第2話・私の事情


 吉住さんと別れて帰宅すると、十数年前に購入した我が家のマンションに夕日が差していた。茜色に染まったマンションに黒く近隣の建物の影が差す。


 脳裏を「斜陽」という言葉が掠めた。


 私達夫婦がこのマンションの購入を決めたのは、結婚して二年目のこと。あの頃、私達は幸せだった。


 何年経ってもお互い、相手のことを思いやって暮らしていくものだと信じて疑わなかった。まさかそれが一年、二年、三年と年月が過ぎていくうちに段々色あせて、お互い気持ちがすれ違っていくことになるだなんて思いもしなかった。


 いつからなのだろう? 夫と気持ちがすれ違うようになってしまったのは。


私が専業主婦になってから?


子供が生まれてから?


子育てが始まってから?


夫の両親と同居が始まってから?


 考えればキリがない。


 若い時には、多少お互いの意見が食い違って喧嘩になっても、同衾すれば大概の事は目を瞑って許せた気がする。そこにはパートナーに愛されているのだという、女性として確固とした自信があったように思う。

 でも、子供が生まれて三年目には、私達夫婦はセックスレスとなっていた。夫から求められる事が無くなっていたのだ。


 それまで毎晩のように私に触れていた夫が、妊娠が分かってから触れなくなっていた。それでも私は、それは一時のことで、出産を終えた後には、今までの性生活が戻って来るのではないかと軽く考えていた。


 だが夜の営みは全く無くなった。

そこに不自然なものを感じて、夫に何度か誘いをかけてみても、


「自分はもともと淡泊だったから」

「もう年だからそういう行為をする気にはなれないんだよ」


 と、呆れたように言われてしまうとそれ以上、「抱いて」とは言えなくなってしまった。


 そのうち夫は寝室を別にするようになり、私は子供と一緒に寝る夜が増えた。

 性的欲求不満は残っても、相手となる夫がする気が無いのだ。私は熾火のように燻る欲求をなだめすかして寝付く日が増えていく。


 女として求められないとは、寂しく辛いものだ。


 夫は子供が生まれて大きくなるにつれて、私を自分の愛する妻というよりは、子供のための養育をする母親としての役割を強く求めた。


 夫は幼児教育に早くから興味を示し、私にこれは子供の将来為になるからと、教材を取り寄せ、子供に絵本の読み聞かせや、英語教材で英語を学ばせようとした。

私も当時、世間で幼児教育が取り沙汰されて、テレビのニュースにも取り上げられて注目されていたのもあり、関心を持っていたので抵抗なく受け入れた。しかし、不満はあった。


 夫は「これは良いから」と、何でも情報を取り入れようとするが、けして自分では行わない。私に全てやらせようとする。幼児教育教室も夫が勝手に契約してきて、後日私に子供を連れて行かせた。


 夫が指図し、私がそれに従うのが我が家のルールのようになっていた。まだ親子三人暮らしのうちは良かった。そこに夫の老いた両親との同居が始まってから、私の心の置き場がなくなった。


 夫と二人で築いてきたはずの家庭が、夫の両親が乗り込んで来たことで、私の気が休まらなくなった。


 日に日に元気がなくなるのを見かねてか、友達が色々と誘ってくれたが、その外出を舅らは良く思わなかった。専業主婦の私は家にいて、自分達の面倒を見るのが当然だと思っているらしく、友達に会いに行くと言えば、家に招けば良いと言い出した。

そんなことをすれば、私が友人達と語らっている場に顔を出し、空気を読まずに友人らが帰るまでその場に居座るのは明らかだ。


 そんなことは真っ平ご免だ。でも舅らは私を家政婦扱いして束縛しようとする。

鬱々としていたら、ある日、子供の通う小学校でPTA役員に誘われた。何の気なしに受け入れて気がついた。舅らは学校のPTA活動には、行くなとも言わなかったし、まあ、頑張りなさいと快く送り出した。


 どうも世間体を気にしたようだ。


 専業主婦である嫁がPTA活動をすることで、家でブラブラさせているよりは、(実際は彼らの食事の世話や、洗濯、掃除もしているのだが)遙かに世の中のお役に立っているのだと、彼らの中では許してやっているような気でいるらしい。


 そのおかげで私は、舅らから逃れられる息抜きの場をPTAという場に見出した。PTA役員となった経緯は不純でも、活動しだいには不満はなかった。時々、皆で集まって色々と学校をよくするために意見を出し合い、協議する。それが楽しかった。

PTA活動では、前向きでいられた。義両親達のことを一時でも忘れていられた。有り難かった。


 PTA活動から、他人との付き合いの場が広がり、自治会や子供会から役員にならないかと、声をかけられるようにもなっていた。


 子供が戸城高校に入学するまで、引きりなしに声をかけて頂いて自分のやれる範囲で請け負ってきた。舅らは田舎暮らしだったので、自治会や子供会など、地域に密着した付き合いは大切だと思い込んでいる節があり反対はしなかった。


 そして息子が高校3年生となった。息子が小学校の頃から始めたPTA活動。息子の高校卒業と共に、あと一年でPTA活動ともさよならかなと思っていた矢先の出来事。

もう、ため息しか出ない。




──ああ、なんて世間は狭いものなのか──




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