第4話・夫の女
夫は今まで長年、勤めていた会社が倒産し無職となった。離婚のことは口に出せずにいた。それから数ヶ月後、夫は転職したが、今まで勤めていた会社とは無関係で、畑違いと言うこともあり、弱音を吐く夫に「離婚」の文字を切り出して追い込むのは尚更、悪いような気がして飲み込んだ。
そうこうするうちに、舅を亡くした姑は気が弱まるどころか気が強くなり、私に当たり散らしてくるようになってくる。
夫は仕事に慣れるのに忙しいし、余計なことを言って気を煩わせたくないは思うものの、やはり夫の親なのだから注意して欲しいと思い、LINEを通して伝えるようにした。
夫は自分の親が、嫁である私を悪く言うことを気にもせず放置していた。夫のその態度が、姑の態度を大きくさせていることにも気がつけないでいた。
その為、LINEで報告のようにあげていたが、夫には
「そんなことは俺に言われても困る。嫌なら相手にしなければいい。なんなら殺せば?」
と、冗談にもならない返事で、強制終了させられていた。
今まで私は夫のほぼ言いなりのような生活を送ってきた。夫が望むように子供を養育し、夫が望むように義両親との同居も認めた。
それに対して夫はどうだろう? 私に対して何かしてくれたことがある?
独身時代には互いの誕生日に贈り物をしたりしたけど、結婚して子供が生まれたらそれが無くなった。私には贈り物一つしてないのに、出会い系で知り合った「ユッコ」には、彼女の誕生日にケーキを買い、「真珠のピアス」を贈っていたのがメールのやり取りで残されていた。
そして彼女に「きみといると心が安らぐ。この先もずっときみとは長く付き合っていたい」と、気持ちを打ち明けていることも。
息子は夫のアイパットを借りたままでいた。
友達とTwitterを続けていたので、夫にサイトの存在に気がついていることを明かさずに借り続け、私に不貞の情報を流してきた。
ユッコに夢中の夫は、私や息子に彼女とのことがバレているとは気がつかないようだった。お目出度い人だ。
私の心には塵のように、夫に対する不満というよりは、不信が振り積もって行った。
私は夫にとってなんだろう?
妻と言う名の家政婦でしかないのではないか?
そんな思いが胸いっぱい膨れ上がったある日、自治会の役員会仲間の女性から不思議なことを聞かれた。
「旦那さんって習い事でも始めたの?」
「えっ? そんなことは無いと思うけど……」
彼女曰く、仕事帰りにあるお宅の前で夫を見かけたらしい。その家では教室を開いているので、てっきり習い事を始めたのかと思ったと彼女は思ったらしかった。
「どこの教室?」
「ほら、隣の区にある三つ葉スーパーの近くに、ブリザードブ? 何とかフラワー教室って看板が掲げてあるところ知らない?」
「フラワー教室?」
「三つ葉スーパー裏の脇道を入った辺りで、ああ、ほら素敵な家が何軒か並んである先の、一番左端っこの家」
「三つ葉スーパーの裏手の道? ブリザーブドフラワー教室?」
彼女の説明はざっくりしていて、理解が追いつけなかった。夫が習い事をしていたなんて初耳だ。どういうことなのだろうと思いながらも、その教室が気になった。
「今度、その教室? の辺りを通ったら写メ撮って送ってよ」
「オッケー。じゃあ、またね」
彼女に今後、その教室の前を通ることがあったなら、携帯で写真を撮って送って欲しいと頼むと、快く了承してもらえた。
そして数日後。彼女からメールが送られてきた。それには携帯で撮られた期待どおりの写真が添えられていて、夫が写り込んでいた。
それから二週間後。私はブリザーブドフラワー教室に体験入学に来ていた。電話予約したらすぐに入れたのだ。夫が写真に撮られていた教室だ。夫が何をしにここに来ていたのか気になってしかたなかった。
もしもだけど相手が夫と不倫関係にでもあれば、実名では警戒されそうな気がして、友達の名前を借りた。このことを教えてくれた彼女の協力を取り付けたのだ。
「深川さんでしたね? 始めまして」
私の前に現れたのは、私と同じ世代と思われる女性。整った顔立ちだと思うけれど、特に綺麗と言うわけでもない。額にうっすらと横たわる皺。口元の皺を隠す為か化粧が濃かった。若い頃はそれなりに綺麗な人だったのだろう。耳元にはピアスだろうか? 小さな丸い白いものが刺さっていた。恐らく真珠だろう。
彼女は聞かれもしないのに、自分の家庭事情をペラペラ話し出した。
「私、こう見えて没1でして、13年前に夫を癌で亡くして当時、まだ幼かった子らを三人抱えて途方に暮れていたところを、周囲のママ友達に助けられてこうして教室を開けるまでになりました」
「それは、大変でしたね」
家庭事情を初対面の相手に気安く話せてしまう彼女の口の軽さに、危ういものを感じながらも相槌を打てば、彼女は気を良くしたらしかった。
「今日は体験だけですが、お花に興味を持って頂けたなら嬉しいですわ」
「ここの教室に通われている生徒さんは、何人くらいいらっしゃるのですか?」
「そうですね。12人くらいです」
「皆さん、女性の方ですか?」
「ええ」
私の問いにスラスラ答えていた彼女は、次の問いに表情を硬くした。
「男性の方とかは、いらっしゃらないのですか?」
「え、ええ。皆さん、女性の方ばかりで……」
彼女の言うことが本当ならば、夫はこの教室に通う生徒ではないと言うことだ。こちらを見る目に警戒の色が宿る。私はそれ以上、追及するのは止めることにした。
「初対面にもかかわらず、根掘り葉掘り聞いて気を悪くさせたならすみません。実は私、仕事帰りにここの家の前で知り合いの旦那さんがいるのを見かけたものですから、てっきりこちらの教室に通われているのかと……」
「男性の生徒さんはいらっしゃらないですが、お花の注文を受けてもいるので、その時のお客さまかと思いますわ」
「そうですか。素敵です。きっとその旦那さんは奥さんの為に、お花を注文されていたのかも知れないですね」
ホッとしたように言う彼女に、私は実際にはあり得ない事を、いかにもそうであるかのように言ってみた。夫は私の為に何かを贈るなんてしたことなどない。
彼女は探るように聞いてきた。
「その方の奥さまとは親しいのですか?」
「ええ。自治会の役員会で何度か……。旦那さんも真面目で良い方ですよ」
外面はね。と、思いながら答える。それからは花に関しての質問攻めにして、作業へと移った。
作業には一時間もかからなかった。幾つか決まったパターンが予め用意されてあって、その中から気に入った形を選び、その通りに選んだ器に花を盛る作業で終わった。
講師の彼女は、帰る際に「良かったら、また来て下さいね」と、声をかけてくれたけど、もう二度と足を運ぶことは無いと思っていた。
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