第7話 透明人間と泊まる彼女
「ほんっとにごめんなさい!」
部屋に上げると、愛奈は改めて謝罪した。
少しうつむいて涙目になっているのは怒られると思っているからだろう。
さっき睨んだからか、と自分の行動を反省する。
この程度で声を荒げることはしない。それに、愛奈が反省しているのは敬語を使っていることだったり、俺に座布団を譲って畳に正座していたりすることからよくわかる。
ただ、反省する方向が違う。
ため息を一つ。
「俺に謝るのもいいが、もっと自分の事も考えろ」
「?」
愛奈は少し顔を上げてなんのことかわからないと言うような表情で俺を見つめた。
俺はひとまず足を崩す。こうすれば正座している愛奈と目の高さが合う。
「いいか。俺と愛奈が話しているこの状況を、もしこれを誰かが見たらどう思うか考えてみろ」
「えっと、アタシが一人で話しているように見える?」
不安混じりの半疑問で応える彼女の目をしっかりと見て頷く。
「そうだ。それによって損をするのは俺か? 違うだろう」
「……うん」
皆まで言わずとも愛奈は感付いたようで、先ほどまでと違って落ち着いて見える。
愛奈が俺に話しかけることは、愛奈にとってリスクだ。
もし人に見られたら、その時点で愛奈は“見えない何かと話す人”というレッテルを貼られ、好奇の視線に晒されることになってしまう。
彼女自身そんなことを望んでいないだろうし、俺も自分のせいで彼女がそうなることを望まない。
俺は自然に手を伸ばすと、愛奈の頭の上にぽんと置いた。
撫ではしない。ただ、なんとなくこうしてやりたくなった。
愛奈の方も抵抗しないから、しばらくそうしていた。
至極平和な時間。そして大抵、どちらかが発した言葉でそれは崩れる。
「急にどうしたん?」
愛奈の声に、頬の筋肉がギュッと硬くなる。自然と口角が上がっていたことに気付く。なんだそれ気持ち悪い。
さて、聞かれたから自分の感情を分析してみよう。
いつになく柔らかい雰囲気で、一つ物を教えてそれを素直に受け取った愛奈がなんとなく愛おしく感じて、勝手に手が伸びて、それに抵抗しないのもどこか可愛くて。
「なんとなく、だ。気にするな」
子を持ったことが無いのに年下に愛おしさを感じるとは、精神年齢がプラス30はありそうだ。子を作る行為もしたことが無いのにな。やかましい。
手を離して再び彼女との距離を元に戻す。愛奈は触られた頭を軽く撫でながら、上目遣いで俺にチラチラと視線を送る。
……うーん、気まずい。
無言になればなるほど直前の過ちが鮮明に脳裏に映る。ああ、思い返したせいで愛奈の関西弁が漏れていることに気付いてしまった。まんざらでも無いじゃないか。余計に気まずい。
「あー……、ところで、今日はなぜ来たんだ?」
逃げ道を探してなんとか会話をひねり出す。
すると、愛奈は露骨に俺から目をそらして言いにくそうに口をもごもごさせる。そんな姿を見て、俺は全力で目を合わせようとする。
ここで俺が照れると本格的にまずい。先ほどの形容しがたい空気がまたやってくるような、そんな危機感を覚えて俺は自らの逃げ道を絶つ。
少し躊躇いつつも、愛奈の肩を掴んだ。これでお互いに逃げ道は無い。
「俺を見ろ」
縦横無尽に目を泳がせる彼女に向かって、はっきりとそう言った。
逸らし続けた瞳が揺れて、やっと視線がかち合う。しかし俺はじっと待つだけ。愛奈は数回瞬きした後、ゆっくりと口を開いた。
「今日は、泊めてもらいに来ました」
時間を置けば、言いにくいことでも言えるようになる。時間が最大の薬と言われる所以を実感する。
そして、時間を置けば、理解できなかった言葉の意味がわかるようになる。
愛奈の言葉に初めは頷いていたのだが、その意味を理解してピタリと体が固まった。
「泊める……?」
思わず聞き返せば、愛奈は赤面して頷くばかり。泊めるというのは宿泊するということで、宿泊するということは、一夜を過ごすということ。なんだこの新種のトートロジーは。
いつでも来て良いと言った手前、ここで拒否する権利を俺は持っていない。それに彼女が一度言い淀んだこともあって、何か訳アリなのは明白だ。
「わかった。好きにしろ」
ため息混じりに言うと、愛奈は俺の体に腕を回して自分から体を寄せてきた。
そこに抵抗する間はなく、突然抱き着かれたことに訳もわからず俺は固まった。
柔らかさとか匂いとか、様々なものが人間の煩悩をくすぐり、俺の理性を鈍らせようとする。頭の中に浮かぶ悶々とした気持ちを、法律と気合で潰していく。
「ありがとう、日暮さん」
暴れようとする本能が、スッと収まっていった。
人から受ける純粋な感謝の言葉は、こうも人を優しい気持ちにさせる。
俺は掴んでいた愛奈の肩をぐっと押し戻す。
「とりあえず、泊まるなら布団を借りに行かないとな」
そのまま立ち上がると、部屋に一枚しか無い布団を眺める。
雑魚寝させるつもりは無いし、部屋の布団では二人寝るには狭すぎる。
「アタシのこと抱き枕だと思ってくれたら一緒に寝れるよ?」
俺に続いて立ち上がると、彼女はそんなことを言い始める。
「馬鹿。自分を大事にしろと言ったばかりだろう」
軽く注意すると、むしろ嬉しそうに「んふふ」とニヤニヤ顔で俺を見つめてくる。
「一緒に寝たら襲われちゃうの?」
「それ以上余計なことを言ったら、二度と入れないからな」
「えへへ、ごめんごめん」
うっとうしいとは思いつつ、茶化す余裕が出てきた彼女に少し安心する。
さて、大家さんの部屋に行けば一組くらい布団は余っているはずだ。そう思い、早速部屋を出ようとした。
「日暮さん、アタシ行くよ?」
すると、俺の様子を見て愛奈は駆け寄ってきた。
自分の事は自分でするという意識は結構。褒めるべきだ。しかし、今は違う。
「いや、俺が行く」
「でも、日暮さん透明だよ?」
「……」
絶句である。肝心なことを忘れてしまっていた。
俺はその場で腕組みして黙り込む。
「管理してる人のとこに行けばいいでしょ? 教えてよ」
できることなら行かせたくない。
女子高生を部屋に入れていることが大家さんにバレたら、色々と言われるに決まっている。それに、大家さんからすれば俺はおらず愛奈だけが部屋にいる状況だ。愛奈が質問攻めに遭うのは目に見えている。
やはりいっそ布団一つを共有するか? いや、ここは俺が雑魚寝すれば。
「日暮さん、アタシだけ布団はナシだからね」
まるで心を読んだようなタイミングで愛奈が釘を刺してくる。
そうなると選択肢は二つに一つ。
愛奈を大家さんの元に向かわせるか、愛奈と狭い布団で一夜を共にするか。
「…………一階の端だ。管理人室って書いてある」
考え出した結論に、「そんなに嫌がらなくても」と呟きながら愛奈は部屋を出ていった。
俺は閉まるドアを眺めながら、来るべき嵐に備えることにした。
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