和ませる。


「あんたが結婚できたのって奇跡よ・・・晴が天国で必死に走り回ったおかげよ。晴に感謝しなさいねー・・・」


「失礼ねー・・・まあ。感謝してるけどさ・・」


照れたように笑う早苗の横顔が昔と同じく幸せそうであることにほっとして、頬杖をついて冷めたコーヒーに口を付けると同時にドアが開いた。


カウベルの音ともに、幼馴染メンバー最後の女子が入ってくる。


「なーにー?集まってるなら声かけなさいよー。あ、早苗、空くんと颯太さん家来てるから。旦那と宜しくやってるわー」


「助かるーごめん。なに?男どもはそっち集合?」


「そ。大の奥さんが今、ちょうど里帰り中だから無礼講みたい・・・山尾っちも診療終わったらくるらしいから。あーら・・・何、美人が台無し、凹んでんの?」


友世の顔を覗き込んでカラっと笑う華南(かな)は、幼馴染女子三人の中で一番精神的に大人だ。


結婚も早かったため、落ち着いているし、すでにちょっとした貫禄がある。


マスターは棚から彼女専用のカップを取り出してブレンドの準備を始めた。


友世の隣に腰を下ろした華南が、ぱん!と遠慮ない力で友世の薄い背中を叩いた。


「なーに?聞くわよ。言いなさいよ。どうせチビはじーじとばーばが見てるし、今日は女子会するわよ」


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