第19話 透明人間と不透明な彼女の、これから

「ーーーーっ!」


 息が苦しい。汗が酷い。

 決して悪夢を見たわけじゃない。起きなければいけないと、どこかでわかったのだ。

 右腕が重い。見ると、見えない腕に包帯がグルグル巻きにされており、しっかりとギプスで固定されてあった。

 俺はひとまず息を整えると、自分の状況を確認する。とは言っても自分がこうなる直前の状況が全くわからない。

 場所はおそらく病院の一室だろう。日付は元から気にしていなかったし、一年経っていても驚きはしない。あえて言うのならば、今までのことが全て現実なのかどうかすらも曖昧だ。

 長い長い、走馬灯のようなものを見ていた気がする。

 と、感傷に浸っていると、横からガラガラという音がした。


「はろー、透明人間君。回診だよ。……お目覚め?」


 気の抜けた挨拶とともに入ってきたのは白衣の天使、もとい白衣の幼女。

 小首を傾げながら俺をじっと見つめるその姿は、さながら初めて出会う親戚のおじさんを見る小学生である。


「喋れない?」

「や、え?」


 脳の理解が追い付かないうちに、目の前のドアはまた開く。今度はよく響く通りの良い声もセットで。


「ちょっと心乃ここの! 勝手に行かないでってば…………。日暮くん!? 起きたのね?」

「えと、おかげさまで?」

「もう、本当に心配したんだからー」


 目の前の状況にはなんとなく合点がいった。俺が起きない間に大家さんはついに結婚したのだろう。そしてさっき“ここの”と呼ばれた彼女は娘。

 ここで注意しなければならないのは大家さんの地雷を踏んでしまわないこと。だからできるだけストレートに。


「大家さん。ご結婚おめでとうございます」

「え? 何言ってるの日暮くん」


 違ったらしい。まあ、結婚はしてないか。となると親戚の子か?

 と、俺がそんな失礼なことを考えたのが災いしたか、無表情だった幼女が大家さんの袖をちょいちょいと引っ張って、その上ビシッと俺の方を指差した。


「和加菜が経産婦。私が娘。それ違う。ゆーのう?」

「はえ?」


 続いてその指先を大家さんに向ける。


「いこーる。和加菜、老けた?」

「日暮くーん?」

「いだだだだだだだ!!」


 両方のこめかみが人差し指の第二間接で圧迫される。こんないじめ方、俺は金曜の夕方いしか見たことが無い。

 一旦解放されると、大家さんは一つずつ指を折りながら確認するように伝える。


「いい? まず誤解しているようだけど、あなたが寝ていたのはたったの一日。ここはこの子の病院。決して私とこの子に血の繋がりは無いわ。わかった?」


 なるほど、一炊の夢とはよく言ったものだ。ひとまず、先のことが現実に起こったのに間違いはないらしい。

 しかしわからないことは絶えない。なぜ、こんな幼女が病院を持っている?

 改めて見つめるが、当の“ここの”と呼ばれていた幼女はまた大家さんの袖を引っ張っている。


「和加菜。決して。強い否定。ちょっと傷ついた……、たぶん」

「あ、ごめんなさい心乃。他意は無いから許してお願いっ!」

「うむ。しゃーなし。謝れてえらい。よしよし」


 あたふたとしゃがみこみ、幼女と目線を合わせて謝るアラサー女性。

 文面だけ見れば完全に親子なのだが、余計な前情報のせいで関係性を考えるのが非常に難しい。加えて、このほわっとした空気の中に入りに行くのも難しい。


「あの、」


 意を決して話しかけたのだが、幼女の方が素早く反応した。そのまま小首を傾げて俺を見つめると、


「透明人間君。診察?」

「お願いします……」


 ベテランの医師に睨まれたような、そんな言葉以外の何かに気圧されて俺はそう答えるしかなかった。


「経過良好。腕にギプス付けるなら外出もまる。退院おけ」


 聴診・鼻や喉のチェックといった内科的な診察に加えて脚の筋力などを測定すると、ものの数分後に幼女から親指を立てるサインと共に結果が報告された。

 診察に関しては簡易的ではあったが丁寧かつ手早く、この幼女が本当に医師なのかという疑いは少し晴れた。

 だがそれ以上に、疑問は絶えない。


「何か質問?」


 幼女、いや心乃は俺の心を見透かしたように首を傾げる。

 俺はできるだけ冷静さを保ちながら、まず一つ、問いを返した。


「俺は、何者なんですか」


 それに答えたのは、心乃ではなく、空いている別のベッドに座っていた大家さんだった。


「今の日暮くんのように、“人間を形成する要素の一部を作り換えられた者”を、私たちは『リメイド』と呼んでいるわ」

「『リメイド』……」


 初めて聞くその言葉を、反芻するように自分の口からも吐き出す。

 しかしなぜ俺が、と言いかけたその先を遮るように、大家さんは続ける。


「リメイドになる条件は正確にはわからないわ。でも、必ず何かが作り替えられるの。例えば、」

「心を失う代わりに人の心が見えるようになる」


 先ほどよりも流暢に、話の続きを引き取った心乃は淡々と口を動かす。


「これが私の症状だ。背が伸びないのは謎だけど。特に自分がいらないと思ったものが作り替えられてしまうのだろうな。君は、視認される体を失う代わりにより視認できるものが増える、と言ったところか」


 言われて思い出す。確かにあの日、『透明になりたい』と言ったことに間違いはない。それと、おっさんと喧嘩したときに、視界がスローモーションになったのはそういうことか。


「ま。適合者の遺伝子を摂取しなければ特殊な力は使えないし、それどころか命の危険もあるからな。それと、透明人間君」

「はい?」

「私は愛奈と同い年だ。子ども扱いはしてくれるなよ?」

「はあ……。はあ?」


 唖然として口が閉じられない。疑問符の付いた声も内訳のほとんどが息である。


「それぐらいにしてね、心乃? あと喋り方もそのままでお願い」

「えー? こっち。可愛い。いぇい」


 人は見かけによらない、という言葉の極端な例がこれか。なんとか口も閉じて、感心していると、「とにかく、」と大家さんが話を戻した。


「説明が逸れたけれど、よく聞いてね日暮くん。リメイドが生きていくには“適合者”つまりはパートナーが必要なの」

「なるほど」

「だからね日暮くん、」

「すみませんその辺りで」


 後に続いたであろう言葉を押しとどめる。それ以上は言われなくてもわかっているから。

 大家さんも立ち上がり、心乃と一緒に入ってきた扉に向かっていく。

 その背中に、もう一つだけ訊いた。


「大家さん」

「なあに?」

「あなたは何者なんですか?」


 すると、大家さんはくるりと振り向いて、悪戯に微笑んだ。


「ひ・み・つ」


 そう言って騒がしい二人は部屋を出て行ってしまった。

 おそらく、この後には退院の手続きが待っている。金銭的なことなど、色々考えると憂鬱になりそうだ。なんとなく、白い天井を見上げた。

 コンコンコン、とノックの音が三回。


「どうぞ」


 俺の返事を聞いてから入ってきたのは、制服姿に茶髪が眩しい女子高生。

 うつむく顔は何かを我慢しているようだ。

 今日は胸ボタンが上の方まで止まっていて、スカート丈も膝ぐらいに抑えられている。

 ドアを開けてしずしずと入ってくると、彼女は面会用の椅子に座ったところで、ようやっと顔を上げた。


「久しぶりだな」


 彼女の顔をちゃんと正面から見たのは、遠く昔のことのように感じる。まだ少し幼く、その目には光るものが浮かんでいた。


「本当に生きてる? 生きてるよね?」

「ああ、呼吸もしているし、心臓も動いている」

「ふふっ……、何それ」


 よかった、やっと笑顔が見られた。

 それと同時に堰が切れたのか、彼女の目から滴が頬を伝っていく。


「本当に、よかった」


 愛奈がささやくような声でそう言うのを聞くと、俺の目にも水が溜まるような感覚があった。だから、乾くのを少しだけ待った。

 お互いに無言の時間が過ぎ、まず俺から口を開いた。


「何からだろうな……。まずは、悪かった。色々してもらったことを無下にしてしまった」

「いいよ、もうそういうのは。アタシこそごめんね、色々話せなくて」


 いや俺が、アタシが、と似たようなことをお互いに譲り合っていると、どこかでおかしなツボにはまってしまったのか、いつの間にか笑いが止まらなくなってしまった。

 それからは、お互いの色々な事を話した。

 本を書いていたこと、そのファンであったこと、ギャルが好きだったこと、ギャルらしくしようとしていたこと、何も知らなかったこと、顔も誕生日も知っていたこと、気付こうとしなかったこと、気付いてもらおうとしたこと。

 これまで不透明だったものを、透明にしていく。

 その過程がなぜか楽しくて、俺たちはいつまでもつまらない話に花を咲かせた。


「日暮さん、ところでなんだけど……」

「ああ、なんだ?」

「アタシたちってパートナーなんだよね?」

「どうしたんだ。急に改まって」


 息を吸い込む音が聞こえる。心臓がうるさいほどに跳ねる。

 吐き出す息が声になる。


「やっぱりさ、アタシで童貞捨てるの?」


 目覚めてから驚くことばかりだ。何を言うのかと思えば、そんな……、そんな。

 およそ一年前、出会ったばかりの頃の話を掘り返されている気がする。

 あの時と同じように、逃げることは許されない。

 俺に見えない俺自身の体は、彼女には見えているのだから。俺が死んでも、彼女だけは俺の姿を覚えていてくれるのだから。


「……二年後だ」


 なんとかひねり出した策に、愛奈はキョトンとした顔で俺をじっと見つめる。


「二年経ってお互いに何もなければ、な」


 我ながらよくできた方だろう。二年経てば愛奈も成人しているし。

 と思っていると、愛奈は見覚えのある悪戯好きな笑顔を浮かべていて。


「するつもりはあるんだ……、エッチ」

「いや、ちが、そういうことじゃ、」


 満更でもなさそうな愛奈の笑顔は、今までに見たどれよりも輝いて見えた。

 この先もきっと、彼女の笑顔を見続けていたいと思うのだ。

 だから、生きなければならない。


 この透明で、不透明な関係を終わらせないように。

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リメイド〜作り替えられた者達は〜 尋瀬 厚巻 @h_atsumaki

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