第16話 肝炎患ってもラッキーM効果あり

『絶対安静』をお医者さんから言い付けられての入院。動いていいのはトイレだけ。


絶対安静だって言うのに、帰ってしまった両親。普通ドラマ見たって、親兄弟がそんな状態になったら帰らないのが常識。


実はなんとその時、隣のベッドには、現実に2軒長屋の隣の家のおばさんが入院されていました。顔見てビックリ‼️

「あれまぁ〜最近顔を見てないと思ったら入院されてたんですね。」とおばさんに向かって母。

「娘がこんな状態になってしまいましたが、またすぐに戻って来ますので、よろしくお願いします。」と言ったかどうか?覚えておりませんが?(笑)


おばさんの病気は「糖尿病」で、血糖値は高いが見た目どこも悪くない様子。いちよう入院なのでパジャマは着ておられましが、そんな訳で、両親も、渡りに船とばかりに、おばさんに、私のこと託して帰っていってしまいました。


私の状態。天井を見てもなんだかぐるぐる回っているような、食事が運ばれてきても、見るだけで吐き気が出てきて、おばさんにお願いしてお膳を片付けてもらうような状態。

トイレも手すりに捕まって歩くのがやっとこ。ミルミル手のひらや目の白目のところがオレンジ色のような黄色に変色。

黄疸まで出てきてしまいました。


当時、肝炎のことはまだ、今のコロナと同じで、訳のわからない病気でしたから、処方する薬も無く、ひたすらブドウ糖(栄養剤)を点滴で入れまくるということしかされませんでした。


ですが、隣のベッドに隣のおばさんがいてくださって本当嬉しかったですし、助かりました。おばさんには息子さんはいらしても、娘が居なかったので、私を娘のように大切にしてくださいました。ラッキーM効果がここでもありました。


おばさんが可笑しかったのは、私が食べれ無い食事を隠れて食べていたことです。糖尿病だったので、おばさんのご飯やオヤツが少ないのて、私の食べられないもの全部食べておられました。こっそりと主治医の先生に告げ口したら、「本人に治す気が無いのなら仕方がないね。」と諦め気味でした。

結局おばさんはインシュリン注射の扱いを習って退院されて行きました。

 

後々入院した時の、私の状態を母から聴いたら、お医者さんは「肝硬変を起こしている値が出ているので、今夜が山かもしれない。」とまで言われたそうです。そんな状態の私を残して帰って行った親たちのこと、しばらく恨んでおりましたが、何か事情があったのかも?父は一晩中母が泣いて仕方がなかった。

と・・・だったらそばに居てくれても良かったんですけれど・・・


2日も、意識も朦朧としながら点滴を受け寝ていましたら、天井を見たら点々の模様だんだんと見えてきて、少し状態が良くなりました。


3日目になると、主治医の先生がゾロゾロ若いインターンの先生たちを従えて、私の所に。

『この患者は肝炎でこうなりました。目や手のひらが黄色になっているのをよく見ておきなさい。』って、まるで授業のよう。


頭の先から足元まで珍しい物を見るようにジロジロ見られ、触られ。お腹を押さえられ。どこが痛いのか?聴きまくられ。とても嫌な経験しました。


そうこうしてるうちに、隣のおばさんは退院していき、向かえのベッドのお二人も退院していかれ、4人部屋にたった1人だけになりました。


そんな時、主治医の先生が寂しいだろって回診よりも多めに部屋を訪ねてきてくださったので「先生、私くらいの年齢の患者さんを入院させてきてよ〜」と話したら、次の日からみるみるうちに、隣のベッドには、同じ歳の子、向かえのベッドには、同じ歳と2歳下の子を入院させてくださって。こんなことあり得ないけれど、本当の話しです。


まるで、修学旅行状態になってしまいました。(笑)病気はそれぞれ違って、隣のベッドの子は食中毒。向かいのベッドの子はパセドー病、もう1人の若い子は食事不振病とかって精神的な病気で入院してきた子でした。


食中毒の子は、同じ歳で、スポーツはバレーボールをしてるとても元気の良い活発な子でした。お腹が痛くて入ってきたくらいなので、点滴から、食事はお吸い物に麩が浮いてるものが多く。面白いので、彼女のあだ名は「金魚」って付けて。ずーっと「金魚」「金魚」って呼んでました。

お腹押さえながらも大笑いして楽しかったです。あと主治医の先生も当時30歳くらいの若い先生だったので、2人で先生をからかって遊んでました。

たった1週間だけの知り合いでしたが退院した後もしばらく仲良くしてました。


向かえのベッドの子も、パセドー病の子は相当重症だったのか、1日2日で個室に移っていき、もう1人の子は、高校生活の人生相談に乗ってあげたら、とても元気が出てきて、1週間くらいで退院していきました。


だから修学旅行状態も、ほんの短かい間でしたが、それでも入院なのにとても楽しい思い出として残ってます。


結局私はその病院に3ヶ月ほど入院することになりましたが、色々待合室で、男性のお友達も出来て、本当楽しい入院生活を過ごさせてもらいました。 


中でも、入院患者の中に台湾出身の男の子がいて、その男の子は、金魚と同じ大学生で胃けいれんで、入院してきたのに、私のことを気に入ってくれて、「何か食べたいものある?」って聞かれて、病院を内緒で抜け出してプリンを買って来てくれたのはとても嬉しかったです。

金魚が彼のこと好きになってしまって、金魚から妬まれて大変でした。(笑)


他にも大学院生の男性が私のこと気に入ってくださって、退院した後には花束を持って会いに来てくださったり。実は退院後デートまでしちゃいました。


他にも、モテ期が一気に来た感じ。

肝炎で、痩せたものだからか弱く見えたのかも?


会社は3ヶ月も入院したのに、毎月会社の上司の方が、お見舞いに来ては、給料を7割も持ってきてくださってましたし。本当親は私に冷たかったのですが、周りの人たちがとても良くしてくださり、ここでもラッキーMなことばかりでした。

まず命が助かったことこそラッキーでした。


そうそう肝心の肝炎ですが、当時は薬が無かったものだから、点滴で栄養剤を入れるだけ、1ヶ月間は、微熱が下がらなくて、安静にして、あと1ヶ月間食事での治療。あと薬も何も無いものだから、病院で、ブラブラ遊んでました。スケスケのネグリジェで、病室から待合室とか行ったり来たり若い娘がしてたから、かなりおじさんたちをムラムラさせていたみたいで、主治医の先生はおじさんたちに、かわれてました。(笑)


もしかしたら、盲腸の時に汚れた脱脂綿のせいで、私こんな風になったのかしら?と主治医の先生に話したら、そのことだけは、お願いだから黙ってで欲しい。もし世間に知れたら「訴訟問題に発展するから」と口止めさせられました。


あの時の疑問は、未だに納得出来てません。

結局、私の病名は『B型肝炎』と付けられてしまいました。


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